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セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ
​(1873-1943 ロシア)
後期ロマン派の作曲家、ピアニスト、指揮者。いずれにおいても成功をおさめた音楽家。

今でも、現代のピアニストがあこがれる大ピアニスト。

ピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソ(名人、達人)で、作曲と演奏の両方で成功おさめたリストと並ぶほどの音楽家。

ラフマニノフは身長が2mに達し、手が非常に大きく、左手は12度(1オクターブ+5度)広がりました。リストも同じく12度。

さらにラフマニノフは、指の関節もやわらかく、右手の人指し指、中指、薬指でドミソを押さえ、小指で1オクターブ上のドを押さえ、さらにあまった親指をその下に潜らせてミの音を鳴らせたといいます。


すべてに成功したかのように思えますが、挫折(ざせつ:くじけること)を経験しています。

完成した交響曲第1番が、ロシア五人組のキュイにこき下ろされ、自信をなくし作曲ができない状態になってしまいました。

そこから5年ほどたち、作曲する意欲を回復します。そうして書いた曲が大成功をおさめます。(ピアノ協奏曲第2番)

ロシアの十月革命で祖国を離れ、最終的にアメリカに渡り、コンサートピアニストとして活躍。

ピアニストとして成功し豊かな収入を得ると、革命後の混乱の中で困窮(こんきゅう:貧乏で苦しむこと)する芸術家や団体を金銭的に支援(しえん)することをおしみませんでした。

70歳を目の前にして(誕生日4日前)
​ガンのためアメリカの自宅で亡くなりました。

哀愁(あいしゅう:さみしくもの悲しい)のある
ロマンティックな音楽は、現在も人気があります。


 
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1873年4月1日生まれ

2023年はラフマニノフ生誕150年、
​没後80年の記念の年。

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前奏曲「鐘」Op.3-2 嬰ハ短調
演奏:セルゲイ・ラフマニノフ
ラフマニノフの出世作(しゅっせさく)。モスクワ音楽院のピアノ科を18歳で首席(1番の成績)で卒業し、その翌年に作曲科も首席で卒業。当時から大変な人気でラフマニノフの代表作になりました。「鐘」はラフマニノフがつけた題ではありません。本人は「前奏曲」とだけつけています。たいへん重厚感(じゅうこうかん:どっしりとして、あつみのあること)のある曲。フィギュアスケートの浅田真央さんがこの曲で選手の頃すべったことがあります。1892年作曲。
​ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18
演奏:辻井伸行
指揮:ファンホ・メナ
​BBCフィルハーモニック
ラフマニノフが交響曲第1番を酷評(こくひょう:思いやりのないきびしい批評)され、曲が書けなくなった後に復活し大成功をおさめた曲。ラフマニノフを代表する曲だけではなく、ロマンティックな美しさは、クラシック音楽の中でもよく知られている曲。1900-1901年作曲。
パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43 より 第18変奏
演奏:ダニール・トリフォノフ
​指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
​フィラデルフィアオーケストラ
​ロシアを離れアメリカで生活をするようになり、ピアニストとしての活動でいそがしくなったラフマニノフは作曲する気持ちをなくしていきます。そんな中、自然豊かなスイスで夏を過ごした時に、2カ月半で書き上げたのがこの曲。パガニーニとは、悪魔的と言われたヴァイオリンの名手。彼が作曲したヴァイオリンの有名なメロディーをテーマにして24の変奏曲を作ったのがこの曲。第18番目の変奏曲がとても美しく、この曲だけ単独で演奏されることもあります。1934年作曲。
​ヴォカリーズ Op.34-14
​演奏:アンナ・モッフォ
​ヴォカリーズとは、歌詞がなく母音のみで歌うものです。
この曲はラフマニノフの全作品の中で、ピアノ協奏曲第2番と並んで有名。作曲者が生きていた頃から人気のある曲で、様々な楽器のアレンジが作られました。ロシアらしい憂い(うれい:嘆き悲しむこと。心が晴れないこと。)のある美しい曲。「14の歌曲 Op.34」の最後の曲。この歌曲の中に、尊敬していたチャイコフスキーにささげた曲もあります。1915年作曲。
交響曲 第2番 Op.27 ホ短調より 第3楽章
指揮:ユージン・オーマンディ
​フィラデルフィア管弦楽団
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​ピアノ協奏曲第2番の成功で自信を取りもどし、結婚し、長女と次女をさずかり、仕事もプライベートも充実(じゅうじつ)した日々を過ごしていた頃の作品。第3楽章は4つある楽章の中でもよく知られている楽章。ラフマニノフらしい美しい曲。1906-1907年作曲。
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