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コダーイ・ゾルタン
(1882ー1967 ハンガリー)
ハンガリーの作曲家、民族音楽学者、教育家、
言語学者、哲学者。
父は熱心なアマチュア音楽家で、コダーイは子どもの頃からヴァイオリンを習い始めました。
大学でハンガリー語、ドイツ語学科に入学し、同時に王立音楽院で音楽も学びました。
民謡の研究者として重要な人物です。
妻を通して生涯の仕事仲間となるバルトークと出会い、彼(かれ)に民謡集めの手ほどきをしました。
哲学と言語学で博士となりましたが、第一次世界大戦の間も民謡集めの旅を続けました。
その間に作曲もし、成功をおさめました。
児童向けの合唱曲を作ったことがきっかけで、音楽教育の大切さを知りました。
感受性が豊かな子どものうちに質のよい音楽体験をしないと、生涯にわたって音楽の恩恵を受けることができなくなると。
ハンガリーでは音楽は限られた上流階級のもので、音楽を学ぶ機会(きかい)を多くの子どもが持った方が良いとのかれの主張は、当時はなかなか受け入れられなかったそうです。
コダーイは子ども用の曲を多数つくり、教本も作りました。この教本は日本でも使われています。
84歳で亡くなりましたが、生涯をほぼハンガリーで過ごし、ハンガリーの芸術家として最も尊敬され、よく知られた作曲家の一人です。

1882年12月16日生まれe
組曲「ハ―リ・ヤ―ノシュ」 より
第5曲 インテルメッツォ(16分42秒から)
ハーリ・ヤーノシュとは、ハンガリー版ほらふき男爵(だんしゃく)ともいうべき人物の名前です。
7つの頭のドラゴンを退治したとか、ナポレオンに勝ってつかまえたとか、オーストリアの姫マリーから結婚をもうしこまれたがことわった、とかありえない冒険話をきかせる農民のおじいさんの話です。
それをコダーイはオペラにし、その中から6曲選びオーケストラで演奏するものにしました。
この第5曲と第3番にはハンガリーの楽器ツィンバロンが使われています。
「タ・タン」というリズムがたいへん多いのですが、これはハンガリー音楽のとくちょうなのだそうです。
組曲 「ハーリ・ヤ―ノシュ」より
第2曲 ウィーンの音楽時計
あばれ馬に乗せられたヤ―ノシュがみごとに馬をのりこなします。姫のマリーは感心し、そのことを女王に告げるとヤ―ノシュは大尉(たいい:軍人のえらい人)に出世(しゅっせ)します。
この音楽はヤ―ノシュと女王が会話をしているシーンで使われています。音楽時計とありますが、ぜんまいじかけの大きな時計のことです。
組曲 「ハーリ・ヤ―ノシュ」より
第6曲 皇帝(こうてい)と廷臣(ていしん)たちの入場
(21分56秒から)
ウィーンの王様が英雄(えいゆう)ヤ―ノシュのために祝いのパーティーを開きます。英雄にあいさつをしようとたくさんのだいじんがヤ―ノシュのそばに集まり、ゆっくりと食事もできないくらい。
王様は姫とヤ―ノシュを結婚させ、国をつがせると約束しますが、ヤ―ノシュはフィアンセがいるとことわります。
この音楽は、ウィーンのおしろでのディナーで王様やだいじんたちが入場してくる場面で使われる音楽です。
組曲の中で最もはなやかな音楽です。

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