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エドワード・エルガー
​(1857-1937 イギリス)


威風堂々(いふうどうどう)、愛のあいさつの曲で知られる作曲家。

7人きょうだいで、プロ並みにヴァイオリンがうまかった父に、エルガー家の子供たちはみな音楽のてほどきを受けました。
エドワードは、10歳の頃には作曲をするまでになっていました。

15歳までふつうの学校に通い、その後、音楽の勉強をするためにドイツのライプツィヒ音楽院に留学するつもりでドイツ語の勉強も始めていましたが、海外で勉強をさせるだけのお金が父にはなく、あきらめなければなりませんでした。

けっきょく、エルガーは音楽の専門(せんもん)教育は受けておらず、最初の音楽の勉強は、教会の音楽と、10歳頃に自分で図書館に行って読んだ本で学んだものだけでした。その後は、自分でオルガンのテキストで練習し、音楽理論は自分で本を見つけて読めるものは全て読み、一人で勉強しました。

ふつうの仕事についた後、音楽教室を開きピアノとヴァイオリンを教え、ピアノの生徒だった女性と結婚します。婚約(こんやく)の時に彼女のために書いた曲が「愛のあいさつ」で、その後、エルガーの代表作のひとつとなりました。

​63歳の時に妻が亡くなり、作曲をする意欲(いよく)を失っていきました。

その約6年後に、録音の技術が新しくなり、エルガーは自分の曲の録音にとりかかりました。

晩年(ばんねん)は作曲の意欲が再びわき起こり、大きな作品を作り始めましたが、ガンのため、どれも未完成のまま、76歳で亡くなりました。



 

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​1857年6月2日生まれ

​アビー・ロード・スタジオ

新しくできたこのスタジオで初めて録音を行ったのがエルガー。「威風堂々」を録音しました。
このスタジオはビートルズのレコーディングで有名です。スタジオの最初の使用は、クラシック音楽のエルガーだったのです。

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​ビートルズ

​威風堂々(いふうどうどう)第1番

​エルガーと言ったらこの曲。イギリスでは第2の国歌といわれているほど愛されています。威風堂々とは威厳(いげん)が満ちあふれ立派(りっぱ)という意味です。
この曲の中間部(2:05~)は国王が「このメロディーは世界中で有名になる」と言い、この部分に歌詞を付けてほしいとエルガーにたのみ、ベンソンという詩人の詩をつけました。
イギリスで毎年開催されている世界最大の音楽祭「BBCプロムス」の最後の夜のコンサートでは、この曲が必ず演奏されます。1万人近くのお客さんがこの中間部を大合唱します。

​エグニマ変奏曲 より 第9変奏曲「ニムロッド」

ある秋の夜、エルガーがなにげなく弾いたメロディーを聞いた妻アリスが「すてきね」と気に入り、エルガーがそのメロディーを変奏して友人たちを思いうかべながら、「これは誰のことだと思う?」となぞかけをしたのがこの曲ができたきっかけです。変奏(へんそう)とはメロディーの元の形を残しながら変えていくことです。
エグニマとはギリシャ語で、なぞなぞという意味です。
第9変奏の「ニムロット」はこの変奏曲の中で最も人気があり、心がいやされる曲です。

​愛のあいさつ
​演奏:アルド・チッコリーニ

アリスとの婚約記念に作った曲です。アリスはピアノの生徒でした。エルガーより8歳年上で陸軍少将のむすめ。当時まだ無名の作曲家だったエルガーとの結婚をアリスの家は認めませんでした。反対をおしきっての結婚でした。
こちらの演奏をしているチッコリーニは2015年に他界しました。89歳の時の演奏を日本で聴きましたが、その年齢とは思えない全くぶれない安定した音。音楽を楽しむ姿に感動しました。
​チッコリーニはこの年齢でも全て暗譜で演奏していました。どんな曲でも人前に出すのに2年間勉強していたそうです。以前に弾いたことがある曲でも、ゼロから勉強をし直して2年かけて準備したそうです。

​愛のあいさつ
ヴァイオリン:ダニエル・ホープ
ピアノ:ジャック・アモン
​ドイツ室内オーケストラ・ベルリン

エルガーは「愛のあいさつ」を、ピアノで演奏するもの、ピアノとヴァイオリンで演奏するもの、小編成のオーケストラで演奏するものの3つの版を残しました。「愛のあいさつ」は、威風堂々とならぶエルガーの人気曲です。

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