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フランツ・ペーター・シューベルト
(1797-1828 オーストリア)
歌曲王とよばれるロマン派初期の作曲家。
1000曲近く作曲した内の600曲が歌曲。
音楽の都ウィーン生まれ、ウィーン育ちで、31年という短い生涯をほぼウィーンを離れることなく過ごしました。
父親は学校を経営(けいえい)しながらチェロを弾き、フランツに6歳頃にヴァイオリンを教えました。兄2人も弦楽器やピアノを演奏するアマチュアの音楽一家でした。
才能を発揮し、7歳頃に教会の聖歌隊(せいかたい)に入り、そこで音楽を学びました。
11歳の時に寄宿制神学校(寮で共同生活をしながら勉強する所)に合格し、その学校にあった現在のウィーン少年合唱団に17歳まで所属し音楽のせんもん的な教育を受けました。
この学校の同級生たちがその後、シューベルトを支えてくれます。
学校を卒業後は(1813年)、父が校長をしていた学校で先生としてはたらきました。
教師をしながらも作曲を続け、1815年にはすでに140曲の歌曲を作っています。その中には、有名な「野ばら」「魔王」があります。
1816年に教師をやめ作曲にせんねんします。生活は貧しくなりましたが、友人たちがいつも助けてくれました。
1821年に尊敬していたベートーヴェンに連弾曲を献呈(けんてい:目上の人にささげること)しました。その楽譜をベートーヴェンの所へ持って行きましたが、ベートーヴェンは留守で秘書のシンドラーが受け取りました。
このシンドラーは、ベートーヴェンが亡くなる前にシューベルトの歌曲のいくつかをベートーヴェンに見せました。
それを見たベートーヴェンが「かれには本当に神の光がやどっている」と毎日何時間もその楽譜を見ていたそうです。
シンドラーのはからいで、シューベルトは死の直前のベートヴェンに会うことが出来ました。最初で最後の出会いでした。
ベートーヴェンのおそうしきのあと、友人たちとお酒を飲みに行き、そこで「この中で、もっとも早く死ぬやつにかんぱい」とシューベルトは音頭をとりました。友人たちは不吉な感じがしたそうです。
そして、ベートーヴェンの死の翌年にシューベルトは病気のため31歳で亡くなりました。
シューベルトの遺言(ゆいごん)の通りに、ウィーン中央墓地でベートーヴェンの隣にシューベルトはねむっています。
ウィーン中央墓地
左:ベートーヴェン
右:シューベルト
中央:モーツァルト
1797年1月31日生まれ
シューベルトの曲の作品番号は、
Op.(オーパス)のほかに、
D.(ドイチュ)があります。
ドイツ人のドイチュという人が
シューベルトが作曲をした年代順に並べた作品リストを1951年に
作りました。それがD.番号です。
Op.の方は、シューベルトの生前に
出版された順につけられただだけの番号です。作品番号のない曲も多いため、近年ではD.番号の方が多く用いられます。
野ばら Op.3-3 D.257
演奏:フィッシャー・ディスカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
1770年頃のゲーテの詩を歌にしました。魔王とならぶシューベルトの初期のけっ作。小さく美しい野ばらを見つけた少年が最後に野ばらを折ってしまいます。歌の声の変化を聞いて下さい。
魔王 Op.1 D.328
演奏:フィッシャー・ディスカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
シューベルトが18歳の時の作品。詩はゲーテ。
歌手は一人で語りて・魔王・子供・父親の4役を演じ分けます。
夜中に高熱を出したむすこをだき、父親が馬をとばし医者のもとに走ります。子供が父親に魔王が見えないのかと訴えますが、父親は気のせいだろうと言います。父はむすこの具合が悪くなっていくことにおそれながら馬を走らせます。しかし、医者の館に着いた時には・・・
ます Op.32 D.550
演奏:フィッシャー・ディスカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
1817年(20歳頃)の作品。シューベルトの歌曲の中でも人気のある曲。ずるがしこい漁師がわなを使って魚を釣り上げる話。
ピアノ五重奏曲「ます」イ長調 D.667 第4楽章
22歳の時の作品。この楽章は、歌曲の「ます」のメロディーを使って6つの変奏曲(へんそうきょく)にしてあります。
アヴェ・マリア Op.52-6 D.839
演奏:バーバラ・ボニー(ソプラノ)
ジェフリー・パーソンズ(ピアノ)
晩年(ばんねん:一生の末の死に近付いた時期)の1825年作曲。
アヴェ・マリアとして知られているこの曲は、正しくは「エレンの歌第3番」と言います。Lady of the Lake(湖上の貴婦人)という物語の中から詩がとられています。湖上の貴婦人エレンが王から追われ、マリア様に助けを求める時の詩が歌になっています。
4つの即興曲(そっきょうきょく)より Op.90-2 変ホ長調
演奏:クリスティアン・ツィメルマン
晩年1827年作曲。4曲とも個性的で美しい作品。
この第2番は、ピアノ学習者にもよく弾かれる曲です。
音階(スケール)が中心の曲です。シューベルトの曲は、調性がとつぜん変わることが多く、その不安定さが、はかなさ、美しさを感じさせます。
4手のための3つの軍隊行進曲より第1番 ニ長調
演奏:アナスタシア・ヴォロターニャ(プリモ)&
アンドラーシュ・シフ(セコンド)
シューベルトは生涯にわたり連弾曲を作り続けました。
連弾を流行させたのは、バッハのむすこヨハン・クリスティアン・バッハとモーツァルトです。シューベルトはそのすぐ後の時代の人です。シューベルトが生きている間に出版されたピアノ曲は13曲だけでしたが、連弾曲は56曲も出版されています。
それだけ連弾が家庭やサロンコンサートでよくえんそうされたということです。
楽興の時(がっきょうのとき)第3番 へ短調 D.780
演奏:内田光子
1823-1828年にかけて作曲されました。楽興の時は全部で6曲あります。日本語では楽興の時と言いますが、原題はMomens Musicaux(いっしゅんの音楽)です。
この第3番は6曲の中で最もよく知られていて、シューベルトが生きている頃から人気がありました。第3番は特に短く2分かかりません。
ロザムンデ間奏曲 第3番
指揮:クラウディオ・アバド
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
「キプロスの女王ロザムンデ」という劇に付けた音楽の中の曲。
自分が王のむすめとは知らずに育ったキプロスのロザムンデのお話。最後は、おさない時から定められていたこんやく者の王子とけっこんし、ハッピーエンド。
この曲のメロディーは、ピアノ曲4つの即興曲第3番、弦楽四重奏曲第13番にも使われています。
「ます」もそうですが、シューベルトはお気に入りのメロディーをほかの曲にもよく使っています。
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