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クロード・ドビュッシー
(1862-1918 フランス)

印象派の作曲家。

印象派(いんしょうは)とは、20世紀初めにフランスで起きたクラシック音楽の流派(りゅうは)のひとつ。

ロマン派のように、はげしい感情や物語性を表すものではなく、主に気分やふんいきを表現するのが印象派です。

そして、はっきりとした長調、短調といったものをぼかし、古い時代の教会旋法(長音階、短音階とは別の音階)を用いたり、不協和音(合わない音をまぜて使うこと)を多用したりするのが、印象派の特長です。

そのようなことを最初に始めたのが、ドビュッシーといわれています。

音楽では和声法というものがあります。作曲をするときに、このような音の使い方は禁止(きんし)というものがあるのです。しかし、ドビュッシーは全くそのようなことを気にせず、自分の思うように作っていたので、いつも先生におこられていました。

けっきょく、このことが新しい作曲技法を生みだし、豊かな音色を持つ音楽を作り出しました。

ドビュッシーはパリから20㎞離れた町に生まれました。生活は豊かではありませんでしたが、しんせきの知り合いに7歳頃からピアノを習い始めました。
そして9歳頃には、父親の知り合いのつてで、ショパンの弟子といわれているモテ夫人にレッスンを受けました。夫人はドビュッシーの才能を見抜き、レッスン料をもらわずにレッスンをしました。

10歳でパリ音楽院に入学。
18歳の時にチャイコフスキーを長いこと経済的に援助(えんじょ)をしていたメック夫人の長期旅行にピアニストとして同行しました。夫人が主催(しゅさい)していたコンサートの連弾相手として、スイス、フランス、イタリア、オーストリア、ロシアをまわりました。メック夫人のはからいでチャイコフスキーに自分の作品を送りましたが、手きびしく批評(ひひょう)されました。

3回目の挑戦(ちょうせん)でローマ大賞(フランス国家が芸術を学ぶ学生にしょうがくきんを出してイタリアで勉強する機会を与えるもの)を受賞。審査員(しんさいん)の中にはサン=サーンスがいました。

ドビュッシーはローマに行ったものの、イタリアが合わず、勉強期間のとちゅうでパリに帰って来てしまいました。

ローマから帰国後、文学にも関心が深かったドビュッシーは多くの詩人たちと知り合いました。

1914年7月、第1次世界大戦が起き、作曲をする気力を大きく失いました。この頃ガンを発病。
出版社に頼まれたショパン全集の仕事で再び気力がもどり、ピアノや弦楽器のための曲を作りました。

1918年3月に自宅で死去。
翌年には、むすめのクロード=エマ(シュシュ1905-1919)がジフテリアで亡くなっています。




 
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1862年8月22日生まれ
ベルガマスク組曲より 月の光
​演奏:マリア・ジョアン・ピレシュ
​月の光はドビュッシーの作品の中で最も有名な曲。
1890年頃に作曲され、1905年に手直しをして出版。
月の光は最初は「感傷的な散歩(かんしょうてきなさんぽ)」
​という題がつけられていました。
​ベルガマスクとはヴェルレーヌという詩人の詩からきた言葉。


 
​前奏曲集第1集より 
亜麻色の髪の乙女(あまいろのかみのおとめ)
この曲もドビュッシーの代表的な曲です。
​題名は、ルコント・ド・リールという詩人の詩の一節からとられました。
前奏曲集は第2集まであり、それぞれ12曲ずつあります。
この第1集は1909年12月から約2カ月で完成しました。
2つのアラベスクより 第1番
​演奏:アルド・チッコリーニ
ドビュッシーの初期の作品。
アラベスクとは、アラビア風のもよう(からくさもよう)のこと。
この曲の右手3個、左手2個のポリリズム(両手のずれたリズムを同時にえんそうすること)がアラベスク風。

 
子供の領分よりゴリウォーグのケークウォーク
​演奏:チョ・ソジン
1908年完成。当時3歳だったむすめのシュシュのために作った作品。この作品は子供が弾くために作られたものではなく、大人が子供らしい気分になることをおもって作られました。
子供の領分は6つの作品から出来ていて、全て英語の題名がつけられています。
第1曲は「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」これはクレメンティという人の練習曲をつまらなそうに練習をしている子供の心を表した曲です。
​第6曲がこの「ゴリウォーグのケークウォーク」ゴリウォーグは絵本に出てくる黒人のお人形の名前、ケークウォークは黒人のダンスのひとつ。

 
版画より 雨の庭
​演奏:イヴォンヌ・ルフェビュール
1903年完成。3曲からできています。3曲目にあるこの雨の庭は、フランスの童謡が2曲使われているためか、初演の時からよくアンコールを求められたそうです。現在でも単独でひかれることが多い曲です。
​こちらの演奏をしているピアニストのルフェビュールは1986年に86歳で亡くなっています。教育活動にも情熱を注いだピアニストです。「Et on y va!(エ オニ ヴァ)」「さあ、行くわよ!」と言ってひき始めています。 
小組曲より 小舟にて・バレエ
演奏:ラン・ラン&クリストフ・エッシェンバッハ
1888~1889年に作曲された連弾(れんだん)のための曲。初期の作品。
4曲からできています。第1曲が小舟にて、第4曲がバレエ。
​その後、ドビュッシーの友人により4曲ともオーケストラに編曲されています。
演奏者のエッシェンバッハは現在は指揮者として活躍をしていますが、もともとピアニストとしてたいへん活躍していました。子供の頃から指揮者になる夢を持ち、ピアニストとして活躍しながら指揮者になるためにヴァイオリンも15年間習い続けたそうです。

 
映像第1集より 水の反映
​演奏:マルク-アンドレ・アムラン
ドビュッシーには映像(えいぞう)という題の曲が4曲あります。その内の3曲はピアノ曲。
ドビュッシーは水に関した曲を多く残していますが、この「水の反映(水に映る影)」は、その中でも特に有名な曲です。
オーケストラのための作品「海」(葛飾北斎の富嶽三十六景の海の絵からインスピレーションを得た曲)で印象主義を完成させ、ピアノ曲でもそれをいっそう追求したのがこの作品。
​繊細(せんさい)で高度な技術が要求されます。

 
牧神の午後への前奏曲(ぼくしんのごごへのぜんそうきょく)
​指揮:クリスティアン・マチェラル
​フランス国立管弦楽団
ドビュッシーの出世作(しゅっせさく)1892-1894年に作曲。
詩人マラルメの「牧神の午後」に感動し作曲。
牧神とはギリシャ神話の羊飼いと羊の群れを監視(かんし)する牧羊神で、パン、またはパーンといわれる神。人間と動物の身体を持ち、やぎのような角を持ちます。
牧神を表すパンの笛をフルートで演奏します。フルートではひびきが悪いとされている音からあえて始めて、けだるくぼんやりとしたふんいきを作り出しています。

 
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​ギリシャ神話の牧神(パン)
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