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ガブリエル・フォーレ
​(1845-1924 フランス)

 フランスを代表する作曲家のひとりで、ロマン派の終わりと近代(ドビュッシーやラヴェルがいた時代)をつなぐ存在。

 今年(2024年)は、フォーレ没後100年です。

 作曲家、ピアニスト、オルガニストであると同時に、パリ音楽院の院長として教育者としても活躍しました。作曲の弟子にラヴェルがいます。

 5男1女の末っ子(一番下の子供)として生まれました。おさないころに通っていた教会にあったハーモニウム(小さなオルガン)が気に入り、家を抜け出してはハーモニウムをひきに行っていました。

 その演奏を聴いた盲目(もうもく)のおばあさんがフォーレに音楽の才能があることを見抜き、他の人のすすめもあり、音楽学校に通うことになりました。

 そこでピアノと作曲を教わっていた先生が亡くなり、そのあとをひきついでくれたのがサン=サーンス(動物の謝肉祭の作曲家)でした。

 サン=サーンスが亡くなるまでの60年間、二人の交友関係は続きました。

 パリ音楽院の院長になったフォーレは、それまで不正に行われていた可能性のある入試、試験、コンクールを公正に行えるように大きく改革しました。
​(きっかけはラヴェル事件。名作をすでに世に送り出していたラヴェルが、ローマ大賞で予選落ちした出来事)

 第一次世界大戦が始まり、フランスの音楽家がドイツ音楽をボイコットするようになりましたが、フォーレは音楽は国家ではなく、もっと上の方にあるものと考え、ボイコットの思想からは離れるようにしていました。

 50代から難聴(なんちょう:耳が聞こえにくくなること)になやまされ、75歳の時に聴覚と体力の衰えを理由に音楽院を退職しました。

 難聴になやまされながらも作曲を続け、祈りのような深い静けさのある音楽を作りました。

 79歳で肺炎のため世を去りました。

1845年5月12日生まれ

フランスより先にイギリスで人気が出たフォーレ。

イギリスではエルガー(威風堂々の作曲家)と食事をし、エルガーはフォーレを最高のフランス人で本物の紳士と言っています。

ロシアでも人気が出て、チャイコフスキーはフォーレをたいへん尊敬すべき人と。

婚約をなしにされて落ちこんでいた時に、気ばらしにサン=サーンスに連れられてリストに会いに行っています。

​シシリエンヌ Op.78

​フランス語でシシリエンヌ、イタリア語でシチリアーノと
言います。どちらの言い方もよく使われます。
シチリアーノ(シシリエンヌ)は、ゆるやかなテンポの舞曲で、6/8拍子、または12/8拍子で付点のリズムに特徴がありす。多くの場合短調で美しい曲が多いです。
パリ音楽院の院長になる前年の1893年に友人のヴァイオリニストにヴァイオリンとピアノのための曲として書きました。
その後、フォーレ自身がチェロとピアノ、フルートとピアノのためにも編曲しました。フォーレを代表する作品です。

​夢のあとに Op.7
チェロ:ゴーティエ・カピュソン

フォーレの若い頃の作品。1877年作曲。イタリアのトスカーナ地方に古くから伝わる詩からインスピレーションを得て、歌曲として書かれました。「ああ!ああ!悲しい夢からの目覚め」と歌います。
その美しいメロディーから歌だけではなく、チェロとピアノ、
ヴァイオリンとピアノ、など他の楽器で演奏されることも少なくありません。

​パヴァーヌ Op.50

フォーレの中期を代表する作品。フォーレならではの甘く
美しい、気高く清らかな音楽です。
​1886年にオーケストラ作品として書かれ、翌年に合唱のパートが追加されました。
​パヴァーヌとは16世紀にヨーロッパで広がった踊りです。​パヴァーヌを用いた作品にラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」があります。こちらもとても美しい作品です。

 

ドリー組曲 Op.56 より スペインの踊り
​ピアノ:ラベック姉妹

ドリーとは当時親しくしていたバルダック家のおさないむすめエレーヌの愛称で、「ドリー組曲」は彼女の誕生日を祝って毎年1曲ずつ書き上げられていきました。スペインの踊りはその最後の曲です。アレグロで生き生きとしたリズムの曲です。
エレーヌの母親のエンマはのちにドビュッシーの奥様になりました。ドビュッシーはエレーヌの間にできた子供シュシュのために、「子供の領分」という作品を書いています。
​「ドリー組曲」と「子供の領分」はある意味、姉妹のような作品です。

レクイエム Op.48より 楽園にて

レクイエムとは死者のためのミサ曲です。フォーレのレクイエムは、モーツァルト、ヴェルディと共に3大レクイエムといわれています。レクイエムは曲の順番が決まっていて、その中に「怒りの日」という曲があります。キリストが天国へ行く人と地獄へ行く人を分けるという意味です。これは必ず入れなければいけないもので、ヴェルディはたいへんはげしい音楽を作りましたが、フォーレは「怒りの日」をレクイエムに入れていません。死の恐怖をえがいていないので、この曲を死の子守歌と呼んだ人がいるという手紙をフォーレは書いています。

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