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空の検索で58件の結果が見つかりました。

  • もっと知ろう!作曲家&作品 | Composer Sakkyokuka

    もっと知ろう!作曲家&作品 クラシック音楽の歴史は古く、たくさんの作曲家と 数えることが不可能なほどの曲があります。 知りたいけれど、どこから始めれば良いかわからない。 私は小学生の頃、ピアノの先生がその内、教えて下さる と思っていました。 しかし、いつまでたっても、その時は訪れませんでした。けっきょく、自分で楽譜を買ったり、ラジオを録音したりして曲を知りました。 このページをきっかけに、お気に入りの作曲家、作品、演奏家に出会っていただけたら、とてもうれしく思います。 ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、近・現代、と時代によって音楽の感じはちがいます。 オーケストラ、鍵盤楽器、弦楽器、管楽器、打楽器、オペラ、声楽、と演奏楽器もたくさんあります。 録音が発明されてからは、作曲者が演奏しているものも残っています。同じ曲でも、演奏する人によってちがう印象にもなります。 クラシック音楽は、まじめで分かりにくいと初めは思うかもしれません。曲の全部を好きになる必要はありません。たった4小節でも好きな所があれば良いのです。 すてきな出合いがありますように。 Harumi Sugibuchi

  • 弦楽器のための作品 | Composer Sakkyokuka

    弦楽器(げんがっき)を代表するヴァイオリン属(ぞく)を紹介(しょうかい)します。 ヴァイオリン  ヴァイオリン属(ぞく)の中で最も小さく、高い音を出します。あごで楽器をはさみ、弦をこすって音を出します。弦(げん)は4本です。  本体の大きさの標準は大人用フルサイズで35.5cm。 ヴィオラ  ヴァイオリンに比べ音の高さが5度低いです。また、大きさはヴァイオリンより5cmほど大きいですが、38cm~43cmと大きさにばらつきがあり、ヴァイオリンのように一定ではありません。  大きい方が音がよく鳴りますが、大きすぎると演奏(えんそう)がむずかしくなるので、標準(ひょうじゅん)は41cm。日本は小さめの40.5cmが好まれるそうです。  ヴァイオリンと同じく弦(げん)は4本。 楽譜は主にハ音記号を使います。高い音の時はト音記号になります。 チェロ   正式名はヴィオロンチェロ。弦の数は4本。低い音を出すために形全体が大きく厚(あつ)みが増しています。大きく重いので、あごにはさまず、エンドピンをゆかに立てて演奏します。弓はヴァイオリン、ヴィオラより太いですが、長さは短くなっています。  楽譜は音が低いのでヘ音記号を使いますが、高い音になる時とハ音記号を使います。 コントラバス   オーケストラで一番低い音を受け持ちます。クラシック音楽では主に弓を使い音を鳴らしますが、ポピュラー音楽やジャズでは指で弦をはじいて音を鳴らします。  大きさは170~200cm。弦の長さ95~120cmとけっこうばらつきがあります。国によって基準(きじゅん)が異(こと)なり、ヨーロッパの3/4サイズは日本の4/4フルサイズになります。  弦は4本または5本で太く低い音が出ます。楽譜はヘ音記号。楽譜の音より1オクターブ低い音が出ます。ピアノの一番低い「ミ」まで出せます。チューニングによってその下の「シ」まで出すこともできます。  立って演奏する時は楽器の横に体の左側をそわせ、左足や腰で楽器を支えます。オーケストラで座って演奏する時は立っている時とほぼ姿勢(しせい)が変わらないように、専用(せんよう)に作られた高いイスを使います。 ヴァイオリン ヴァイオリンは大人用フルサイズ4/4と子供用として6つのサイズがあります。身長に合わせサイズを決めます。145cm以上は大人用のフルサイズになります、 ヴィオラ ヴァイオリンより5度低い音を出すので、音楽では中音部を受け持つことが多いです。あたたかみのある音がします。 チェロ チェロの音域はヴァイオリンに次いで2番目に広いです。ヴィオラより1オクターブ下からヴィオラより4度低い音まで出すことができます。指のおさえ方によっては、もっと高い音まで出すことができるそうです。 サイズは120cm,重さは3.5kgくらい。ケースや弓をふくめると8kg以上になることもあるそうです。 コントラバス 日本ではポップスやジャズではウッドベースとよばれています。和製英語です。重さは約10kg。 【音域】 【ヴァイオリン】 ジュール・マスネ作曲: タイスの瞑想曲(めいそうきょく) ヴァイオリン:リュノー・キャプソン マスネが作曲したオペラ「タイス」の中の曲。第2幕の間奏曲です。アンコールの定番としてよく演奏されます。また、名曲コンサートのような企画(きかく)でも演奏されることが多いです。あまく美しい音楽です。 【ヴァイオリン】 ヴィットーリオ・モンティ作曲:チャールダーシュ ヴァイオリン:ディヴィット・ギャレット チャールダーシュはハンガリーのおどりの音楽から生まれたジャンル。居酒屋(いざかや)を意味するチャールダに由来(ゆらい)する言葉です。19世紀の音楽の都ウィーンでは、あまりの人気にチャールダーシュ禁止の法律が出たほど人気のある音楽でした。 音楽のとくちょうは、おそい部分とはやい部分があることです。おそい部分はかなりおそく、哀愁(あいしゅう)漂います。 【ヴィオラ】 J.S.バッハ作曲:ブランデンブルク協奏曲第6番 BWV1051 指揮・チェンバロ:トン・コープマン アムステルダム・バロック・オーケストラ ブランデンブルク協奏曲は全部で6曲ありますが、就職活動のために作られたと考えられています。長い期間にわたり作られた6曲の協奏曲を編成(へんせい)の大きなものから並べたようで、作曲順ではありません。なので一番大きな曲は第1番、この第6番は最も小さな編成になります。 弦楽アンサンブルでヴァイオリンが入らない曲はこの曲以外におそらくないと思います。たいへんめずらしい編成です。 全楽章聴くのは大変だと思いますので,楽章の始まりの時間を記しておきます。第3楽章は品よくおどっているような音楽です。 第1楽章0:00 第2楽章6:07 第3楽章11:08  【チェロ】 J.S.バッハ作曲:無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007 より 「プレリュード」 チェロ:M.ロストロポーヴィチ バッハの独奏(どくそう:一人でえんそう)用のチェロ曲は全部で6曲。長いこと単純な練習曲と忘れられていましたが、20世紀最高のチェリストとされるパブロ・カザルス(1876-1973)にその価値が再発見され、現代ではバッハの作品の中でも高く評価される曲のひとつとなっています。 第1番プレリュード(前奏曲)は6つの組曲の中で最も有名です。とぎれることなく続く16分音符の流れが、美しい和声をうき上がらせます。 【チェロ】 サン=サーンス 動物の謝肉祭より「白鳥」 チェロを代表する曲です。サン=サーンスがなかまで楽しむために作った「動物の謝肉祭(しゃにくさい)」の中の1曲。 他の作曲家や自分の曲をパロディにしているので、自分が生きている間はこの曲のえんそうもがくふのしゅっぱんも禁止(きんし)しました。しかし、この白鳥だけはオリジナルの曲であり、あるバレリーナがこの曲でおどりたい、がくふを出版(しゅっぱん)してほしいと言うので、その願いをかなえました。 【コントラバス】 サン=サーンス作曲:動物の謝肉祭より「ぞう」 白鳥と同じく動物の謝肉祭に登場する「ぞう」。 この曲はパロディで、メンデルスゾーンとベルリオーズという作曲家の曲を組みこんでいます。この2曲はようせいをテーマにしたもので、それを「ぞう」の曲にしたのです。ぞうが大きな体に天使の羽をつけて行進しているすがたを想像してみてください。 【コントラバス】 All of me 演奏:Piano Trio Triority ジャズではコントラバス(英語ではダブルベース)は弓を使わず、指で弦をはじいてえんそうします。 ジャズの音楽はクラシック音楽とちがい、がくふ通りには進みません。基本のメロディーはありますが、楽譜はないと言ってよいです。えんそう者のその場のアドリブで音楽が進んで行きます。コード(和音)進行も基本的にありますが、そこに自由に音をくわえてえんそうします。リズムも自由に作ります。 Up

  • グリーグ | Composer Sakkyokuka

    エドヴァルド・グリーグ  (1843-1907 ノルウェー) 後期ロマン派の国民楽派の作曲家。ノルウェーの民族音楽を活かした音楽を作りました。 5人兄弟の4番目。ピアニストだった母に6歳からピアノを学び、15歳の時に才能を認められ、ドイツのライプツィヒ音楽院でピアノと作曲を3年半学び、19歳で首席(一番の成績)で卒業。 いとこでソプラノ歌手のニーナと結婚。生涯たいへん仲の良い二人でした。 二人ともたいへんおだやかで、心の優しい人物でした。この二人に会ったチャイコフスキーが「二人とも無邪気(むじゃき)で素直で、良い人たちだ」と言っています。 グリーグはとても小柄(こがら)で152㎝だったといわれています。 ピアニストとしても有名で、自作の曲を持ち、ヨーロッパをたびたび演奏旅行しました。 演奏会の時はあがらないように、ポケットの中に小さなカエルの置物(おきもの)を入れ、そっとにぎりしめていたそうです。 ノルウェーはスウェーデンとの連合国でした。ノルウェーの音楽界はスウェーデンより盛んではなく、グリーグはノルウェーの音楽界を活性化させようと力をつくしました。 代表作となる「ピアノ協奏曲」がリストに認められ、グリーグの名は海外に知れ渡りました。さらに「ペールギュント」の作曲の成功により、世界的な作曲家となりました。 その間、悲しいこともありました。ピアノ協奏曲が書かれた年に生まれた一人むすめが、翌年亡くなりました。 世界を回っての演奏旅行で、次第にグリーグの健康が悪化。イギリスに向かうとちゅうで体調をくずし、ベルゲン(グリーグが住んでいた町)の病院に運ばれ、治療のかいなく、息をひきとりました。 1905年のノルウェーの独立を見とどけた2年後でした。 トロールハウゲン(妖精の丘の意味、グリーグ夫妻が住んでいた所)に作られたお墓に、妻のニーナと共にねむっています。 1843年6月15日生まれ ノルウェーのフィヨルド。大自然に囲まれた国。 トロールハウゲン(妖精の丘)のグリーグの家 作曲小屋 目の前は湖 ピアノ協奏曲 イ短調 ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス 指揮:ネヴィル・マリナー グリーグのただひとつのピアノ協奏曲で、数あるピアノ協奏曲の中でも非常に人気のある曲です。最初のティンパニのクレッシェンドのあとのピアノの部分は聞いたことがあるかもしれません。 これは、フィヨルドの滝の流れを表現しているそうです。 リストは、グリーグが持って来た手書きのこの曲の楽譜を初見で弾き、特に第3楽章をこれぞ北欧と絶賛しました。ノルウェーの大自然を感じさせる曲です。こちらの動画のピアニストはノルウェー出身のアンスネス。日本にもよく来日しています。 組曲 ホルベアの時代からOp.40より 前奏曲 演奏:ノルウェー室内管弦楽団 ホルベアとはグリーグと同じベルゲン出身の作家。ホルベア生誕200周年の記念祭のために作曲。ピアノ曲として作曲し、翌年グリーグ自身が弦楽合奏に編曲。今ではこちらの方が演奏されることが多いです。軽快に走り抜ける感じの前奏曲のワクワク感が 心地よいです。 ペールギュント第1組曲 Op. 46 より「朝」 指揮:ヴァシリー・ペトレンコ ロシア・ナショナル管弦楽団 ノルウェーのイプセンという作家が自分が書いた劇「ペール・ギュント」に音楽をつけてくれるようグリーグに頼みました。 物語は、母親と貧乏にくらすペールが、仕事もせず大きなゆめばかり見て、いつか自分は王様になるとあちこち旅をし、まわりに迷惑をかけながら大金持ちになるものの、お金をすべて失い、故郷に戻り、ずっと待っていてくれ目が見えなくなった恋人ソルヴェイグのひざの上で、自分の人生は何だったんだと思いながら亡くなる話です。 ペールギュント第1組曲 Op.46 より 「山の魔王の宮殿にて」 指揮:ネーメ・ヤネーメ ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 物語の音楽を作ったグリーグは、27曲作った中から8曲を選び、4曲ずつ分けて第1組曲、第2組曲を作りました。 第1組曲にある「山の魔王の宮殿」は、ペールが旅の中で出会った魔王に、魔王のむすめと結婚すれば魔王になれると思い結婚させてくれるよう頼みます。しかし、目玉を切りつけさせてくれたら、というのであわてて逃げ出します。魔王のけらいトロルたちに追いかけられ、つかまりそうになりますが、教会のかねが鳴り魔王の国は消えてしまいます。1:38あたりから大さわぎ、という感じです。 ペールギュント第2組曲 Op.55より「ソルヴェイグの歌」 歌:マリア・ソルベルグ(ソプラノ) ペールの帰りを待つソルヴェイグの歌。 冬も春も夏も過ぎ1年たった。あなたが帰って来ると信じている。わたしは待ち続ける。そう約束したから。もし天国にいるなら、そこで会いましょう、と歌います。 抒情小曲集(じょじょうしょうきょくしゅう) 第8集 Op.65-6 トロルドハウゲンの婚礼(こんれい)の日 演奏:レイフ・オヴェ・アンスネス 1867~1903年の36年という長い年月をかけて、全部で10集ある抒情小曲集を作りました。ひとつの集が6~8曲からできています。 トロルドハウゲンの婚礼の日はその中でも人気のある曲です。 グリーグ夫妻の結婚25周年(銀婚式)を記念して、作曲されました。 トロルドハウゲンの婚礼の日 演奏:グリーグ グリーグ自身による演奏です。テンポがけっこう速いです。 抒情小曲集 第5集 Op.54-3 小人の行進 演奏:ミハイル・プレトニョフ 第5集は抒情小曲集(じょじょうしょうきょくしゅう)の中で最高の完成度で、大成功をおさめた集です。ノルウェーの民族的な性格が濃い集です。「小人の行進」は特に人気のある曲で、トロルのわらい声が聞こえてくるような曲です。 抒情小曲集 第5集 Op.56-4 ノクターン 小人の行進と同じ第5集にある曲です。この曲もグリーグの人気をさらに高めました。ノルウェーの自然を感じさせる透明感があります。とちゅうで鳥の鳴き声も聞こえてきます。

  • ガーシュウィン | Composer Sakkyokuka

    ジョージ・ガーシュウィン (1898-1937 アメリカ) 20世紀のアメリカを代表する作曲家。 ジャズとクラシック音楽を融合(ゆうごう:ひとつにとけあうこと)させ、若くして世を去ったものの、短い期間に驚くほどの足跡をアメリカ音楽史に残しました。 4人兄弟の次男として生まれ、両親が長男のために買ったピアノに弟のガーシュウィンの方が興味を示しました。兄のアイラは文学好きで、のちに弟の歌の曲の歌詞を多数書くことになります。 ガーシュウィンが初めて聴いたクラシックの音楽は、ドヴォルザークの「ユーモレスク」。小学生の時でした。12歳から家でピアノを弾くようになり、13歳からピアノと和声のレッスンを受けるようになりました。 クラシックピアニストになるつもりでしたが、ピアノの先生が亡くなり、15歳で高校をやめて、楽譜を売るためのプロのピアニストとして働き始めました。 そこでジャズの多くの作品を知りました。 1919年に作った「スワニー」という歌が大ヒットし、ミリオンセラーとなり人気のソングライターになりました。 1920年以降は兄と組んで300曲以上のポピュラーソングを作りました。 オーケストレーションを学びたいと思い、フランスのラヴェル(印象派の大作曲家でオーケストレーションの魔術師といわれている。ボレロが有名)に教えてほしいと申し込みましたが、「あなたはすでに一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない」と言われたそうです。 1937年7月9日に脳しゅようのため昏睡状態となり、11日に38歳で亡くなりました。 1898年9月26日生まれ ドヴォルザーク ユーモレスク ブラームスに才能を見出されたチェコの作曲家。良いメロディーを数多く作っているので、ブラームスは、ドヴォルザークがゴミ箱にすてたメロディーで私は交響曲を1曲書くことができるだろう、と言っています。 スワニー 歌:ジュディ・ガーランド 1919年作曲のポピュラーソング。 ガーシュウィンが生涯で作った500曲以上ある歌曲の中でも多くの人に親しまれる曲のひとつ。 30分位で書き上げ、最初は特に注目されずにいましたが、アメリカを代表するエンターティナーのアル・ジョルソンという人が歌ったことで大ヒット。レコード225万枚、楽譜は100万部売れたそうです。 スワニー 演奏:ガーシュウィン(本人) ガーシュウィンは20世紀のシューベルト(古典派からロマン派にかけて活躍した歌曲王)とよばれるほど、美しいメロディーの歌を次々と作曲しました。 アイ・ガット・リズム 歌:ジョイス・ディ・ドナート(メゾソプラノ) 兄アイラ作詞で1930年発表の曲。現在でもこの曲はジャズのスタンダード・ナンバー(定番・ていばん:よく知られた曲)。 ミュージカル「ガール・クレイジー」のために作曲されました。 アイ・ガット・リズム 演奏:ガーシュウィン(本人) (この映像は、同じ演奏でカメラの別のアングルからとられたものが続いています。) ポーーギーとベスより「サマータイム」 歌:アディーナ・アーロン(ソプラノ) 指揮:アンドレアス・オロスコ=エストラーダ hr交響楽団 死の2年前に作曲したオペラ「ポーギーとベス」の中のアリア。 ジャズのスタンダード・ナンバーとしても知られています。このアリアは、物語の中で何度も歌われます。「ポーギーとベス」はアメリカ南部の貧しいアフリカ系アメリカ人の悲恋の物語。 ラプソディ―・イン・ブルー 演奏:ハービー・ハンコック(ピアノ) グスタヴォ・ドゥダメル(指揮) ガーシュウィンのピアノの代表曲。日本でもよく耳にする曲です。1924年1月作曲。 この曲が出来上がったきっかけはたいへん変わったものでした。 いそがしい日々を過ごしていたガーシュウィンが気分てんかんに、兄とビリヤードをしている時にたまたま見た新聞記事に、「現代音楽の実験」というコンサートのためにガーシュウィンがジャズ・コンチェルトを書いているとありました。そのような話は本人は知らず、まちがいだ、と電話をすると、そういうことになっているから、と急いで作曲をしなければいけないことに。 ボストン行きの汽車の中で列車が走る音を聞いて音楽が浮かんできたそうです。それを思わせるところがたくさんあります。 楽しい曲です。 パリのアメリカ人 指揮:アンドレアス・オロスコ―エストラーダ hr交響楽団 ラプソディー・イン・ブルーに次いで有名なガーシュウィンの器楽曲。1928年発表。パリを訪れた印象を音楽にしたような曲。 車のクラクションの音のために、パリのタクシーのクラクションをアメリカに持ち帰り、ニューヨークでの初演の時に使われました。 ピアノ協奏曲 ヘ長調 演奏:マルク=アンドレ・アムラン(ピアノ) 指揮:レナード・スラットキン ラジオフィルハーモニック・オーケストラ 1925年作曲。ラプソディー・イン・ブルーのオーケストレーションは、実はグローフェという作曲家に手伝ってもらったのですが、この協奏曲は全て自力で書いたそうです。初めて音楽理論の本を買って勉強したとか。カーネギーホールで本人のピアノ独奏、ニューヨーク交響楽団により初演。 第3楽章がカッコイイです。27:39~第3楽章

  • リスト | Composer Sakkyokuka

    フランツ・リスト (1811-1886 ハンガリー) ピアノの魔術師(まじゅつし)、とよばれた ロマン派の ピアニスト、作曲家、教育者。 当時のアイドル的存在(そんざい)で、リストの演奏を聴いて、興奮(こうふん)のあまり失神(しっしん)する女性ファンが続出しました。 ピアニストとしては、35歳で演奏活動をやめ、そのあとは、作曲活動と弟子のレッスンに集中しました。リストの弟子から、現代のピアノ演奏の中心となる、多くのピアニストの流れが生まれています。リストは、レッスン代はもらわずに多くの弟子を教えました。 そのリストはツェルニーの弟子です。ツェルニーは、ベートーヴェンの弟子です。つまり、リストはベートーヴェンの孫弟子(まごでし)というわけです。1823年にウィーンでコンサートを開いた時に、ベートーヴェンに会い、称賛(しょうさん)されています。モーツァルトと関係のあるサリエリには、作曲を習っていました。 どんな曲でも初見(しょけん)で弾けたリストですが、ショパンの作品10のエチュードは弾けず、当時住んでいたパリから突然姿を消し、数週間後に戻ってきた時には全曲を弾きこなし、ショパンを驚かせたといいます。それでショパンはこの曲をリストにささげています。 リストは自作の作品の他、編曲(へんきょく)も多い作曲家です。オペラのアリアやシューベルトの歌曲、バッハのオルガン曲、ベートーヴェンの交響曲全9曲など、多数の曲をピアノソロに編曲しています。 他の作曲家の作品を編曲をすることで、作曲の勉強にもなっていたようです。 リストは派手(はで)な人に思われがちですが、 キリスト教徒として信仰心(しんこうしん)の あつい人でもありました。 1811年10月22日生まれ ハンガリー狂詩曲(きょうしきょく)第2番  演奏:マルカンドレ・アムラン ピアノ協奏曲第1番 01:04:44~(3人目) 演奏:Tomoki Sakata(阪田知樹) メフィストワルツ 第1番 (村の居酒屋の踊り) 演奏:イム・ユンチャン 愛の夢 第3番 演奏:アルトゥール・ルービンシュタイン 超絶技巧練習曲より「雪あらし」 演奏:グリャズノフ・ヴァチェスラフ バッハの名による前奏曲とフーガ 演奏:Gerda Nagy

  • A.メンケン | Composer Sakkyokuka

    アラン・メンケン (1949-   アメリカ) ミュージカル音楽、映画音楽の作曲家、ピアニスト。特にディズニー映画の音楽で知られています。 父は歯医者およびブギウギのピアニスト、母は女優、ダンサー、脚本家。メンケンは少年時代から音楽に興味(きょうみ)を持ち、クラシック音楽を学びピアノとヴァイオリンを習いました。おさない頃に作曲も始めました。 高校生の頃にはバッハやベートーヴェンの曲を自分流にアレンジして弾いていました。 大学の医学部に進みましたが、とちゅうで音楽学にかわり、音楽学部を卒業しました。 卒業後にミュージカルの作曲に興味がまし、その作曲をしながらバレエ・モダンダンスのピアノ伴奏(ばんそう)、「セサミストリート」の作曲、ヴォーカルコーチなどで活躍しました。 ミュージカルの成功によりディズニー映画 「リトル・マーメイド」の音楽を手がけることになりました。 「リトル・マーメイド」「美女と野獣(やじゅう)」「アラジン」「ポカホンタス」でアカデミー賞を受賞。 バレエ・ダンサーと結婚し、ニューヨークに住んでいます。 1949年7月22日生まれ 動画が始まる時にCMが流れると思います。 画面にスキップの文字が出ると飛ばせます。 出ない時は曲が始まるまで待ってください。 リトル・マーメイドより「パート・オブ・ユア・ワールド」  原作は、アンデルセンの「人魚ひめ」  人間の王子に一目ぼれしたアリエルが嵐で海に投げ出された王子を助けます。アリエルはその美しい声とひきかえに、3日間だけ海の魔女アースラに人間にしてもらいます。その間に王子と愛をちかうという約束をしますが、アースラに邪魔をされうまくいきませんでした。王の力を得たアースラは海に嵐を起こし、アリエルと王子をおそいます。王子は沈没船でアースラに体当たりしアースラをたおすことに成功。 アリエルの父トリトンは2人の深い愛に心を動かされ、アリエルを人間にかえ、王子とめでたく結婚。  原作では、王子を助けたのは自分だと気付いてもらえず、人魚にもどるには王子を短剣でさし、その血をあびる必要がありました。しかし、人魚ひめは王子を短剣でさすことはできず、海に身を投げあわとなって消えてしまいます。  part of your worldとは、あなたの世界の一部に、という意味です。人間の世界の一人になりたいということです。 リトル・マーメイドより「アンダー・サ・シー」  カニのセバスチャンは、アリエルが恋に落ちたエリック王子と結ばれるために人間になりたいという望みに反対します。 人間の生活のたいへんさと、海中での不自由のない暮らしのよさを話しますが、アリエルは歌が終わる前に去ってしまい、セバスチャンの願いはとどきませんでした。 アラジンより「ア・ホール・ニュー・ワールド」  アラジンとジャスミンが魔法のじゅうたんにのって大空をかけるシーンで歌われます。  A whole new worldとは、まったく新しい世界という意味です。 美女と野獣 主題歌  森のおくにあるお城に住む若く美しい王子は、冷たく身勝手な性格だったので魔女に野獣の姿にかえられてしまいました。王子の魔法をとくには「真実の愛」を知ることだけ。魔女に渡された魔法のバラの花びらが全て散るまでに「真実の愛」を知らなければ、人間の姿にもどることはできません。  それから10年後、ベルという心やさしく美しいむすめがおそろしい野獣が住むお城に迷いこみます。  野獣のわがままで凶暴なふるまいにベルは城を飛び出してしまいます。ふぶきの中でオオカミにおそわれたところをかけつけた野獣に助けられます。これをきっかけに、みにくく凶暴な野獣の中にやさしさが残っていることにベルは気が付き、おたがいに心を通わせるようになっていきます。  最後は死にそうになっていた野獣にベルが愛の告白をし、魔法がとけ、野獣は美しい王子の姿にもどり2人は結婚します。 塔の上のラプンツェル より「輝く未来」  深い森の塔の上でくらすラプンツェルは母親の言いつけで一度も外に出たことはありませんでした。18さいのたんじょう日の前日に塔に侵入(しんにゅう)してきた大どろぼうフリンを長くのばした金色の髪(かみ)をあやつり、つかまえます。  外の世界への好奇心がおさえきれなくなり、フリンに案内を頼み、外の世界に飛び出します。  なぜずっと塔の上で生活をしていたのか、たんじょう日のたびになぜたくさんの光が空にまうのか、ラプンツェルの秘密が明かされていきます。

  • シューベルト | Composer Sakkyokuka

    フランツ・ペーター・シューベルト (1797-1828 オーストリア) 歌曲王とよばれるロマン派初期の作曲家。 1000曲近く作曲した内の600曲が歌曲。 音楽の都ウィーン生まれ、ウィーン育ちで、31年という短い生涯をほぼウィーンを離れることなく過ごしました。 父親は学校を経営(けいえい)しながらチェロを弾き、フランツに6歳頃にヴァイオリンを教えました。兄2人も弦楽器やピアノを演奏するアマチュアの音楽一家でした。 才能を発揮し、7歳頃に教会の聖歌隊(せいかたい)に入り、そこで音楽を学びました。 11歳の時に寄宿制神学校(寮で共同生活をしながら勉強する所)に合格し、その学校にあった現在のウィーン少年合唱団に17歳まで所属し音楽のせんもん的な教育を受けました。 この学校の同級生たちがその後、シューベルトを支えてくれます。 学校を卒業後は(1813年)、父が校長をしていた学校で先生としてはたらきました。 教師をしながらも作曲を続け、1815年にはすでに140曲の歌曲を作っています。その中には、有名な「野ばら」「魔王」があります。 1816年に教師をやめ作曲にせんねんします。生活は貧しくなりましたが、友人たちがいつも助けてくれました。 1821年に尊敬していたベートーヴェンに連弾曲を献呈(けんてい:目上の人にささげること)しました。その楽譜をベートーヴェンの所へ持って行きましたが、ベートーヴェンは留守で秘書のシンドラーが受け取りました。 このシンドラーは、ベートーヴェンが亡くなる前にシューベルトの歌曲のいくつかをベートーヴェンに見せました。 それを見たベートーヴェンが「かれには本当に神の光がやどっている」と毎日何時間もその楽譜を見ていたそうです。 シンドラーのはからいで、シューベルトは死の直前のベートヴェンに会うことが出来ました。最初で最後の出会いでした。 ベートーヴェンのおそうしきのあと、友人たちとお酒を飲みに行き、そこで「この中で、もっとも早く死ぬやつにかんぱい」とシューベルトは音頭をとりました。友人たちは不吉な感じがしたそうです。 そして、ベートーヴェンの死の翌年にシューベルトは病気のため31歳で亡くなりました。 シューベルトの遺言(ゆいごん)の通りに、ウィーン中央墓地でベートーヴェンの隣にシューベルトはねむっています。 ウィーン中央墓地 左:ベートーヴェン 右:シューベルト 中央:モーツァルト 1797年1月31日生まれ シューベルトの曲の作品番号は、 Op.(オーパス)のほかに、 D.(ドイチュ)があります。 ドイツ人のドイチュという人が シューベルトが作曲をした年代順に並べた作品リストを1951年に 作りました。それがD.番号です。 Op.の方は、シューベルトの生前に 出版された順につけられただだけの番号です。作品番号のない曲も多いため、近年ではD.番号の方が多く用いられます。 野ばら Op.3-3 D.257 演奏:フィッシャー・ディスカウ(バリトン) ジェラルド・ムーア(ピアノ) 1770年頃のゲーテの詩を歌にしました。魔王とならぶシューベルトの初期のけっ作。小さく美しい野ばらを見つけた少年が最後に野ばらを折ってしまいます。歌の声の変化を聞いて下さい。 魔王 Op.1 D.328 演奏:フィッシャー・ディスカウ(バリトン) ジェラルド・ムーア(ピアノ) シューベルトが18歳の時の作品。詩はゲーテ。 歌手は一人で語りて・魔王・子供・父親の4役を演じ分けます。 夜中に高熱を出したむすこをだき、父親が馬をとばし医者のもとに走ります。子供が父親に魔王が見えないのかと訴えますが、父親は気のせいだろうと言います。父はむすこの具合が悪くなっていくことにおそれながら馬を走らせます。しかし、医者の館に着いた時には・・・ ます Op.32 D.550 演奏:フィッシャー・ディスカウ(バリトン) ジェラルド・ムーア(ピアノ) 1817年(20歳頃)の作品。シューベルトの歌曲の中でも人気のある曲。ずるがしこい漁師がわなを使って魚を釣り上げる話。 ピアノ五重奏曲「ます」イ長調 D.667 第4楽章 22歳の時の作品。この楽章は、歌曲の「ます」のメロディーを使って6つの変奏曲(へんそうきょく)にしてあります。 アヴェ・マリア Op.52-6 D.839 演奏:バーバラ・ボニー(ソプラノ) ジェフリー・パーソンズ(ピアノ) 晩年(ばんねん:一生の末の死に近付いた時期)の1825年作曲。 アヴェ・マリアとして知られているこの曲は、正しくは「エレンの歌第3番」と言います。Lady of the Lake(湖上の貴婦人)という物語の中から詩がとられています。湖上の貴婦人エレンが王から追われ、マリア様に助けを求める時の詩が歌になっています。 4つの即興曲(そっきょうきょく)より Op.90-2 変ホ長調 演奏:クリスティアン・ツィメルマン 晩年1827年作曲。4曲とも個性的で美しい作品。 この第2番は、ピアノ学習者にもよく弾かれる曲です。 音階(スケール)が中心の曲です。シューベルトの曲は、調性がとつぜん変わることが多く、その不安定さが、はかなさ、美しさを感じさせます。 4手のための3つの軍隊行進曲より第1番 ニ長調 演奏:アナスタシア・ヴォロターニャ(プリモ)& アンドラーシュ・シフ(セコンド) シューベルトは生涯にわたり連弾曲を作り続けました。 連弾を流行させたのは、バッハのむすこヨハン・クリスティアン・バッハとモーツァルトです。シューベルトはそのすぐ後の時代の人です。シューベルトが生きている間に出版されたピアノ曲は13曲だけでしたが、連弾曲は56曲も出版されています。 それだけ連弾が家庭やサロンコンサートでよくえんそうされたということです。 楽興の時(がっきょうのとき)第3番 へ短調 D.780 演奏:内田光子 1823-1828年にかけて作曲されました。楽興の時は全部で6曲あります。日本語では楽興の時と言いますが、原題はMomens Musicaux(いっしゅんの音楽)です。 この第3番は6曲の中で最もよく知られていて、シューベルトが生きている頃から人気がありました。第3番は特に短く2分かかりません。 ロザムンデ間奏曲 第3番 指揮:クラウディオ・アバド ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 「キプロスの女王ロザムンデ」という劇に付けた音楽の中の曲。 自分が王のむすめとは知らずに育ったキプロスのロザムンデのお話。最後は、おさない時から定められていたこんやく者の王子とけっこんし、ハッピーエンド。 この曲のメロディーは、ピアノ曲4つの即興曲第3番、弦楽四重奏曲第13番にも使われています。 「ます」もそうですが、シューベルトはお気に入りのメロディーをほかの曲にもよく使っています。

  • サウンド・オブ・ミュージック | Composer Sakkyokuka

    サウンド・オブ・ミュージック ミュージカルの映画です。1965年に作られました。 ミュージカルとは、歌、ダンス、芝居(しばい)を組み合わせた演劇(えんげき)です。 サウンド・オブ・ミュージックのお話は、実話(じつわ:本当の話)をもとにしています。 第2次世界大戦(せかいたいせん)直前のナチスに支配されていたオーストリアで、トラップ・ファミリーという家族が、歌で人々をはげまし続けたお話です。 舞台(ぶたい:物語が起きた場所)はオーストリアのザルツブルク(時代はちがいますがモーツァルトが生まれた町)。 母をなくしたトラップ家の7人の子どもたちの家庭教師になったマリア。マリアは歌が大すき。 子どもたちは母をなくしてから音楽をしたことがなく、歌い方を知らないと言います。そこで、マリアは音楽の基礎(きそ)ドレミの歌から教えます。 音楽とあたたかな人がらで、子どもたちの心を開いていきました。しかし、子どもたちの父であるトラップ大佐(たいさ)とは、なかなかうまくいきませんでした。 ところがマリアは、次第に大佐をすきになります。大佐に再婚(さいこん)話がもちあがり、マリアは悲しい気持ちのまま子どもたちのもとを去り、修道院(しゅうどういん)に帰ります。 子どもたちはマリアをつれもどそうとしますが、会えませんでした。 その後、ある歌がきっかけでマリアは子どもたちのもとにもどります。そのすがたを見た大佐も自分はマリアのことがすきなのだと気付きました。 2人は結婚(けっこん)しましたが、ナチスの任務(にんむ)につくよう大佐は命令されます。しかし、ドイツがオーストリアを併合(へいごう:国の領土をうばうこと)したことに反対していた大佐はそれをこばみ、一家でスイスに亡命(ほかの国に逃げること)することを決めます。 大佐を無理にナチスの任務につれていこうとした時、一家で合唱コンクールに出るから行かれない、終わったら行くと話します。大佐はコンクール出場に反対をしていたのですが、まさかの自分もコンクールに出ることになります。 コンクールの結果発表のすきに、一家はマリアのいた修道院に行き、そこから歩いて山をこえてスイスへむかいました。その時歌われたのが、マリアがトラップ家にもどるきっかけになった歌「すべての山にのぼれ」です。 実話のトラップ一家は、アメリカに亡命し家族で合唱をして成功をおさめました。 動画が始まる前にCMが流れると思います。画面にスキップの文字が出ると飛ばせます。出ない時は曲が始まるまで待ってください。 ドレミの歌 マリアがトラップ家の子どもたちにドレミを教える場面の曲。 各フレーズの最初の言葉が「ドレミファソラシ」からはじまり、音も「ドレミファソラシ」になっています。 日本語の歌詞は独自(どくじ)に作られ、ドはドーナツのドと始まりますが。英語の歌詞は、「初めの初めから始めましょう 始めるにはそこが一番よ 読み方の初めはABC、歌う時は、ドレミからよ・・ドは、シカ、メスのシカ」と始まります。 エーデルワイス 7人の子どもたちの母親が亡くなってから歌うことをしなくなったトラップ大佐がひさしぶりに歌う歌です。 エーデルワイスはアルプスに咲く白く小さな花です。大切な思い出という花言葉があります。 わたしのお気に入り かみなりをこわがる子どもたちがマリアの部屋に来た時に、子どもたちを元気つけようと歌います。また、マリアがトラップ家に帰ってきた時にも歌われます。 歌詞は「バラをつたう雨つぶと子ネコのひげ、ピカピカの銅(どう)のやかんとあたたかい毛糸のミトン、ひもで結ばれた茶色いつつみ、それがわたしのお気に入り」と始まります。 サウンド・オブ・ミュージック 映画の最初に歌われる曲。ザルツブルクの美しい山々にかこまれた緑の大地で歌われます。 歌詞を日本語に訳すと、山々は音楽の調べにあふれている。山々はわたしの心を音楽で満たす。私の心は聞こえる全ての歌を歌いたくなる。という内容です。 ひとりぼっちの羊かい マリアと子どもたちが家を訪れたお客様の前でひろうした人形劇(げき)で歌った歌。その歌のすばらしさと人形劇のおもしろさにトラップ大佐も大喜び。のちにファミリー合唱団として音楽祭に出演(しゅつえん)するきっかけになった場面です。 ちなみに、ザルツブルクにはマリオネット劇場という人形劇せんようの劇場があります。世界で最も古いマリオネット劇場のひとつです。 すべての山をのぼれ この歌が歌われる場面は2つあります。 ひとつは、マリアがトラップ大佐の再婚話を聞き、悲しみでトラップ家から逃げ出し修道院に帰った時に、修道院長がマリアに「全ての山に登って、あなたのゆめを見つけなさい」と歌う場面。 もうひとつは、一家がスイスに亡命するためにアルプスの国境を越える最後の場面で歌う場面。 歌詞の意味は、 「すべての山を登りなさい。あちこちさがして、知っているわき道も小道もたどって。 すべての山に登りなさい。すべての川をわたって、にじをおいかけて、あなたのゆめをつかむまで。 ゆめを手にするために、あなたが与えることのできるすべての愛を、来る日も来る日も、生きているかぎり」 人生のチャレンジや困難をのりこえ、ゆめにむかって進むことをおうえんする歌です。 Up

  • メンデルスゾーン | Composer Sakkyokuka

    フェリックス・メンデルスゾーン (1809-1847 ドイツ) ロマン派(19世紀初め~20世紀初めの音楽)の作曲家。 銀行家の息子で、裕福(ゆうふく:財産や収入にめぐまれていて、生活がゆたかなこと)な家庭で育ちました。 しかし、ユダヤ人であったために差別を受けることが少なくなかったと言います。 父親がフェリックスが7歳の時に、キリスト教に改宗(かいしゅう:信仰する宗教を変えること)させています。 改宗前は公立の学校へは通うことが出来ず、家庭教師によって、語学、算数、文学、地理、歴史、体操、水泳、乗馬、図画、音楽など、あらゆる分野の高い水準(すいじゅん)の教育を受けました。 ラテン語、イタリア語、フランス語、英語が話せました。 9歳の時に、神童(しんどう:ひじょうにすぐれた才能をもつ子供)ピアニストとしてデビュー。 メンデルスゾーンの大きな業績(ぎょうせき)は、忘れかけられていたJ.S.バッハを 復活(ふっかつ)させたことです。 J.S.バッハの死後初めて100年ぶりに「マタイ受難曲(じゅなんきょく)」を指揮し演奏しました。この時、20歳。 J.S.バッハの作品は一部の鍵盤楽器(けんばんがっき)の曲をのぞき、わすれられていました。この曲をきっかけにJ.S.バッハの音楽が再評価(さいひょうか:あらためて価値があるか見定めること)されました。 メンデルスゾーンの大叔母が、バッハの 長男W.F.バッハの教え子で、その弟C.P.E.バッハ(バッハの次男)の経済的支援者だったことから、大叔母がバッハ一族の重要な自筆譜(じひつふ:作曲家が書いたがくふ)を持っていました。メンデルスゾーンは、J.S.バッハの作品を他の人よりも良く知る環境にあった、といえるかもしれません。さらに、その価値を見抜く力もあったのです。 指揮者という仕事を確立(かくりつ)したことも、メンデルスゾーンの業績のひとつです。それまでは、オーケストラを指揮する人は特になく、ヴァイオリンの人が弾きながら合図を送っていました。メンデルスゾーンは、世界で一番古いオーケストラ、ゲヴァントハウス管弦楽団の初代指揮者になりました。 音楽学校も作りました。 作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者、伴奏者、教育者、学校経営者として 忙(いそが)しく活動しました。 メンデルスゾーンには作曲家でもある4歳上の姉(あね)ファニーがいました。 1847年5月にファニーが脳卒中で突然亡くなりました。 ファニーは、ユダヤ系の音楽家である弟が差別を受けていたことで、彼(かれ)のよき理解者であり、心の支えでした。 姉が急死したことのショックと、非常に忙(いそが)しいスケジュールで体調をくずした弟フェリックスは、同じ1847年の11月に、同じく脳卒中で突然倒れ、帰らぬ人となりました。姉の遺(のこ)した曲を整理している最中だったといいます。 フェリックス・メンデルスゾーンの最期(さいご:命がつきるとき)の言葉は、 「疲れた、ひどく疲れた」でした。 1809年2月3日生まれ 現在のゲヴァントハウスとオーケストラ ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル 1805-1847    エピソード メンデルスゾーンと ショパンは仲が良かったそうです。 メンデルスゾーンは1809年生まれ、ショパン1810年、シューマン1810年、リスト1811年。ロマン派の大作曲家が続けて生まれています。 ショパンがシューマンと初めて会った日に、ショパンはメンデルスゾーンとチェスをしていて遅刻(ちこく)したとか。 メンデルスゾーンはシューマンとも親しくしていました。 創立(そうりつ)したライプツィヒ音楽院のピアノと作曲の教授としてシューマンを招いています。 この音楽院へ1901年に、日本の滝廉太郎が留学しています。 無言歌集 第5巻 Op.62-6 イ長調「春の歌」 演奏:杉谷昭子 無言歌集 第2巻 Op.30-6 「ベニスの舟歌」 演奏:べネタ・ネインスカ 無言歌(むごんか)は、ドイツ語の原題では「言葉のない歌」と いいます。第8巻まであり、それぞれ6曲ずつあります。これらの 曲は、1831年から1845年の間に作られました。 メンデルスゾーンが自分でつけた題名は5曲だけです。 「春の歌」は、この曲集の中でもっとも有名な曲ですが、題名を 付けたのは出版社です。曲の始めに「春の歌のように」と書いて あることから、そのような題名にしたと考えられます。 1832年作曲。 「ベニスの舟歌」はメンデルスゾーン本人がつけた題名です。 無言歌集には、「ベニスの舟歌」が全部で3曲あります。その内の1曲です。かなしみを感じる曲です。この曲が作られた年はわかっていませんが、1835年に出版されています。ピアノレッスンでも良く弾かれる曲です。 歌の翼に 演奏:バーバラ・ボニー ハイネの詩による歌曲で、世界的によく知られた曲。 1836年作曲の「6つの歌」Op.34の第2曲。 歌の翼に乗って、静かな月明かりに照らされる、ガンジス川の 美しい野まで君を連れていこう、幸せな夢を見よう、という歌。 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64 演奏:庄司紗矢香 指揮:ミハイル・ユロフスキ ロシア国立交響楽団 3大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれるもののひとつで、すべての ヴァイオリン協奏曲の中で最も有名な曲と言ってもよいほどす。メンデルスゾーンらしい上品で美しい曲です。全楽章続けて演奏され、さらにヴァイオリニストがほぼ休みなく弾き続けます。 6年かけ、1844年に完成。初演の指揮はメンデルスゾーンの 予定でしたが、体調をくずし、副指揮者が行いました。 真夏の夜の夢より「結婚行進曲」 指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー ロンドン交響楽団 「真夏の夜の夢」序曲を姉ファニーと連弾で楽しむために作曲。 それをすぐにオーケストラに編曲。この時17歳。驚くほどの完成度で、プロイセン王に頼まれ、シェイクスピアの喜劇「真夏の夜の夢」の付随音楽を書くことになりました。この曲はその中の1曲。1843年完成。 ロンド・カプリチオーソ ホ長調 Op.14 演奏:ホルヘ・ボレット ピアノ学習者によってひかれる機会の多い曲。はなやかな曲です。 以前は、メンデルスゾーンが15歳の頃の作品と考えられていまし たが、現在では1828年に作曲されたと考えられています。 アンダンテ(歩くような速さ)とプレスト(急速に)の2つの 部分から出来ています。ミュンヘンの女性ピアニストのために 作曲したそうで、彼女はメンデルスゾーンの初恋の相手だった そうです。カプリチオーソとは、気まぐれにという意味です。 プレストは2分34秒あたりから。 オルガンソナタ 第3番 Op.65-3 演奏:Hinszorgan Kampen メンデルスゾーンはオルガンの名手でもありました。 オルガニストとしての集大成として1845年に6曲のオルガン ソナタを出版しました。この第3番は、姉ファニーの結婚式のために作られました。2つの楽章から構成されています。第1楽章は、 晴れやかに始まります。とちゅう(5分あたり)からふんいきがかわり、足鍵盤も速い動きになります(6分あたりから)。オルガンの足鍵盤はつま先とかかとを使ってえんそうします。オルガンはアシスタントが付くことが多くあります。譜めくりのほかに、ストップ(レジスター)というオルガンのりょうわきについている音色を変えるための栓(せん)をそうさするためです。 ファニー・メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 ニ短調 Op.11 より 第1楽章 姉ファニーの作品の中でも有名な曲。 女性がプロの音楽家になることが難しかった時代であるために、 並はずれた才能がありながら、父親から作曲や自作の演奏をやめさせようとされていました。結婚後、音楽的才能の最大の理解者である夫から自作を公表、出版するよう根気強く説得され、亡くなるまでの数年間、積極的に活動。弟よりも才能があったのではないかといわれています。無言歌集の何曲かは姉の作品と言われています。

  • ラヴェル | Composer Sakkyokuka

    モーリス・ラヴェル (1875-1937 フランス) ドビュッシーと同じく印象派の作曲家。 オーケストレーションがたいへんうまく、管弦楽(オーケストラ)の魔術師といわれています。 (ガーシュウィンがラヴェルにオーケストレーションを習いたいと言った時に、あなたはすでに一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない、と言っています) ラヴェルはスペインに近いバスク地方で生まれました。 父親が音楽好きで、6歳からピアノを始め、12歳で作曲の基礎(きそ)を学び、 14歳でパリ音楽院に入学。両親とも音楽の道に進むことを応援(おうえん)してくれました。 有名なローマ大賞(ドビュッシーも3回挑戦し、ローマで勉強を始めたものの、イタリアが合わず、勉強期間のとちゅうで帰ってきてしまいました)に5回挑戦しましたが、落選。 特に、5回目は予選落ちだったので、すでに名作を世に送り出していたラヴェルが落選するのはおかしい、と音楽家たちが騒ぎ出しました。ラヴェル事件といわれています。 大賞は逃しましたが、ラヴェルは名作を次々と作り出しました。この頃がラヴェルの一番良い時でした。 39歳の時に第一次世界大戦が始まり、祖国のために志願兵となり、最前線に弾丸や大砲の弾を運ぶ危険な任務につきました。 兵役中の42歳の時に母親が亡くなり、ラヴェルにとって人生最大の悲しみとなり、作曲の意欲が急激(きゅうげき)に衰えます。 母の死後3年たっても立ち直れずにいましたが、オーケストレーションのうまいラヴェルにムソルグスキーの「展覧会の絵」のオーケストラへの編曲の仕事が来ました。 パリオペラ座で演奏され、これがきっかけで「展覧会の絵」は一気に世界的に有名になりました。 その後、アメリカから仕事の依頼があり、4カ月におよぶ演奏旅行を行い大成功。 これにより、ラヴェルは世界的に有名になりました。 しかし、アメリカから帰国後、以前からなやまされていた軽度の記憶障害、言語障害が進み、作曲がほぼできないようになってしまいました。帰国後にラヴェルが完成させた曲はたった4曲です。 57歳の時にタクシーに乗っている時に交通事故にあい、さらに病気が進み、手足もうまく動かせなくなって行きました。 病気が進むにつれ、ラヴェルは心を閉ざしていきます。 文字も書けなくなり、「私の頭の中にはたくさんの音楽が豊かに流れている。それをもっとみんなに聴かせたいのに、もう一音も曲が書けなくなってしまった」と言っています。 1937年12月17日に脳の手術を受けましたが、12月28日に意識がもどらないまま亡くなりました。 1875年3月7日生まれ 亡き王女のためのパヴァ―ヌ 指揮:小澤征爾  サイトウキネンオーケストラ パリ音楽院の学生だった頃に作曲。ラヴェルの代表作のひとつ。 ピアノ曲として書かれ、のちにラヴェル自身がオーケストラに編曲しました。パヴァ―ヌとはスペインに起源を持ち、お城でおどる2拍子でゆるやかなテンポの音楽です。 ラヴェルが晩年に記憶障害が進んだ時にこの曲を聞いて、「美しい曲だね。これはだれの曲だい?」ときいたと言います。 心にしみる本当に美しい曲です。 ボレロ 指揮:リオネル・ブランギエ フランス放送フィルハーモニー管弦楽団 バレリーナに頼まれて作曲したバレエ音楽。ラヴェルの代表作のひとつ。同じリズムが最初から最後まで同じテンポで続き、メロディーは2つだけ。それが管弦楽の魔術師の手により華麗(かれい)な音楽に作り上げられています。最初にフルートがメロディーをふき、次にクラリネット、ファゴットと次々と楽器が変わり、最後は圧倒的な大音量で終わります。アメリカから帰国した1928年作曲。 ボレロはスペインの3拍子の中くらいのテンポのおどりの曲です。 水の戯れ(みずのたわむれ) 演奏・辻井伸行 パリ音楽院の学生だった1901年作曲。「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」といっしょに初演(その曲が初めてお客様の前で演奏されること)されました。パヴァ―ヌの方は好評でしたが、こちらの曲は耳ざわりで不協和音(和音に合わない音)が多すぎるとサン=サーンスに言われました。しかし現在では、この曲ほど水の動きとその様子が見事に表現された曲はないと言われています。 夏に聴きたくなる1曲。 夜のガスパールより スカルボ 演奏:亀井聖矢 「夜のガスパール」はフランスの詩人の詩集です。ラヴェルはその中から3つの詩を選び曲を作りました。 第1曲は「オンディーヌ(水の精)」、第2曲「絞首台(こうしゅだい)」、第3曲「スカルボ」」です。 スカルボは、いたずら好きな小悪魔のことです。たいへん速い動き、はげしい強弱の変化、ぶきみなメロディー。ラヴェルは当時最も難しいとされていたバラキレフの「イスラメイ」よりも難しいテクニックが演奏するには必要と言っています。 こちらの演奏者、亀井さんは手がとても大きく、リストやラフマニノフと同じ12度届きます。 マ・メール・ロワ より 眠りの森の美女のパヴァ―ヌ 演奏:マリー・ジュゼフ・ジュドゥ&ミシェル・ベロフ ピアノ協奏曲 ト調調 ピアノ:マルタ・アルゲリッチ 指揮:エマニュエル・クリヴィヌ 「マ・メール・ロワ」とは、マザー・グースのことです。マザー・グースはイギリスで古くから伝わる歌(メリーさんのひつじ、ロンドン橋おちた、10人のインディアンなど)。 ラヴェルの「マ・メール・ロワ」はピアノ連弾のために作られました。1908~1910年に作曲。全部で5曲あります。 翌年、オーケストラに編曲。さらに劇場の支配人に依頼され、バレエ音楽として新しく曲をくわえ編曲しました。 この連弾曲集は、ラヴェルの友人の2人の子供にささげられました。「眠りの森の美女のパヴァ―ヌ」は、とても少ない音でゆっくりとした静かな曲ですが、たいへん美しい曲です。 亡くなる6年前に作曲され、完成された作品としては最後から2番目の曲。スペイン音楽やジャズの要素があります。 第1楽章はピシャリというムチのような音で始まり、リズミカルで明るい曲。第2楽章(9:33~)はラヴェルの曲の中でも特に美しい。アルゲリッチの演奏が絶品。第3楽章はにぎやかで、サーカスやパレードのようです。 演奏は1:00頃から始まりますので、最初の所はとばしてください。 ツィガーヌ ヴァイオリン:五嶋みどり ピアノ:ロバート・マクドナルド ツィガーヌとはロマ(ジプシー)のことです。ハンガリーの情熱的な音楽。1924年作曲。ヴァイオリンの様々なテクニックがもりこまれた、たいへん難しい曲。 ムソルグスキー作曲 ラヴェル編曲 展覧会の絵 指揮:クリスティアン・ヤルヴィ フランス国立管弦楽団 ロシアのムソルグスキーが作曲したピアノ曲「展覧会の絵」をオーケストラに編曲するよう指揮者に依頼され書いたもの。 1922年に初演され、これによりムソルグスキーの「展覧会の絵」は世界的に有名になりました。ピアノよりもオーケストラで演奏されることの方が多いほどです。

  • 声楽 ソプラノ・アルト | Composer Sakkyokuka

    歌うことを声楽(せいがく)と言います。 声の高さにより種類があります。 女性の高い声はソプラノ、低い声はアルトと言います。その中間はメゾソプラノと言います。 年齢(ねんれい)と共に声は低くなる、高い音が出しにくくなる傾向があり、ソプラノの人がメゾソプラノに変わることがあります。 ソプラノは声質により分類されます。代表的なものは次の通り。 ・コロラトゥーラ(高い音域を持ち、細かいパッセージや速い旋律を得意とする華やかな声) ・リリコ(表情豊かで柔らかな抒情的な声) ・スピント(情熱的で激しい感情を表す声) ・ドラマティコ(重厚でドラマチックな表現力を持つ声) ・スプレット(軽くかわいらしい声) オペラは声質により役柄が大体決まってきます 。 モーツァルト オペラ「フィガロの結婚」より 夜の女王のアリア <復讐の炎は地獄のように我が心に燃え> ソプラノ:ディアナ・ラムダウ コロラトゥーラを代表するアリアです。オペラのアリアの中でも超絶技巧を要求されます。 夜の女王の敵ザラストロにさらわれた娘が、いつの間にかザラストロの味方になり、それに怒った夜の女王が歌うアリアです。 プッチーニ オペラ「トゥーランドッド」より <氷の様な姫君の心も> ソプラノ:レオーナ・ミッチェル 氷のように冷たく心を閉ざした美しいトゥーランドッド姫。3つの謎が解けたら姫と結婚できる、もしできなかった時には首をはねられる。カラフ王子は父や奴隷のリューが止めるのも聞かず謎解きに挑戦。謎解きは成功したものの、姫は結婚をかたくなに拒みます。カラフ王子は自分の名前を当てられたら、自分の命を差し出すと逆に姫に謎解きを出します。王子の名前を聞き出そうとリューを拷問にかけますが、リューは決して王子の名前を言いません。そのシーンで歌われるのが「氷の様な姫の心も」。リューは王子の名前を明かさぬまま自ら命を絶ちます。 プッチーニ オペラ「蝶々夫人」より <ある晴れた日に> ソプラノ:エルモネア・ヤオ 明治の長崎を舞台にした話。長崎に駐留するアメリカ海軍士官のピンカートンと結婚した蝶々さんでしたが、ピンカートンは日本での任期を終えアメリカに帰国。必ず帰って来るという彼を信じて日本でひたすら彼を待ち続ける蝶々さん。 きっと夫は帰って来ると信じて歌うアリアが「ある晴れた日に」しかし、ピンカートンはアメリカ人妻を連れて戻って来ました。蝶々夫人との間にできた子供を引き取ろうとし、事情を指した蝶々夫人は刀で自ら命を絶ちます。悲しいお話です。 ビゼー オペラ「カルメン」より <恋は野の鳥> ソプラノ:エリーナ・ガランチャ 「カルメン」はオペラの中で人気ナンバーワンと言って良いほどです。物語は19世紀スペインが舞台。タバコ工場で働くカルメンは奔放なジプシー女。彼女を好きになってしまった兵士ドン・ホセが人生を狂わされ、最後はカルメンを殺してしまうところで幕が閉じます。 「恋は野の鳥」はカルメンがホセを誘惑する歌です。”私に惚れたらご用心」と歌います。 シューマン リーダークライスOp.39 第5曲「月夜」 ソプラノ:バーバラ・ボニー  ピアノ:ウラディーミル・アシュケナージ 声楽にはオペラ以外に歌曲もあります。ドイツ歌曲はリートと言われます。ロマン派の作曲家シューマンは歌曲王と言われるシューベルトに次いでドイツリートを数多く作曲しました。クララとの結婚後に数多く作曲されています。 この曲は透明感あふれる美しい曲です。天と地を月の光が一つに結び付けると歌います。 J.S.バッハ マタイ受難曲より「憐れみたまへ、我が神よ」 アルト:デルフィーヌ・ガルー アルトは女性の低い音域の声です。落ち着いた深みのある声です。地声にならず美しく響かせ、低い音での豊かな響きを作り出すことが求められます。 アルトは宗教曲で重要な役割をよく果たします。マタイ受難曲のアルトのこのアリアは有名で、ペテロがイエスを知らないと3度否定した後の悔恨と許しを乞う歌です。 Up

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