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アラム・ハチャトゥリアン
(1903~1978 ジョージア)


旧ソビエト連邦の作曲家、指揮者。​

グルジア(現ジョージア)生まれのアルメニア人。民族音楽に親しみながら育ちました。
(ジョージア、アルメニアは黒海とカスピ海の間にあります。ロシア、トルコ、イラン、アゼルバイジャンと隣接しています)

他の作曲家とちがい、子どもの頃から音楽の教育は受けておらず、本格的に音楽の勉強を始めたのは18歳になってからでした。それまでは楽譜も読めなかったと言われています。

19歳でグネーシン音楽学校に入学し、チェロと作曲を学び始めました。26~31歳までモスクワ音楽院でさらに勉強を続けました。

33歳の時に「ピアノ協奏曲」を発表し、注目を集め、その後も名作を発表し音楽家としての名声を高めていきました。

しかし、1948年になると独裁者スターリンの文化政策によりハチャトゥリアンの音楽は監視下(かんしか:見張られること)におかれ、それが10年間続きました。(プロコフィエフも同じ目にあっています)

スターリンの死後(プロコフィエフは同じ日に亡くなっています)、監視の目はとかれ、自由に音楽が作れるようになり、自分のルーツであるアルメニアの民族音楽を取り入れた作品を多く作るようになりました。

1956年にグネーシンとモスクワ音楽院の教授になり、教育活動を始めました。

1963年には来日し、できたばかりの読売交響楽団と共演しています。

​亡くなる2年前まで作曲活動にはげみ、74歳でこの世を去りました。




 
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ハチャトゥリアン
​1903年6月6日生まれ

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​グルジアは現在は
ジョージアという国名

剣の舞(つるぎのまい)
指揮:小澤征爾
​ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

バレエ「ガイーヌ」の最終幕にある曲。クルド人が刀を持って舞う戦いの踊り。初演前日にクルド人の戦いの場面が追加されることになり、ハチャトゥリアンはきゅうきょこの曲を徹夜(てつや)で作りました。踊りにふさわしいリズムを机(つくえ)の上でたたきながら一気に書き上げたそうです。
​曲だけがあまりに有名になってしまい、「ミスター剣の舞」と言われるとむっとして、こうなると知っていたらこの曲は作らなかった、と言っています。

仮面舞踏会 より ワルツ
​指揮:ユーリ・シモノフ

「仮面舞踏会」という劇のための音楽として作られました。
ハチャトゥリアンはこの中から5曲を選び、オーケストラのための組曲にしました。ワルツはその1曲目です。劇音楽が演奏されることはまれですが、この組曲の方はしばしば演奏されます。
劇のあらすじは、仮面舞踏会で腕輪をなくしてしまった侯爵夫人が誤解(ごかい)から、自分の夫に毒殺される話です。アイスクリームに毒を盛って妻を毒殺した後、妻の無実を夫は知ります。

トッカータ
​ピアノ:レフ・オボーリン

トッカータとは鍵盤楽器(けんばんがっき)のために作られた技巧的で華やかな曲をいいます。この曲はモスクワ音楽院の学生だった29歳の時に作られ、6年後に出版されるとたいへん人気のある曲になり、ピアノを弾く人がみな弾きたがりました。アルメニアのエキゾチックな感じがする曲です。

​こどものアルバム第1集 少年時代の画集 より 
アンダンティーノ 

44​歳のときの作品。第2集もあり、そちらは65歳の時に作り「少年時代のひびき」といいます。どちらも10曲からなる曲集です。このアンダンティーノはピアノ学習者がよく弾く曲です。ハーモニーの美しい曲です。アンダンティーノはアンダンテよりやや速いテンポをいいます。アンダンテはもともと景色を見ながら散歩するという意味があります。
 

​こどものアルバム 第1集 少年時代の画集より 
エチュード

アンダンティーノと同じ曲集にあります。ハーモニーの美しさとリズムのおもしろさのあるみりょく的な曲です。エチュードとは練習曲のこと。この曲はスタッカートの練習曲です。

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