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ヨハネス・ブラームス
(1833-1897 ドイツ)

ドイツを代表する後期ロマン派の作曲家。

ロマン派の時代は、ロマンチックなメロディーやハーモニーの音楽が多く作られました。また、自由な形式で音楽が作られることも、とくちょうのひとつです。

それに対し、古典派は決まった形の中で音楽を作っていました。
その古典派の偉大(いだい)な作曲家ベートーヴェンと同じようなジャンルの曲を作ることはロマン派の作曲家はさけていたところがあります。

ところが、ブラームスは古典派によく作られていた形式の音楽で成功し、ベートーヴェンの後継者(こうけいしゃ:あとをつぐ人)ともいわれています。
ロマン派の作曲家の中で最も古典派に近い作曲家と考えられています。

7歳頃からピアノを学び、早くから才能を示し、10歳の時に初めてステージに立ちました。ブラームスは貧しい家に育ち、13歳の頃からレストランや居酒屋(いざかや:おさけをのむお店)でピアノを弾いて家計を助けていました。

​ピアニストとしての腕も確(たし)かなものでしたが、作曲に専念(せんねん)すると決めてからは演奏活動(えんそうかつどう)からほとんど手を引いています。

ヴァイオリニストのヨアヒムの強いすすめで、シューマンの家を訪ねました。シューマンはブラームスの演奏と作品に感動し、ドイツで最も権威(けんい)のある音楽雑誌(ざっし)にブラームスを紹介(しょうかい)する記事を書き、世に出るきっかけを作りました。

ブラームスはシューマンを尊敬し、シューマンが亡くなった後も、クララ・シューマンや子供たちを支え、シューマン家とは生涯(しょうがい)に渡り親交を続けました。

ブラームスは生きている間に経済的に恵まれた作曲家でした。しかし、自分は質素(しっそ)な生活を続け、収入は親戚(しんせき)におしみなく渡したり、名前を告げず、多くの若い音楽家を支援(しえん)しました。ドヴォルザークの才能を見出し支援したのもブラームスです。

1862年にウィーンに移住(いじゅう)。

14歳年上のクララ・シューマンが亡くなった翌年に体調が悪化しガンによりウィーンで亡くなりました。

 
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1833年5月7日生まれ
​まめちしき

ブラームスと坂本龍馬は1歳ちがい。

​ブラームスはシーボルトのいとこの子供と婚約していたが、破談にした。

エジソンの代理人の依頼で史上初の録音(ろくおん)をしたといわれている。
録音をはずかしがり、さっさと演奏を始め、立会人があわてて叫んだ声が演奏にかぶっている。
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​ウィーンにあるブラームス像
ハンガリー舞曲第5番
​演奏:裏ウディオ・アバド指揮
​ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
ハンガリーのジプシー音楽にもとづいて編曲(へんきょく)した
舞曲集(ぶきょくしゅう)。全部で21曲あり、当時から大人気。
​この第5番がとりわけ有名。
ハンガリー舞曲題1番
​演奏:ㇻベック姉妹
ハンガリー舞曲集は最初はピアノ連弾(れんだん)の曲として
​作られました。この第1番はブラームスが史上初の録音(ろくおん)を行った時に弾いた曲です。
ワルツ op.39-15
​演奏:アレクサンドル・カントロフ
4手のためのワルツ集として書かれました。家庭で連弾を楽しむ人がふえていたころだったので、この連弾曲集は大人気になりました。一人で演奏(えんそう)できるものもブラームスによって作られました。
この第15番は曲集中、いちばん有名な曲です。「愛(あい)のワルツ」というニックネームがあります。
6つの小品 Op.118-2 イ長調
​演奏:ラドゥ・ルプー
ブラームス晩年(ばんねん:一生の終わりに近い時期)の作品。
​この6つの作品はシューマンの妻クララにささげられています。クララは当時の有名なピアニストです。シューマン夫妻にたいへんお世話になっていたブラームス。シューマン亡き後、シューマンのある曲の出版をめぐって、ブラームスはクララと大げんかをしてしまいました。
全く連絡を取れぬまま2年たち、その時にクララにささげたのがこの6つの小品です。
ブラームスの気持ちが伝わってきます。このあと2人は仲直りしたそうです。
6曲を全て続けて演奏すると20分以上かかりますが、この第2番だけアンコールで弾かれることがよくあります。


 
​4つの小品 Op.119-1 ロ短調
​演奏:スヴゃトフ・リヒテル 
ブラームスが最後に作ったピアノ作品。
クララ・シューマンはこの第1曲を「はい色のしんじゅ」と言っています。若き日のかがやきはなく、くもっているが、より深みをましている、という意味です。

 
2つのラプソディーより Op.79-2 ト短調
​演奏:グリゴリー・ソコロフ
46歳の時の作品。ブラームスのピアノ曲の中でも人気のある作品。低音から始まり、力強く雄大(ゆうだい)、暗くうごめくようなメロディー。カッコいい曲です。
​ピアノ五重奏曲 Op.34 第3楽章
ブラームス32歳の時の作品。
初めは2台のピアノのために作った作品です。しかし、クララ・シューマンから、この曲はピアノと弦楽器のための方がよいと
アドヴァイスされ、ピアノ五重奏曲として完成させました。
交響曲第1番 Op.68 ハ短調
​指揮:カール・ベーム
​ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
43歳の時の作品。完成(かんせい)までに21年かかりました。
​交響曲を書くなら、ベートーヴェンに並ぶくらいのものではなければいけないと考えていたからです。ハンス・フォン・ビューロー(クララの父のピアノの弟子で、リストのむすめとけっこん、その後りこん)は、ベートーヴェンの交響曲第10番だと高く評価しました。
​話がそれますが、日本を代表する作曲家の一人芥川也寸志(あくたがわやすし。芥川龍之介のむすこ)さんが、この曲の最初が「地獄からの階段を一段一段のぼってくるようだ。この最初の部分がとてもすきだ」とおっしゃていたと記憶しています。このお話をきいた5年後位に芥川さんは亡くなりましたが、亡くなる前に最後に聴きたいと言った曲がこのブラームスの交響曲第1番です。
​交響曲第3番 Op.90 ヘ長調より第3楽章
指揮:サイモン・ラトル
​ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
50歳の時の作品。ブラームスの交響曲の中で一番みじかい曲です。ブラームスは4曲の交響曲を書いていますが、演奏されることが一番少ないのが第3番です。
しかし、この第3楽章は今から60年くらい前にフランスの映画で使われ、たいへん有名になりました。
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