top of page
red_00075.jpg

​バルトーク・ベーラ
​(1881-1945 ハンガリー)

20世紀前半を代表する近代の作曲家、ピアニスト、民族音楽収集家。

父は農学校の校長、母はピアノ教師でした。父親は音楽が趣味でピアノやチェロを演奏しました。

その父がバルトークが7歳の時に病気で亡くなり、母親がピアノ教師として一家をささえました。

4歳で40曲のピアノ曲を弾き、5歳から正式にピアノを習い始め、10歳でピアニストとしてデビューしましたが、母親はバルトークを天才ピアニストとして売り出す気はなく、まずはふつうの教育を受けさせました。

18歳で音楽院に入学し、ピアノと作曲を学びました。卒業後に民族音楽にきょうみを持つようになり、東ヨーロッパの民謡を集めるようになりました。

26歳で音楽院のピアノ科教授になり、教育活動をしながら作曲も続け、重い蓄音機(ろく音するもの)を持ってハンガリーの民謡をろく音して集め、研究、編曲(へんきょく)しました。

バルトークは第1次世界大戦と第2次世界大戦を経験しています。
1914年の第1次世界大戦では、ハンガリーは戦争に負けたため国が小さくなり、政治の混乱に巻き込まれました。
1939年の第2次世界大戦では、ナチスをきらっていたバルトークはヨーロッパを離れアメリカへ移住しました。

コロンビア大学で民族音楽の研究に取り組み、生活のために演奏会や講演活動をしました。
しかし、アメリカでの生活はバルトークにとって心地よいものではなく、作曲の意欲(いよく)がなくなり、ほとんど新しい曲を作らなくなってしまいました。

1940年頃から健康状態が悪くなり、1943年には入院することになり全ての活動を休みました。しかし、ある作曲の依頼で作曲への意欲を取りもどし、健康状態も少し良くなりましたが、バルトークは白血病におかされていました。

妻の誕生日にプレゼントしようと新しい曲を書き始め(ピアノ協奏曲第3番)、死の4日前まで書いていましたが、残り17小節を残し亡くなりました。64歳でした。残りの部分は指示が残されていたため、友人のハンガリー人によって完成されました。

亡骸(なきがら)は、ナチスやソ連の名前が祖国に残っている内はそちらへ埋葬(まいそう)しないでほしいと本人が言いのこしていたので、ニューヨークに埋葬されました。
その後、ハンガリーの民主化が進み1988年に亡骸がハンガリーに運ばれ、国葬により埋葬されました。


ちちち

kyusei-Bartok_Bela.jpg
​1881年3月25日生まれ
ハンガリーでは、日本と同じように名前を
​みょう字・名前の順で書きますので、そのように表記しました。バルトークはみょう字です。
ルーマニア民族舞曲 Sz 56
​演奏:ジョルジ・シャンドール
ルーマニア民族舞曲 Sz56
第6番 はやいおどり
​ヴァイオリン:五嶋みどり ピアノ:R.マクドナルド
​ 6曲からなるピアノ小品の組曲です。発表会でも時々、何曲か選んで演奏されるのを聞くことがあります。民謡集めで最も協力してくれたよき友人にささげられています。
 ルーマニアのトランシルヴァニアは当時はハンガリーの一部でした。この6曲はトランシルヴァニアの民謡を集めて曲にしたものです。ピアニストだったバルトークもコンサートでこの曲をよく演奏したそうです。
 1棒おどり(0:00)、2おびおどり(1:05)、3ふみおどり(1:35)、
4角ぶえのおどり(2:20)、5ルーマニア風ポルカ(3:00)、
6はやいおどり(3:29)、と題がついています。
 東ヨーロッパのエキゾチックなふんいきが感じられる音楽です。
​ この動画の演奏者はバルトークの弟子です。
 ピアノ曲として作曲されたルーマニア民族舞曲6曲をヴァイオリンとピアノ用に編曲したものです。編曲は作曲者がしたものではありませんが、ヴァイオリンの音とこの曲は合っています。
​ なお、バルトーク自身はこの6曲をオーケストラ用に編曲しています。
​ メロディーはほぼ民謡の通りなのだそうです。
​バルトークが集めた民謡
ルーマニア民族舞曲のもとになった民謡です。
バルトークと友人が実際に録音(ろくおん)したものだそうです。
​ハンガリーの風景より「トランシルヴァニアの夕べ」
 この曲は、こどもたちのために書かれたピアノ曲「10のやさしい小品」にあります。それをオーケストラ用にへんきょくし、ほかの自分のピアノ曲集からもお気に入りを集め、オーケストラのための「ハンガリーの風景」を作りました。この曲はピアノ曲の方もよく弾かれ、発表会でひかれています。
 トランシルヴァニアはルーマニアという国の地方の名前で、森のかなたの国という意味です。
 なつかしさを感じるメロディーで、おどっているようなリズムもとちゅうにある美しい音楽です。
ミクロコスモス第6巻より
第6番「ブルガリアのリズムによる6つの舞曲」
​演奏:ミシェル・ベロフ
 ミクロコスモスは、全6巻153曲の小品からなる練習曲集。多くの曲が1~2分ていどの短さ。ピアノ教本として作られ、巻が進むにつれ、だんだんむずかしくなるように作られています。
 この「ブルガリアのリズムによる6つの舞曲」はコンサートのアンコールで演奏されることがあり、バルトーク自身も最後のコンサートでこの6曲を演奏しています。6番が最もリズムが強烈かもしれません。
 なお、ミクロコスモスは小宇宙という意味です。
bottom of page