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J.S.バッハ、ヴィヴァルディ、ヘンデル以外のバロック時代の作曲家たち
ヨハン・パッヘルベル
(1653ー1706 ドイツ)
作曲家、オルガニスト、教育者。
バロック中期の最も重要な作曲家の一人で200曲以上作曲しています。パッヘルベルの作品は生前から人気があり、現在でもかれの「カノン」は有名。
ドイツで育ち、20歳の時にオーストリアのウィーンのシュテファン大聖堂のオルガニストを5年間つとめたあと、ドイツに移り、そこでバッハ家の人々と出会いました。
J.S.バッハの14歳年上の兄の家庭教師をつとめました。兄が結婚する時に、招待されたパッヘルベルと9歳のJ.S.バッハが生涯でただ一度その時に会ったと言われています。
トマゾ・アルビノーニ
(1671-1751 イタリア)
作曲家として活躍したにもかかわらず、どのような生涯を送ったかはほとんどわかっていません。
当時の音楽家は教会や宮廷につかえていましたが、アルビノーニは一人で自由に作曲をしていました。
生前はオペラ作曲家として知られていましたが、69歳の時に最後のオペラが上演されて以降は足取りがつかめていません。
アルビノーニの器楽曲はJ.S.バッハが非常に関心を持ち、アルビノーニの主題による曲を少なくとも2曲残しています。
ジャン=フィリップ・ラモー
(1683-1764 フランス)
フランスの作曲家、音楽理論家。
教会のオルガニストを務め、作曲で有名になったのは40代になってからでした。50歳頃からはオペラに没頭するようになりました。
音楽理論の和音の転回形や調性(ハ長調、イ短調など24調)を理論的にまとめた最初の人として有名です。ハーモニーという言葉を和音や和声の意味で使い始めたのもラモーです。
ベネデット・マルチェッロ
(1686-1739 イタリア)
数学者、哲学者、音楽家として多分野で活躍したイタリア人貴族。協奏曲(コンチェルト)を多く作ったことで有名。
代表作のひとつ「オーボエ協奏曲に短調」は、J.S.バッハによりチェンバロ用に編曲されています。

1653年9月1日生まれ

1671年6月8日生まれ

1683年9月25日生まれ

1686年8月24日生まれ
パッヘルベル「カノン ニ長調」
指揮・チェンバロ: Yago Mahugo
Ímpetus Madrid Baroque Ensemble
正式な曲名は「3つのヴァイオリンと通 奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」と言います。この前半のカノンの部分が有名になりました。
J.S.バッハの兄の結婚式のために作った曲ではないかと言われています。
ラモー「タンブラン」
(クラヴサン曲集 第2巻 組曲ホ短調より)
チェンバロ:Vital Julian Frey
タンブランとは南フランスの胴(どう)の長いタイコのことです。このたいこの伴奏(ばんそう)で4分の2拍子の活発で速いテンポのおどりがあります。
アルビノーニ「アダージョ ト短調」
指揮・ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
この曲は「アルビノーニのアダージョ」とよばれていますが、実はジャゾット(1910-1998)というイタリアの音楽学者が作った曲です。
映画やBGMに使われることがよくあります。感情が動かされるかげりのある音楽です。
ラモー「めんどり」
(新クラヴサン組曲集 第3巻 組曲ト長調より)
ピアノ:グリゴリー・ソコロフ
ラモーは4巻のクラヴサン曲集を作っています。クラヴサンとはチェンバロのことです。ピアノができる前の楽器です。
これらの曲集は曲に題名がついたものが多くあります。
この「めんどり」はまさにそのまま、という曲です。たいへんむずかしい曲として知られています。
ラモー「優雅なインドの国々」より<未開人>
この曲は、彼が1725年にパリで見たアメリカのミチガメア族のしゅう長による民族ダンスに刺激されて作った曲です。
「インド」はヨーロッパ以外の異国の民、異教徒、原住民の意味で、「インド」とは関係がありません。
ラモー「フレール・ジャック」
フランスの童謡(どうよう)として親しまれています。
少なくとも260年前には作られていました。日本は江戸時代の中頃です。
このメロディーは日本語では「グーチョキーパーでなにつくろう」で知られています。
フランス語の歌詞は、教会のジャック修道士にねむっているのですか?朝の鐘(かね)を鳴らして下さい。キンコンカン、と歌っています。
マルチェッロ「オーボエ協奏曲 ニ短調」より第2楽章
マルチェッロの最も有名な曲です。世のオーボエ協奏曲の中でも最も知られた曲です。たいへん美しい曲で、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはこの作品をチェンバロ用(BWV 974)に編曲しています。なのでピアノでも弾くことができます。

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