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ジョージ・ガーシュウィン
(1898-1937 アメリカ)
20世紀のアメリカを代表する作曲家。
ジャズとクラシック音楽を融合(ゆうごう:ひとつにとけあうこと)させ、若くして世を去ったものの、短い期間に驚くほどの足跡をアメリカ音楽史に残しました。
4人兄弟の次男として生まれ、両親が長男のために買ったピアノに弟のガーシュウィンの方が興味を示しました。兄のアイラは文学好きで、のちに弟の歌の曲の歌詞を多数書くことになります。
ガーシュウィンが初めて聴いたクラシックの音楽は、ドヴォルザークの「ユーモレスク」。小学生の時でした。12歳から家でピアノを弾くようになり、13歳からピアノと和声のレッスンを受けるようになりました。
クラシックピアニストになるつもりでしたが、ピアノの先生が亡くなり、15歳で高校をやめて、楽譜を売るためのプロのピアニストとして働き始めました。
そこでジャズの多くの作品を知りました。
1919年に作った「スワニー」という歌が大ヒットし、ミリオンセラーとなり人気のソングライターになりました。
1920年以降は兄と組んで300曲以上のポピュラーソングを作りました。
オーケストレーションを学びたいと思い、フランスのラヴェル(印象派の大作曲家でオーケストレーションの魔術師といわれている。ボレロが有名)に教えてほしいと申し込みましたが、「あなたはすでに一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない」と言われたそうです。
1937年7月9日に脳しゅようのため昏睡状態となり、11日に38歳で亡くなりました。
1898年9月26日生まれ
ドヴォルザーク ユーモレスク
ブラームスに才能を見出されたチェコの作曲家。良いメロディーを数多く作っているので、ブラームスは、ドヴォルザークがゴミ箱にすてたメロディーで私は交響曲を1曲書くことができるだろう、と言っています。
スワニー
歌:ジュディ・ガーランド
1919年作曲のポピュラーソング。
ガーシュウィンが生涯で作った500曲以上ある歌曲の中でも多くの人に親しまれる曲のひとつ。
30分位で書き上げ、最初は特に注目されずにいましたが、アメリカを代表するエンターティナーのアル・ジョルソンという人が歌ったことで大ヒット。レコード225万枚、楽譜は100万部売れたそうです。
スワニー
演奏:ガーシュウィン(本人)
ガーシュウィンは20世紀のシューベルト(古典派からロマン派にかけて活躍した歌曲王)とよばれるほど、美しいメロディーの歌を次々と作曲しました。
アイ・ガット・リズム
歌:ジョイス・ディ・ドナート(メゾソプラノ)
兄アイラ作詞で1930年発表の曲。現在でもこの曲はジャズのスタンダード・ナンバー(定番・ていばん:よく知られた曲)。
ミュージカル「ガール・クレイジー」のために作曲されました。
アイ・ガット・リズム
演奏:ガーシュウィン(本人)
(この映像は、同じ演奏でカメラの別のアングルからとられたものが続いています。)
ポーーギーとベスより「サマータイム」
歌:アディーナ・アーロン(ソプラノ)
指揮:アンドレアス・オロスコ=エストラーダ
hr交響楽団
死の2年前に作曲したオペラ「ポーギーとベス」の中のアリア。
ジャズのスタンダード・ナンバーとしても知られています。このアリアは、物語の中で何度も歌われます。「ポーギーとベス」はアメリカ南部の貧しいアフリカ系アメリカ人の悲恋の物語。
ラプソディ―・イン・ブルー
演奏:ハービー・ハンコック(ピアノ)
グスタヴォ・ドゥダメル(指揮)
ガーシュウィンのピアノの代表曲。日本でもよく耳にする曲です。1924年1月作曲。
この曲が出来上がったきっかけはたいへん変わったものでした。
いそがしい日々を過ごしていたガーシュウィンが気分てんかんに、兄とビリヤードをしている時にたまたま見た新聞記事に、「現代音楽の実験」というコンサートのためにガーシュウィンがジャズ・コンチェルトを書いているとありました。そのような話は本人は知らず、まちがいだ、と電話をすると、そういうことになっているから、と急いで作曲をしなければいけないことに。
ボストン行きの汽車の中で列車が走る音を聞いて音楽が浮かんできたそうです。それを思わせるところがたくさんあります。
楽しい曲です。
パリのアメリカ人
指揮:アンドレアス・オロスコ―エストラーダ
hr交響楽団
ラプソディー・イン・ブルーに次いで有名なガーシュウィンの器楽曲。1928年発表。パリを訪れた印象を音楽にしたような曲。
車のクラクションの音のために、パリのタクシーのクラクションをアメリカに持ち帰り、ニューヨークでの初演の時に使われました。
ピアノ協奏曲 ヘ長調
演奏:マルク=アンドレ・アムラン(ピアノ)
指揮:レナード・スラットキン
ラジオフィルハーモニック・オーケストラ
1925年作曲。ラプソディー・イン・ブルーのオーケストレーションは、実はグローフェという作曲家に手伝ってもらったのですが、この協奏曲は全て自力で書いたそうです。初めて音楽理論の本を買って勉強したとか。カーネギーホールで本人のピアノ独奏、ニューヨーク交響楽団により初演。
第3楽章がカッコイイです。27:39~第3楽章
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