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ヨハン・シュトラウス1世
(1804-1849 オーストリア)
「ラデツキー行進曲」で有名なヨハン・シュトラウス1世は、ウィンナー・ワルツ(ウィーンのワルツ)の創始者(そうししゃ:つくったひと)と言われています。
華麗(かれい)にヴァイオリンをひきながら指揮をしました。
生前は「ワルツ王」と呼ばれ、死後は長男ヨハン・シュトラウス2世にその名は受けつがれ、かわりに「ワルツの父」と呼ばれるようになりました。
次男ヨーゼフ・シュトラウス、四男エドゥアルト・シュトラウスも音楽家になりました。
シュトラウス1世はウィーンで大変な人気で、1829年にワルシャワからやって来たショパン(19歳)は、最初のワルツ「華麗なる大円舞曲」をウィーンで出版したいと思っていましたが、シュトラウス1世の人気のかげにかくれてしまい、あきらめなければなりませんでした。
ヨーロッパ中の大きな都市でワルツを演奏し人気が広がりました。
イギリスへ演奏旅行に行った時に体調をくずし、帰国してすぐに伝染病に感染(かんせん)し45歳の若さで亡くなりました。
葬列には10万人ものウィーン市民が参列しました。
ヨハン・シュトラウス2世
(1825ー1899 オーストリア)
「美しく青きドナウ」「皇帝(こうてい)ワルツ」「ウィーンの森の物語」で知られるワルツ王。シュトラウス1世の長男。
若くして亡くなった1世に代わり、息子のシュトラウス2世は父と同じヴァイオリンを弾きながら指揮をするスタイルで、たちまち人気者になりました。
父は音楽家になることには大反対でした。不安定な職業だったからです。無理矢理ウィーン工科大学に入学させられましたが(この大学の敷地内にイタリアのヴィヴァルディは埋葬されました)、音楽の夢をあきらめきれず大学を中退(とちゅうでやめること)しました。
父は息子の行動に驚き、あらゆる手を使って活動をやめさせようとしました。父は生涯息子を許さなかったと言います。
当時は法律で20歳にならなければ音楽家として活動できなかったのですが、まだ18歳だった2世は役所に行って、「父が家庭をかえりみず生活が苦しい。私一人で母や弟の面倒を見なければならない」と訴え、活動を始めました。
シュトラウス2世は情熱的な演奏と才能豊かな作曲でヨーロッパ中で人気を博し、「ワルツ王」のほか、「ウィーンの太陽」「ウィーンのもうひとりの皇帝(こうてい)」ともよばれました。
オペレッタの最高傑作「こうもり」を生み出してからは、「オペレッタ王」ともよばれるようになりました。
ロシアやアメリカでも活動し、多くの報酬(ほうしゅう)を得ました。
歳をとっても2世は若々しく見えましたが、人前では元気にふるまっていても家に帰ると疲れ果ててソファーに倒れ込むような状態でした。
無理をして肺炎になり亡くなりました。
書きかけのバレエ音楽「シンデレラ」のことが気になり、肺炎におかされた体を無理に起こし作曲を続けようとしたそうです。
妻が「お疲れでしょう。少し休んだら?」と言うと、ほほえんで「そうだね。どっちみちそうなるだろう」と言ってその日の午後に亡くなったそうです。
シュトラウス2世の死後5年後の1904年に銅像を建てようという動きが起きました。とちゅうで第一次世界大戦が始まり(この大戦のきっかけはオーストリア皇太子が暗殺されたことです)、1921年にやっと完成しました。
金色にぬられていましたが、ぜいたくすぎると批判され黒にぬりかえられました。しかし現在では、また金色にぬられています。
1803年3月14日生まれ
1825年10月25日生まれ
現在の金色シュトラウス2世
以前の黒いシュトラウス2世
(わたしが最初にウィーンを訪れた時はこの像でした。7年後に訪れた時には金色に変わっていて悪趣味に感じてしまいました。黒だった期間が長かったようでおどろく人が多かったです)
ヨハン・シュトラウス1世
ラデツキー行進曲
指揮:グスタボ・ドゥダメル
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
シュトラウス1世の最高作と言われている曲です。この曲はクラシック音楽の中でも人気があります。ウィーンフィルのニューイヤーコンサート(日本でも毎年元旦に中継されています)で毎年アンコールで必ず演奏されます。お客さんがとちゅうで手拍子をすることでも有名です。
ヨハン・シュトラウス2世
トリッチ・トラッチ・ポルカ
「トリッチ・トラッチ」とは、おしゃべり、うわさ話という意味からきています。まちかどで人々がおしゃべりしたり、噂話をしたりといった様子をイメージしたといわれています。
シュトラウス2世はワルツ王として有名ですが、このような2拍子のポルカでも人々を楽しませる音楽を作りました。
この曲は、日本では小学校の運動会で使われることがあります。
ヨハン・シュトラウス2世
美しく青きドナウ
指揮:アンドレ・リュウ
ヨハン・シュトラウス・オーケストラ
シュトラウス2世が合唱用に作ったワルツ。ウィンナ・ワルツの代表として有名です。オーストリアでは第2の国歌と言われています。ドナウは川の名前でヨーロッパで2番目に長い川です。ドイツの黒い森から始まり、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ウクライナなど10カ国を通って黒海に流れ出ます。ウィーンではドナウ川に沿ってブドウ畑があり、のどかで美しい景色が広がっています。
ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス
ピツィカート・ポルカ
「ピツィカート」とは、ヴァイオリンなどの弓で音を出す楽器で、弓を使わずに指で弦をはじく弾き方をいいます。
この曲はシュトラウス2世とその弟ヨーゼフ・シュトラウスが2人で作った曲です。
全てピツィカートだけで演奏されるユニークな曲で、中間部では鉄きんがくわわります。
ヨハン・シュトラウス2世
オペレッタ「こうもり」序曲
指揮:ジャナンドレア・ノセダ
コンセルトヘボウ管弦楽団
オペラが全て歌だけで作られているのに対し、オペレッタは歌とせりふがある音楽劇で、音楽よりせりふの方が多くなっています。また、軽いコミカルな内容のものが多いのもとくちょうです。
この「こうもり」はウィーンのオペレッタの中でも特に有名で、
大きな歌劇場でオペレッタが上演されることはあまりないのですが、この「こうもり」だけは別格で、特に年末年始によく演奏されます。
あらすじは、こうもりのかっこうをして仮装パーティーにでかけた主人公がお酒に酔い、道ばたで酔いつぶれ、そのまま置き去りにして行った友人にひとあわふかせてやろうとするドタバタ劇。
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