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イーゴリ・ストラヴィンスキー
(1882-1971年 ロシア)
20世紀を代表する作曲家のひとり。
バレエ音楽「火の鳥」「春の祭典」「ペトルーシュカ」などで知られています。
父はロシアを代表する有名なバス歌手で、家には図書館並みの20万冊もの本がありました。
9歳の時にピアノを学び始め、同時に作曲もするようになりました。15歳でメンデルスゾーンのピアノ協奏曲が弾けるほどになっていましたが、両親はストラヴィンスキーを音楽家にするつもりはありませんでした。
両親の希望で法律家を目指し法学部で勉強しましたが、週に一度音楽理論も学びました。
そこで偶然にリムスキー=コルサコフ(ロシア五人組)と知り合いになり、個人授業を受けられるようになりました。
20歳の時に父親が亡くなり、音楽家の道が開けました。音楽家になる決心をしますが、法律の大学も卒業しました。
リムスキー=コルサコフの授業は、コルサコフが亡くなる1908年(ストラヴィンスキー26歳)まで続きました。
大学卒業後すぐに結婚をし、音楽家として作品を発表。それがロシアバレエ団の主催者の目にとまりバレエ音楽を頼まれるようになります。
1910年、28歳の時に「火の鳥」の作曲をすすめられ作曲。パリオペラ座で初演され大成功。
翌年「ペトルーシュカ」の作曲を頼まれ、これもパリで成功をおさめました。
1913年、バレエ音楽の3作目「春の祭典」がパリで初演されましたが、これは複雑なリズムや不協和音が多く、観客の賛否両論を引き起こしました。ブーイングで演奏が聞こえなくなり、客同士のケンカが起き、たいへんなさわぎの中、バレエと演奏が続けられました。
しかし、この曲もすぐに評判になり大成功をおさめます。
この3作でストラヴィンスキーは若手の革命的な作曲家として認められました。
第一次世界大戦(1914-1918)が始まり、スイスに移り住みます。(それまでは夏はウクライナ、冬はスイスで過ごしていました)
第一次世界大戦が終わるとフランスのパリに住むようになります。
52歳の時にフランス市民権を得ますが、娘、妻、母を相次いで亡くします。
ナチスがストラヴィンスキーの音楽を良く思っていなかったこと、フランス人が彼の音楽への興味をなくしていったことなどから、第二次世界大戦(1939-1945)開戦直後に、アメリカのハーバード大学によばれ、アメリカに移住。
1959年に日本に初来日しました。この時に日本の若手作曲家、武満徹(たけみつとおる:日本を代表する世界的な作曲家)を見出し、世界に紹介をしました。
1966年、健康が衰え作曲はされなくなり、1971年にニューヨークで亡くなりました。
1882年6月17日生まれ
火の鳥 より 「魔王カスチェイの凶悪(きょうあく)な踊り」
指揮:サイモン・ラトル
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
【あらすじ】魔王カスチェイの庭に黄金のリンゴを食べに来た火の鳥をイワン王子がつかまえます。火の鳥は逃がしてほしいと頼み、王子は逃がしてやります。その時に魔法の羽を手に入れます。王子はカスチェイの魔法でとらわれの身となった王女に出会い恋に落ちます。王子は魔王につかまり石にされそうになります。その時、魔法の羽を取り出すと火の鳥が現れ、カスチェイの命は卵の中にあるのでそれをこわすと魔王は滅びると教えてくれます。
この曲は物語の後半に出てきます。強烈な和音の一撃で始まり、金管楽器が荒々しい響きで魔王の凶悪さを表現します。
火の鳥 より「火の鳥の踊り」
カスチェイの庭に黄金のリンゴを食べにやって来た火の鳥の踊り。たいへん短い曲です。
火の鳥 より 「カスチェイの城と魔法の消滅、石にされていた騎士たちの復活、大団円」
指揮:クラウディオ・アバド
べルリンフィルハーモニー管弦楽団
最後の場面の音楽です。ホルンのゆったりとしたソロから始まり、魔法がとけ平和を迎えた様子を表現しています。
ペトルーシュカ より 「ロシアの踊り」
ロシア版ピノキオのような話。おがくずの体を持つわら人形が命をふきこまれ、人間の心を持ちます。
見世物小屋の3つに仕切られた小部屋に3体の人形が立っています。右がピエロのペトルーシュカ、中央がバレリーナ、左がムーア人。魔法使いにあやつられ人形たちが踊り出します。
ペトルーシュカはぎこちなく、バレリーナはかわいらしく、ムーア人は力強く。実はペトルーシュカはバレリーナのことが好きで、ムーア人とは仲が悪いようです。
この音楽は最初の場面のものです。バレエは全部で4つの場面があります。
春の祭典
第1部 大地礼賛(らいさん)「序奏」
2つの部族が争い、太陽神が怒(いか)り、その怒りをしずめるためにおとめをいけにえにするという話。
不協和音と不規則なリズムで表現された音楽も人々を驚かせましたが、バレエの土着民族の衣装、バレエダンサーのニジンスキーによる、腰を曲げて歩いたり、立ったまま動かなかったりといった振り付けも衝撃を与えました。
「序奏」は最初にファゴット(木管楽器で低い音を出す楽器)で始まりますが、この曲ではファゴットにしては高い音で始まります。これを聴いたサン=サーンス(動物の謝肉祭の作曲家)は、「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」と言って出て行ってしまったそうです。
3:07あたりからバレエが始まり、原始的なリズムが聞こえてきます。
春の祭典
第2部 生贄(いけにえ)の儀式 「選ばれし生贄の乙女」
生贄(いけにえ)は息絶えるまで踊り続けます。ダンサーにとっても体力的にかなりきつい踊りです
この音楽は1小節ごとに拍子が変わり、指揮者とオーケストラにとってたいへん難しい曲です。
拍子が、2/16,3/16,2/8のように1拍の単位が変化する上に、5拍子や7拍子(変拍子と言います)という数えにくい拍子も使われていて、ストラヴィンスキー自身はこれをうまく指揮できなかったそうです。
錯乱(さくらん)状態で踊る生贄をこのリズムの不規則さで表現しています。
5つのやさしい小品 より「ギャロップ」
演奏:ラベック姉妹
拍子がどんどん変わる所をティンパニの演奏で見られる動画がありました。
4分の11拍子から始まります。この曲は第2部にある「選ばれし生贄への賛美」の最初の所です。
連弾のための曲です。プリモ(上のパート)がやさしく弾けるように書かれています。
ギャロップとは馬の駆け足のことで、たいへん速いテンポの舞曲です。このおどりは、男女2人組で輪になってかけ足でグルグル回っておどります。だんだんのってくると、運動会のように走り回り、もはやおどりではなくなってしまうそうです。とちゅうでころんだり、息切れしたりする人も出てきたそうです。ストラヴィンスキーのこの音楽にもそのような様子が感じられるかもしれません。
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