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​ヨハン・セバスティアン・バッハ
(1685-1750 ドイツ)

「音楽の父」と称されるバロック音楽の重要な作曲家。鍵盤楽器の演奏家としても有名でした。

バッハ一族は音楽家の家系で、200年の間に50人以上の音楽家を生み出しました。
ヨハン・セバスティアン・バッハは、J.S.バッハと書き表します。大バッハと呼ばれることもあります。

9~10歳で両親を亡くし、末っ子だった
バッハは長男(14歳年上)に引き取られました。パッヘルベル(有名なカノンの作曲者)の弟子だった兄から音楽教育を受けま
した。

兄の課題を次々とこなし、兄が秘蔵していた
楽譜集を夜中にこっそり持ち出して、月明かりのもとで半年かけて書き写し勉強したそうです。

勉強熱心なバッハは、17歳の時に50㎞歩きオルガンの大家(たいか)ラインケンの演奏を聴きに行き、20歳の時には北ドイツの
巨匠(きょしょう)ブクステフーデという人のオルガン演奏を聴くために、400㎞の距離を歩きました。仕事の休みを4週間もらいましたが、けっきょく4カ月もそこに滞在してしまいました。

バッハは2度結婚し、20人の子供ができましたが、10人は幼くして亡くなりました。最初の妻が急死し、宮廷歌手のアンナ・マグダレーナと再婚(さいこん)しています。

最初の妻との間にできた長男と次男は有名な音楽家になっています。
マグダレーナとの間にできた第9子と末子も有名な音楽家になり、特に末子はモーツァルトに影響を与えたと言われています。

​長年、酷使(こくし:限度以上に使うこと)してきた目の視力がほぼなくなり、2度手術を受けましたが失敗。かえってバッハの健康を害する結果となりました。後年、同じ医者にヘンデルも手術を受けやはり失明しています。

目が不自由になったバッハの代わりに、妻のアンナ・マグダレーナが楽譜を書きとってくれました。アンナと結婚した頃、宮廷歌手だった彼女のために、鍵盤楽器もうまくなってほしいと「アンナ・マグダレーナのための音楽帳」という曲集を作りました。その中に、有名なト長調のメヌエットが入っています。

J.S.バッハと同じ年に生まれた作曲家に、
ヘンデル(1685-1759)、スカルラッティ(1685-1757)がいます。この2人もバロック時代の大作曲家です。バッハが生きていた頃は、バッハよりヘンデルの方がよく知られていたそうです。

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1685年3月31日生まれ
​バッハの子供たち
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長男 ヴィルヘルム・フリーデマン
​(W.F.バッハ)
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​次男 カール・フィリップ。エマヌエル
(C.P.E.バッハ)
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​第9子 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ
​(J.C.F.バッハ)
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末子 ヨハン・クリスティアン
​(J.C.バッハ)
​  作品番号について

J.S.バッハの作品番号は、BWVで表されます。
バッハ作品目録(Bach-Werke-Verzeichnis)
の略です。
​ 読み方は、ドイツ語読みの「ベ―ヴェーファウ」でも英語読みでもどちらでも可。
管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068 
第2曲「エール(G線上のアリア)」
​演奏:ノルウェー室内管弦楽団
​G線上のアリアというのは通称(正式な名前ではありませんが、
世間でそうよばれていること)。ドイツのヴァイオリニストが
ヴァイオリンとピアノで演奏するために編曲し、その時にハ長調に変えて、ヴァイオリンの4本ある弦の中で一番低いG(ゲー)線のみで弾けるようにしたためそう呼ばれるようになりました。バッハが作ったものはニ長調。原題の「エール(Air フランス語)」はアリア(一人で歌うもの)のことです。この場合のアリアは、ゆったりとしたテンポで感情があふれる歌のような曲のこと。通常はバッハが作った通りのニ長調で演奏されます。1731年作曲。
​カンタータ BWV147 「主よ人の望みの喜びよ」
指揮:ニコラウスアーノンクール
合唱:アルノルト・シェーンベルク合唱団
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
1723年作曲の教会カンタータ(教会の礼拝で演奏されるオーケストラ伴奏のコラールとアリア)「心と口と行いと生活と」全10曲の中の最後のコラール(プロテスタントの讃美歌)。バッハはたった1回しか歌われない礼拝のための曲を5年間毎週作曲していました。およそ200曲残っていますが、ひとつのカンタータに複数曲入っているので、その数は膨大(ぼうだい:ひじょうに多いこと)です。この頃は、トーマス教会で働いていて、付属学校の先生もしていたので、とてもいそがしかったのです。
トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
​演奏:カール・リヒター
バッハのオルガン曲の中でも特に人気がある曲。1704年頃の
作曲と言われています。400㎞の徒歩旅行で聴いたブクステフーデの影響(えいきょう)があるとも言われています。バッハの町の人たちは、聞いたこともない新しい音楽に驚いたそうです。
トッカータとは、速いパッセージの即興的で技巧的なもの。語源は”触れる”。楽器の調子を見るための試し弾きが始まり。
フーガとはひとつのメロディーを次々と追いかけて行くもの。
​イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971 より 第1楽章
​演奏:ラファル・ブレハッチ
1735年作曲。チェンバロのための作品。
チェンバロ、ハープシコード、クラヴサンはすべて同じものです。イタリア語、英語、フランス語の言い方のちがいだけです。
​バッハの頃はピアノがまだ完成されていませんでした。チェンバロを改良したものが1709年にできましたが、まだ楽器として
使えるものではありませんでした。バッハの助言のもと、さらに改良され、1747年に王さまの前でバッハはそのピアノで即興演奏(そっきょうえんそう:その場で音楽を作りながらえんそうすること)しています。しかし、ピアノのために書かれた曲は
バッハには1曲もありません。
インヴェンション より 第1番 ハ長調 BWV772
​演奏:Nenad Leonart
長男のために作った「フリーデマンバッハのための音楽帳」に
この曲のもとになったものがあります。3年後に書き直し、15曲まとめた「インヴェンション」を作りました。この曲集はピアノを習っている人が上級になると必ず弾くと言っても良い曲集。
メロディーが次々と追いかけるものをポリフォニーと言いますが、そのスタイルは、その後の多くの作曲家の曲の中にもみられます。
このスタイルを読むことのできる目は、J.S.バッハのこの曲集を学ぶことで獲得(かくとく)できると言っても良いほどです。
J.S.バッハは多くの作曲家にえいきょうを与えています。
​平均律クラヴィーア曲集 第1巻より 第1番
プレリュード&フーガ ハ長調
​演奏:Nenad Leonart
平均律というのは、1オクターブの音程を均等に12に分けたものです。これが現在の調律の仕方です。J.S.バッハの頃は必ずしもこの調律法ではありませんでした。J.S.バッハは24調すべての調で演奏できるように、よく調整された鍵盤楽器で演奏する、という意味でこの曲集を作りました。平均律クラヴィーア曲集は
第2巻まであります。ショパンは第2巻をずべて暗譜(あんぷ)していたといいます。ショパンはこの曲集にえいきょうを受けて「24の前奏曲」を作りました。第1巻のプレリュードの約半分は、「フリーデマンバッハのための音楽帳」にあるものを手直ししたものです。この曲のプレリュードにグノーというロマン派の作曲家が「アヴェ・マリア」という歌詞をつけてメロディーを作りました。
マタイ受難曲 ロ短調 BWV244 より
「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け」
指揮:Jos vn Veldhoven
​オランダバッハ協会
​メンデルスゾーンが100年ぶりに演奏をしたのがこの曲です。
これにより、わすれかけられていたJ.S.バッハが復活することと
なりました。演奏時間は3時間。メンデルスゾーンが上演した時は
いくつかカットし、2時間くらいにしたそうです。
新約聖書のマタイの福音書(ふくいんしょ:イエス・キリストが
言ったり行ったことを12使徒のマタイが書いたもの)のキリストの受難が題材となった曲。1727年、トーマス教会で初演。
マタイ受難曲 ロ短調 BWV244 より
「我を憐れみ給え」
指揮:フィリップ・ヘレヴェッヘ
アルト:ダミアン・ギヨン
コレギウム・ヴォカーレ
​マタイ受難曲を代表するアリア。ペテロがイエスのことは知らない、と3度ウソをつき、そう言うだろうとイエスに予言されていたことを思い出し自分の裏切りに泣く場面の曲です。
この曲は女声のアルト(女性の低い声)が歌うことが多いのですが、こちらの演奏はカウンターテナーという男性で女声の
アルトの音域が出せる歌手が歌っています。
マタイ受難曲 ロ短調 BWV244 より
「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ソプラノ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
​ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
ピラトによる判決で、自分は神の子だと言った罪でイエスが十字架にかけられることが決定。愛ゆえに救い主(イエス)は死にたもう、主はたったひとつの罪さえ知らない、と歌います。
マタイ受難曲 ロ短調 BWV244 より
「わが心よ、おのれを浄めよ」
バス:アンドレアス・ヴォルフ

指揮:Jos vn Veldhoven
​オランダバッハ協会
イエスが息絶えると、神殿の幕が上から下まで真っ二つにさけ、地震が起き、民衆はイエスはやはり神の子だったのだと
思います。イエスは自分は亡くなって3日後に復活すると予言していました。亡くなったイエスを弟子ヨセフが引き取り、お墓にほうむる時の歌。わが心よ清らかなれ、私が自らイエスをほうむろう、主は永遠に安息を得ているはず、と歌います。
ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV1048 より 第3楽章
​演奏:Voices of Music
1721年に、ブランデンブルク=シュヴェート辺境伯(貴族の称号)クリスティアン・ルートヴィヒに献呈されたので、こう呼ばれています。ブランデンブルク協奏曲は全部で6曲あります。
第3番は弦楽器のみで演奏します。ヴァイオリン3、ヴィオラ3、チェロ3、チェンバロ。チェロがヴァイオリンと同じ数というのはめずらしいバランス。弦楽器のみの曲は、3番と6番のみ。
無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007
​演奏:ミッシャ・マイスキー
無伴奏チェロ組曲は全部で6曲あります。1717~1723年の間に作曲されたと考えられています。単純な練習曲とわすれられていましたが、パブロ・カザルスというチェリストに再発見され、
現代ではバッハの作品の中でも高く評価されるもののひとつ。
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