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モーリス・ラヴェル
(1875-1937 フランス)
ドビュッシーと同じく印象派の作曲家。
オーケストレーションがたいへんうまく、管弦楽(オーケストラ)の魔術師といわれています。
(ガーシュウィンがラヴェルにオーケストレーションを習いたいと言った時に、あなたはすでに一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない、と言っています)
ラヴェルはスペインに近いバスク地方で生まれました。
父親が音楽好きで、6歳からピアノを始め、12歳で作曲の基礎(きそ)を学び、
14歳でパリ音楽院に入学。両親とも音楽の道に進むことを応援(おうえん)してくれました。
有名なローマ大賞(ドビュッシーも3回挑戦し、ローマで勉強を始めたものの、イタリアが合わず、勉強期間のとちゅうで帰ってきてしまいました)に5回挑戦しましたが、落選。
特に、5回目は予選落ちだったので、すでに名作を世に送り出していたラヴェルが落選するのはおかしい、と音楽家たちが騒ぎ出しました。ラヴェル事件といわれています。
大賞は逃しましたが、ラヴェルは名作を次々と作り出しました。この頃がラヴェルの一番良い時でした。
39歳の時に第一次世界大戦が始まり、祖国のために志願兵となり、最前線に弾丸や大砲の弾を運ぶ危険な任務につきました。
兵役中の42歳の時に母親が亡くなり、ラヴェルにとって人生最大の悲しみとなり、作曲の意欲が急激(きゅうげき)に衰えます。
母の死後3年たっても立ち直れずにいましたが、オーケストレーションのうまいラヴェルにムソルグスキーの「展覧会の絵」のオーケストラへの編曲の仕事が来ました。
パリオペラ座で演奏され、これがきっかけで「展覧会の絵」は一気に世界的に有名になりました。
その後、アメリカから仕事の依頼があり、4カ月におよぶ演奏旅行を行い大成功。
これにより、ラヴェルは世界的に有名になりました。
しかし、アメリカから帰国後、以前からなやまされていた軽度の記憶障害、言語障害が進み、作曲がほぼできないようになってしまいました。帰国後にラヴェルが完成させた曲はたった4曲です。
57歳の時にタクシーに乗っている時に交通事故にあい、さらに病気が進み、手足もうまく動かせなくなって行きました。
病気が進むにつれ、ラヴェルは心を閉ざしていきます。
文字も書けなくなり、「私の頭の中にはたくさんの音楽が豊かに流れている。それをもっとみんなに聴かせたいのに、もう一音も曲が書けなくなってしまった」と言っています。
1937年12月17日に脳の手術を受けましたが、12月28日に意識がもどらないまま亡くなりました。
1875年3月7日生まれ
亡き王女のためのパヴァ―ヌ
指揮:小澤征爾
サイトウキネンオーケストラ
パリ音楽院の学生だった頃に作曲。ラヴェルの代表作のひとつ。
ピアノ曲として書かれ、のちにラヴェル自身がオーケストラに編曲しました。パヴァ―ヌとはスペインに起源を持ち、お城でおどる2拍子でゆるやかなテンポの音楽です。
ラヴェルが晩年に記憶障害が進んだ時にこの曲を聞いて、「美しい曲だね。これはだれの曲だい?」ときいたと言います。
心にしみる本当に美しい曲です。
ボレロ
指揮:グスタヴォ・ドゥダメル
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
バレリーナに頼まれて作曲したバレエ音楽。ラヴェルの代表作のひとつ。同じリズムが最初から最後まで同じテンポで続き、メロディーは2つだけ。それが管弦楽の魔術師の手により華麗(かれい)な音楽に作り上げられています。最初にフルートがメロディーをふき、次にクラリネット、ファゴットと次々と楽器が変わり、最後は圧倒的な大音量で終わります。アメリカから帰国した1928年作曲。
ボレロはスペインの3拍子の中くらいのテンポのおどりの曲です。
水の戯れ(みずのたわむれ)
演奏・辻井伸行
パリ音楽院の学生だった1901年作曲。「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」といっしょに初演(その曲が初めてお客様の前で演奏されること)されました。パヴァ―ヌの方は好評でしたが、こちらの曲は耳ざわりで不協和音(和音に合わない音)が多すぎるとサン=サーンスに言われました。しかし現在では、この曲ほど水の動きとその様子が見事に表現された曲はないと言われています。
夏に聴きたくなる1曲。
夜のガスパールより スカルボ
演奏:亀井聖矢
「夜のガスパール」はフランスの詩人の詩集です。ラヴェルはその中から3つの詩を選び曲を作りました。
第1曲は「オンディーヌ(水の精)」、第2曲「絞首台(こうしゅだい)」、第3曲「スカルボ」」です。
スカルボは、いたずら好きな小悪魔のことです。たいへん速い動き、はげしい強弱の変化、ぶきみなメロディー。ラヴェルは当時最も難しいとされていたバラキレフの「イスラメイ」よりも難しいテクニックが演奏するには必要と言っています。
こちらの演奏者、亀井さんは手がとても大きく、リストやラフマニノフと同じ12度届きます。
マ・メール・ロワ より 眠りの森の美女のパヴァ―ヌ
演奏:マリー・ジュゼフ・ジュドゥ&ミシェル・ベロフ
ピアノ協奏曲 ト調調
ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
指揮:エマニュエル・クリヴィヌ
「マ・メール・ロワ」とは、マザー・グースのことです。マザー・グースはイギリスで古くから伝わる歌(メリーさんのひつじ、ロンドン橋おちた、10人のインディアンなど)。
ラヴェルの「マ・メール・ロワ」はピアノ連弾のために作られました。1908~1910年に作曲。全部で5曲あります。
翌年、オーケストラに編曲。さらに劇場の支配人に依頼され、バレエ音楽として新しく曲をくわえ編曲しました。
この連弾曲集は、ラヴェルの友人の2人の子供にささげられました。「眠りの森の美女のパヴァ―ヌ」は、とても少ない音でゆっくりとした静かな曲ですが、たいへん美しい曲です。
亡くなる6年前に作曲され、完成された作品としては最後から2番目の曲。スペイン音楽やジャズの要素があります。
第1楽章はピシャリというムチのような音で始まり、リズミカルで明るい曲。第2楽章(9:33~)はラヴェルの曲の中でも特に美しい。アルゲリッチの演奏が絶品。第3楽章はにぎやかで、サーカスやパレードのようです。
演奏は1:00頃から始まりますので、最初の所はとばしてください。
ツィガーヌ
ヴァイオリン:五嶋みどり
ピアノ:ロバート・マクドナルド
ツィガーヌとはロマ(ジプシー)のことです。ハンガリーの情熱的な音楽。1924年作曲。ヴァイオリンの様々なテクニックがもりこまれた、たいへん難しい曲。
ムソルグスキー作曲 ラヴェル編曲 展覧会の絵
指揮:クリスティアン・ヤルヴィ
フランス国立管弦楽団
ロシアのムソルグスキーが作曲したピアノ曲「展覧会の絵」をオーケストラに編曲するよう指揮者に依頼され書いたもの。
1922年に初演され、これによりムソルグスキーの「展覧会の絵」は世界的に有名になりました。ピアノよりもオーケストラで演奏されることの方が多いほどです。
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