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ロシア五人組
バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、
ボロディン、リムスキー=コルサコフ
ロシア五人組(ごにんぐみ)の1人、ボロディンが11月生まれなので、彼ら5人について。
五人組とは、19世紀後半のロシアで生まれた民族的(みんぞくてき)な芸術(げいじゅつ)としての音楽を作ろうとした作曲家集団(さっきょくかしゅうだん)。バラキレフ以外(いがい)は、音楽の専門家(せんもんか)ではありませんでした。
この頃、音楽はそれぞれの国の古くからの民謡(みんよう)などを取り入れた、国民楽派(こくみんがくは)というものに変化(へんか)する流れになっていました。それは、チェコ、フランス、フィンランド、ノルウェーでもみられています。
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ミリイ・バラキレフ(1837-1910)
五人組のまとめ役。大学では数学を学びました。音楽学校を作りましたが、学校の経営(けいえい)の失敗から学長をやめ、作曲活動から遠ざかりました。鉄道会社ではたらき、その間に音楽界からは、ほぼわすれられていました。7年後、学長にもどり、作曲する気持ちをとりもどしました。5人の中で、曲を作るのが一番おそく、最初(さいしょ)のオーケストラの曲(きょく)は、33年かかりました。全(すべ)ての作曲家のピアノ曲の中で、最も難(むずか)しいと言われているもののひとつが、バラキレフのイスラメイという曲(きょく)です。バラキレフも弾(ひ)けなかったのでは?といわれています。
セザール(ツェーザリ)・キュイ(1835-1918)
作曲家、音楽評論家(おんがくひょうろんか)、軍人。軍事(ぐんじ/軍隊の活動)の専門家(せんもんか)でしたが、作曲活動も多くしました。5人の中では、一番長生きしました。
モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)
5人の中では一番ロシアらしい音楽を作りました。6歳から母の手ほどきでピアノを始めました。軍人になることにあこがれ、士官候補生(しかんこうほせい)になります。1858年に軍をやめ、公務員(こうむいん)になりました。26歳(さい)ころから、お酒(さけ)の量(りょう)がふえ、アルコール依存症(いぞんしょう)になってきました。1880年に公務員の仕事がクビになります。1881年初めに4度の心臓発作(しんぞうほっさ)を起こし入院(にゅういん)。42歳で亡(な)くなりました。
アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)
作曲家、化学者、医者。
作曲家として才能(さいのう)があったにもかかわらず、化学者として生計(せいけい)をたてていました。化学でも名を残しています。自分のことを「日曜作曲家」とよんでいました。
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1849-1908)
カラフルで華(はな)やかなオーケストラの曲(きょく)や民族色豊かなオペラをたくさん残しています。
海軍士官学校に(かいぐんしかんがっこう)に入学(にゅうがく)。子供の頃から音楽の才能をあらわしていましたが、10歳(さい)からピアノを始(はじ)め、12歳でバラキレフと出会(であ)い、ようやく真剣(しんけん)に作曲(さっきょく)を学び始めました。
1871年に音楽学校の先生に任命(にんめい)され、1873年に軍をやめました。
教えることが上手(じょうず)な先生で、グラズノフ、ストラヴィンスキー、リャードフ、プロコフィエフなど有名な作曲家を育(そだ)てました。
海軍士官(かいぐんしかん)の経験(けいけん)から、海をイメージした音楽が得意(とくい)。
MOTION GALLERYよりイラストをお借りしました
バラキレフ:東洋風幻想曲「イスラメイ」
演奏:アレクサンドル・カントロフ
バラキレフ:ひばり
演奏:ドミトリー・マスレエフ
ムソルグスキー:展覧会の絵より「キエフの大きな門」
演奏:セルジュ・チェリビダッケ(指揮)
ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団
ムソルグスキー:のみの歌
ムソルグスキー:はげ山の一夜
演奏:クラウディオ・アバド(指揮)
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
ボロディン:オペライーゴリ公より「ダッタン人の踊り」
演奏:サイモン・ラトル(指揮)
ベルリンフィルハーモニ―管弦楽団
リムスキー=コルサコフ:シシェエラザード
演奏:シャルル・デュトワ(指揮)NHK交響楽団
第2楽章 カランダル王子の物語
リムスキー=コルサコフ(シフラ編)
:熊蜂(くまんばち)の飛行
演奏:ユジャ・ワン
リムスキー=コルサコフ:熊蜂の飛行
演奏:ミハイル・プレトニョフ(指揮)
ロシアナショナル管弦楽団
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