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アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ
(1678-1741 イタリア)


後期バロック音楽を代表する作曲家。
ヴァイオリニスト、音楽教師、カトリック教会の司祭(しさい)でもありました。赤毛の司祭とよばれていました。

実はヴィヴァルディは、死後長らく忘れられていた作曲家でした。バッハが再評価された際に、ヴィヴァルディの作品を編曲して学んでいたことがわかり、ヴィヴァルディの多くの作品が再発見、再評価されました。

ヴィヴァルディはヴェネツィアに生まれ、司祭になるために10歳から教会付属学校に入学しました。ヴァイオリンの才能があった父親のもとでヴァイオリンを学び、父親の音楽仲間から作曲も学びました。

ヴェネツィアにある身寄りのない子どもたちのための4つの養育院のひとつ、ピエタ養育院でヴァイオリンを教えるようになりました。
ここには、音楽の才能がある女子の教育をする音楽学校がありました。男子は仕事を見つけ養育院を出ていきますが、女子はここに残って、オーケストラや合唱を続け、コンサート活動をしたそうです。

ヴィヴァルディはこの音楽学校で30年以上ヴァイオリン、合唱、作曲を教えました。

音楽教師でありながら作曲家としての活動もし、ヴィヴァルディの名はヨーロッパ中に広がっていきました。

オペラ作曲家としても成功をおさめていたヴィヴァルディは、ウィーンでオペラを上演することを決意。

楽譜20曲を売り資金を作り、ウィーンへ行きましたが、ヴィヴァルディの大ファンでウィーンでの一番の理解者で援助をしてくれるはずだった皇帝(カール6世。マリア・テレジアの父)がヴィヴァルディがウィーンに到着して間もなく亡くなってしまいました。

 
オーストリア国内は1年間喪に服す(もにふくす)ことになりました。
コンサートやオペラの上演は禁止され、カール6世の長女、マリア・テレジアが後を継ぐことになったため、女性が王のあとをつぐことが認められていなかったので、オーストリア継承戦争(けいしょうせんそう)が起き、オーストリアは戦争一色となってしまいました。

オペラ上演のためにたいへんな借金(しゃっきん)をかかえ、失意のうちに体調をくずし、ヴィヴァルディはイタリアに帰国することなく、ウィーンに来た1年後に63歳で亡くなりました。

貧民墓地(ひんみんぼち)に埋葬され、現在はこの墓地は取り壊され、ウィーン工科大学が建っています。

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1678年3月4日生まれ

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​カール6世

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​マリア・テレジア

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​ウィーン工科大学

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​工科大学の壁にある埋葬地を示すパネル

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ヴィヴァルディが亡くなった宿の跡地には
​現在、ザッハトルテで有名なホテル・ザッハが建っています。

​四季より春 第1楽章

​正式な曲名は「ヴァイオリン協奏曲集 和声と創意の試み 作品8」
全部で12曲ある中の最初の4曲が「四季」です。ヴィヴァルディ自身は四季と名付けてはいません。
それぞれ3つの楽章からできています。それぞれの楽章の初めに
十四行詩(ソネットと言います)が書かれています。
​第1楽章には次の詩が書かれています。
『春がやってきた、小鳥は喜びさえずりながら祝っている。小川のせせらぎ、風がやさしくなでる。春を告げる雷が、大きくひびきわたる音を立て、黒い雲が空をおおう、そして嵐は去り小鳥はすばらしい声で歌う。』

​秋 第1楽章 アレグロ 小作農のダンスと歌

『農夫たちが収穫が無事に終わり大騒ぎ。ブドウ酒が気前よく注がれる。彼らは、ほっとして眠りに落ちる。』

​冬 第2楽章 ラルゴ

『外は大雨がふっている、中でだんろで満足そうに休息(きゅうそく)。』

調和の霊感 Op.3 より 
第11番 コンチェルト・グロッソ Rv.565 ニ短調

J.S.バッハはこの曲をオルガンに編曲をしました。ヴィヴァルディの曲で勉強をしていたのです。この第4楽章(シチリアーノ)がとても美しいです。4:26~

​夏 第3楽章 プレスト 夏の嵐

『ああ、かれの心配は現実となってしまった。上空の雷鳴と(ひょう)がすくすくと育った穀物をなぎ倒した。』

​冬 第1楽章 アレグロ・ノン・モルト

『寒さの中で身ぶるいしている。足の冷たさをふりほどくために歩き回る。つらさから歯が鳴る。』

​グローリア ニ長調 RV.589より
第1曲 いと高きところには神の栄光

ヴィヴァルディの宗教作品の中で演奏されることの多い曲。
ピエタ音楽院で宗教曲を頼まれ作ったと言われています。
20世紀の初めに、王立図書館のコレクションの中から発見され、一部が下書きになっていたものを補筆して演奏され、一般の聴衆へヴィヴァルディ音楽の注目を高めることになりました。

J.S.バッハ コンチェルト ニ短調 BWV596

J.S.バッハがオルガンに編曲したもの。
​シチリアーノはバッハの方では第2楽章になっています。
5:02~が第2楽章。

シチリアーノ(ヴォロドス編曲)
​演奏:アルカディ・ヴォロドス

ヴィヴァルディのコンチェルト・グロッソのシチリアーノをピアノに編曲をして演奏しているピアニストもいます。
楽譜は売られていないので、演奏家がそれぞれ自分で編曲をしていますが、原曲を大きく変えることなく演奏しているピアニストが多いです。
​このヴォロドスはモーツァルトのトルコ行進曲を超難曲に編曲をしたことで知られています。https://youtu.be/0qG9PZNJI_k  

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