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​セルゲイ・プロコフィエフ
(1891-1953 ロシア)

20世紀の大作曲家の一人。そして、ピアニスト、指揮者でもありました。

農学者の父と、音楽教育を受けた母の間に

現在のウクライナのドネツク州で生まれました。

小さい時から天才的な才能をあらわし、母から音楽の手ほどきを受け、5歳の時に初めて作曲。両親に連れられてモスクワで見たオペラが印象に残り、9歳で12ページに及ぶオペラを作曲。


11歳から専門家について作曲の勉強を始め、わずか13歳で音楽院に入学。
入学試験の試験官だったリムスキー=コルサコフ(ロシア5人組)が、プロコフィエフを大絶賛しました。
18歳で音楽院の作曲科を修了しましたが、音楽院に残り23歳までピアノと指揮の勉強をしました。

第一次世界大戦が始まり、1917年にはロシア革命が起き、ロシア国内で内戦が始まったため、プロコフィエフは1918年にアメリカに亡命(ぼうめい:政治的な理由から他の国に逃れること)しました。

この時に、ロシアを出国し船で日本に到着し、それからアメリカに行きました。
アメリカ行きの船がすぐにはなかったので、日本に2カ月間滞在(たいざい)しました。

京都や奈良を観光し、東京、横浜でピアノコンサートを開催しました。日本を訪れたヨーロッパの大作曲家の最初の人がプロコフィエフなのです。

アメリカに到着したプロコフィエフは新しい曲を発表しましたが、あまり受け入れられませんでした。それまでのクラシック音楽とタイプが全く違かったため、新し過ぎてしまったのです。

その後、アメリカを離れヨーロッパのベルリン(ドイツ)、パリ(フランス)に移り住みました。
次第に祖国へ帰ることを考えるようになり、1935年にソビエト連邦となっていた祖国に17年ぶりに帰国しました。

当時はスターリンによる独裁政治が行われていて、文化、芸術が統制され、社会主義の音楽に合わないものは認められませんでした。

プロコフィエフの音楽は社会主義の音楽に合わず、彼の作品のいくつかは演奏禁止になりました。

自由に音楽を作曲することが許されなかった時代でした。

​1953年3月5日に脳出血で61歳で息を引き取りました。

この同じ日に、独裁者スターリンも亡くなりました。プロコフィエフが亡くなった3時間後で、国中から花が集められたため、プロコフィエフのおそうしきに花はなかったそうです。


 
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​1851年4月23日生まれ

​ピーターとおおかみ Op.67
​(YouTubeで見るをクリック、またはタップすると見られます)

子どものための音楽として作曲されました。ナレーターと小さな編成のオーケストラで演奏されます。台本の下書きはプロコフィエフ自身が行いました。プロコフィエフは小説も書いていて、現在でも日本語に訳された本を買うことができます。
森の牧場にあるおじいさんの家に住んでいたピーターが、戸を閉めるのを忘れてしまい、動物たちが逃げ出します。おじいさんはオオカミが森から来たらどうするんだ、としかります。しかし、森からオオカミがきて・・
​それぞれの動物が表わされる楽器が決まっていて、楽器の音を知ることのできる音楽にもなっています。

バレエ ロミオとジュリエットからの10の小品より
モンターギュ家とキャピュレット家  Op.75-6

​ピアノ:エフゲニ―・キーシン

シェイクスピアの有名な「ロミオとジュリエット」をバレエ音楽にし、そこからさらにプロコフィエフ自身がオーケストラで演奏する組曲と、ピアノソロで演奏する組曲を作りました。
ピアノ用に作られた組曲は10曲からできています。初演はプロコフィエフが行いました。
ロミオとジュリエットは、代々かたき同士で仲のよくないモンターギュ家とキャピュレット家のむすことむすめの話です。2人は一目ぼれしてしまいます。最後は、ロミオがジュリエットが死んだと思って毒を飲んで死んでしまいますが、実はジュリエットは死んだように見えていただけでした。めざめたジュリエットはロミオが亡くなっているのを見て、短剣で自分の胸を突き刺し、死んでしまうという悲劇です。

3つのオレンジへの恋 より マーチ Op.33bis-3
指揮:ユロフスキ
​モスクワ市交響楽団

​3つのオレンジへの恋はプロコフィエフのオペラです。ある国の王子が悪い魔法使いに3つのオレンジに恋をしてしまう魔法をかけられ、その魔法をとくために旅にでる話です。
​このオペラからプロコフィエフ自身が6曲を選び、オーケストラで演奏する組曲にしました。この「行進曲」は特に有名で、この曲だけで演奏されることもよくあります。

10の小品 より 前奏曲「ハープ」Op.12-7
​ピアノ:エミール・ギレリス

音楽院の学生だった頃に書いたピアノ小品を10曲にまとめたものです。若きプロコフィエフが様々なスタイルで書き上げた小品集で、この小品集をプロコフィエフ自身も非常に気に入り演奏していました。
​この「ハープ」という曲は本物のハープで演奏するものも作曲者自身が作っています。グリッサンドという奏法が使われており、とても美しくチャーミングな曲です。中間部はガラリとふんい気が変わります。

4つの小品 より 悪魔的暗示 Op4-4
​ピアノ:アンドレイ・ガヴリロフ

1908年作曲。17歳頃です。プロコフィエフはピアノの腕前も相当ありました。この曲を聴くとよくわかると思います。
日本語のタイトルでは少し意味が分かりにくいかもしれません。「なにか悪いものにとりつかれている状態」を意味しています。悪魔の笑い声が聞こえてくるような始まりです。

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