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ジャン・シベリウス
(1865-1957 フィンランド)
後期ロマン派から近代にかけて活躍した北欧を代表する作曲家。
フィンランドの自然や伝統に根差した音楽を作りました。
フィンランドは、帝政ロシア(1721-1917 現在のロシアのほか、フィンランド、リトアニア、ベラルーシ、ポーランド、ウクライナ、コーカサス、シベリア、など支配)の権力でおさえつける政治(圧制あっせいといいます)に苦しんでいました。
シベリウスのフィンランドの民族的な音楽は、帝政ロシアから独立(1917年)しようとする意識をフィンランド国民が持つことに、音楽を通じて貢献(こうけん:力をつくし役立つこと)しました。
父親が1868年に他界。ヴァイオリンに興味を持っていた10歳のシベリウスに、おじがヴァイオリンを与え、作曲にも興味を持ち始めたシベリウスをはげましながら支えました。
おさない頃からシベリウスは自然に強い関心を示していました。
ヘルシンキ大学で法律を勉強し始めましたが、音楽への興味(きょうみ)の方が強かったので、とちゅうで音楽院に転入しました。ベルリンやウィーンへも留学(りゅうがく)をして勉強をしました。
長くヴァイオリニストになる強い希望を持っていましたが、朝から晩までヴァイオリンをひいていても、演奏家になるための訓練を始めるのが遅すぎた、とたいへんつらい決断をして、1892年頃にヴァイオリニストの道をあきらめました。
1920年代の半ばまではオーケストラの作品を中心に多くの曲を作っていましたが、その後、残りの30年間は大きな作品を作ることから遠ざかり、いなかで静かにくらしました。
1957年9月20日の夜に91歳で生涯を閉じました。彼が息を引き取ったその時、ラジオからは彼の交響曲第5番がちょうど流れていました。
また、その時に開催されていた国連総会ではニュージーランド代表の議長の呼びかけで、「シベリウスはこの全世界の一部でした。音楽を通して彼は全人類の暮らしを豊かなものにしてくれたのです」と、黙祷(もくとう)がささげられました。
1865年12月5日生まれ
ヘルシンキ
1903年に建てたアイノラの家
ここで生涯を閉じました
シベリウスの部屋
交響詩フィンランディア Op.26
シベリウスの曲の中でもっともよく知られた曲。
重苦しく始まり、はげしい戦いのような部分のあと、はれやかに終わります。3:22~からが有名です。
フィンランディアが作られたころのフィンランドは、帝政ロシアの圧政に苦しんでいました。この曲が作られた前年の1898年に自治権(自分たちで政治を行うこと)が認められなくなり、フィンランドを守る軍の廃止(はいし)、ロシア語の強制などが強められました。これに抵抗するフィンランド人がふえ、独立運動が起こるようになりました。
あるイベントでシベリウスが音楽を担当し、そこで作られた「フィンランドはめざめる」という音楽の中のひとつがこのフィンランディアです。帝政ロシアは、この曲がフィンランドへの愛国心をわきおこすとして、演奏を禁止しました。
悲しきワルツ Op.44
指揮・パーヴォ・ヤルヴィ
エストニア・フェスティバル管弦楽団
「クオレマ」という劇につけた音楽の中で最もよく知られた曲。
悲しきワルツの部分のストーリーは、次のようなものです。
おさないむすこの見守る中、若い母親が病気でねこんでいます。母親はぶとう会でおどるゆめを見ます。ゆめからさめた母親はベッドから起き上がりおどり始めます。すると死んだ夫がかのじょをおどりにさそい出します。しかし、夫と思っていたのは死神で母親はそのまま息たえてしまいます。
5つの小品より もみの木 Op.75-5
演奏:舘野泉(たてのいずみ)
フィンランドで長く暮らしているピアニスト舘野泉さんは、フィンランドの音楽を日本に多く紹介されています。この5つの小品は全て樹木の名前が付けられているので、舘野さんは「樹の組曲」と名付けられています。
第1次世界大戦が起きた1914年作曲。「もみの木」はクリスマスの頃に演奏されることが多いようです。
この曲を演奏されている舘野さんは、現在は脳梗塞(のうこうそく)のため右手が使えなくなり、左手だけで演奏をされています。舘野さんのために作られた左手のための曲がずいぶんと作られました。にこやかなな表情でいつも人に接していらっしゃり、決してえらぶらない日本を代表するピアニストです。
ヴァイオリン協奏曲 Op.47 ニ短調
ヴァイオリン:諏訪内晶子 指揮:ハンヌ・リントゥ
フィンランド放送交響楽団
実は現在では、コンサートで演奏されるシベリウスの曲の一番人気はフィンランディアではなく、このヴァイオリン協奏曲になってきています。1903年作曲、1905年に手直しをしました。
シベリウスは第1楽章の始まりを「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように(ごっかんのすみきったきたのそらを、ゆうぜんとかっくうするわしのように)と言っています。
第3楽章(26’07~))は舞曲風のリズミックな音楽でもりあがります。
10の小品より ロマンス Op.24-9
演奏:石井琢磨
29歳から38歳の間に1曲ずつ書かれた曲から10曲選び、曲集にしたものです。第9曲は1901年作曲。初期のシベリウスのピアノ作品の集大成といってよい曲集です。
こちらのピアニストはウィーンで勉強を続けていましたが、日本で人気が出たこともあり、日本でのコンサート活動を始めました。この曲は、ウィーン音楽大学の卒業試験で、2週間前に出された課題だったそうです。長い期間練習をする曲以外に、短い期間で仕上げる課題もあるのです。
ウィーンの街やカフェの様子、クリスマスツリーを飾る木を買う様子など、ヨーロッパでの生活を知ることのできる動画がたくさんあります。
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