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空の検索で56件の結果が見つかりました。

  • 久石譲 | Composer Sakkyokuka

    久石 譲 (1950年~ 日本) 映画音楽を中心に作曲をし、宮崎駿監督作品では「風の谷のナウシカ」から「風立ちぬ」まで29年間、全ての作品の音楽を作曲しました。 4歳の時にヴァイオリンを習い始め、中学ではブラスバンド部でトランペットを担当。部活で、演奏するより部活のための楽譜を書いてまわりの人たちに聞いてもらえるほうが嬉しいことに気付き、作曲家になりたいと思うようになりました。 小さい頃から高校の教師だった父に連れられてよく映画を見に行っていました。4年連続で年に300本の映画を見たことがあり、このことが自分の仕事に強く影響(えいきょう)を与えていると言っています。 「風の谷のナウシカ」は最初は別の人が音楽を担当するはずでしたが、イメージが合わず、前年に久石譲が作ったナウシカのイメージアルバムを監督とプロデューサーが気に入り、まだ有名ではなかった久石譲がナウシカの音楽を担当することになりました。これにより一気に注目されるようになりました。 1950年12月6日生まれ 天空の城ラピュタ より「Innocent」       ピアノ・指揮:久石譲              新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ 見習い機械工の少年バズーが空から降って来た不思議な少女を助けます。その少女シータは体を浮かせることのできる飛行石を身に付けていました。その飛行石を手に入れようと海賊やムスカ大佐に追われます。その飛行石は空に浮かぶ伝説の島にラピュタ王族が帰るためのものでした。ラピュタは遠い昔に滅びましたが、高度な科学技術を持ち、天空から世界を支配した帝国でした。ムスカ大佐はその復活を狙い、自分が世界を支配しようとたくらんでいたのでした。最後はバズーとシータが滅びの呪文「パルス」を唱え、天空の城ラピュタはくずれ去り、大木が育った部分だけが空へと浮遊して行きます。 千と千尋の神隠し より「あの夏へ」        ピアノ・指揮:久石譲              新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ 両親とひっこし先の新しい町へ向かう千尋。ところが千尋たちの乗る車が不思議な神々の世界に迷い込んでしまいます。 2020年に「鬼滅の刃 無限列車編」にぬかれるまで、日本では20年近く最も多く観られた映画でした。 ハウルの動く城 より「人生のメリーゴーランド」 ピアノ・指揮:久石譲             ロイヤル・フィルハーモニー・オーケストラ    亡くなった父のぼうし屋を継いだ少女ソフィーが、ある日兵隊にからまれます。それを魔法使いのハウルに助けられます。美しくやさしいハウルにソフィーは一瞬で心をうばわれます。しかしその夜、荒野の魔法使いが現れソフィーは90歳のあばあさんに姿を変えられてしまいます。 風の谷のナウシカ より「風の伝説」       ピアノ・指揮:久石譲              新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ 人類は科学技術によって作られた巨神兵により火の七日間戦争を起こします。この物語はその戦争により文明が崩壊して1000年後の話です。森はマスクなしでは生きられない有毒ガスを出す腐海(ふかい)とよばれる死の森へ姿を変えていました。腐海には巨大生物オームが生息していて、人類はオームにおびえながら暮らしていました。人間が住むことのできない腐海とオームに世界は浸食されていきます。それでも人類は2つの国を中心に争いを続けていました。海風により毒から守られている風の谷に住む族長のむすめナウシカ。この風の谷も争いに巻き込まれて行きます。 となりのトトロ より「となりのトトロ」 大学で考古学を研究する学者の父に連れられて、小学6年生のサツキ、4歳のメイはいなかにひっこしてきました。豊かな自然と美しい四季があふれる中で3人が暮らし始めたのは、お化け屋敷のような家。そして、その家には不思議な生き物が住んでいました。 Summer ジブリ以外にも久石さんの作品はあります。この曲は北野武監督の映画「菊次郎の夏」 のテーマ曲です。北野監督は、ピアノでリリカル(気持ちや感情がじんわり表われるもの)な曲を作ってほしいと頼み、そのような曲と軽く爽やかな曲の両方を作った所、軽やかな方を監督が気に入り、こちらのパターンがメインテーマになったそうです。 Spring ジブリ以外ではSummerと並び人気があります。昔、進研ゼミ(ベネッセ)のコマーシャルで使われていたことがあります。新しいスタートを切る春らしいさわやかな曲です。

  • A.メンケン | Composer Sakkyokuka

    アラン・メンケン (1949-   アメリカ) ミュージカル音楽、映画音楽の作曲家、ピアニスト。特にディズニー映画の音楽で知られています。 父は歯医者およびブギウギのピアニスト、母は女優、ダンサー、脚本家。メンケンは少年時代から音楽に興味(きょうみ)を持ち、クラシック音楽を学びピアノとヴァイオリンを習いました。おさない頃に作曲も始めました。 高校生の頃にはバッハやベートーヴェンの曲を自分流にアレンジして弾いていました。 大学の医学部に進みましたが、とちゅうで音楽学にかわり、音楽学部を卒業しました。 卒業後にミュージカルの作曲に興味がまし、その作曲をしながらバレエ・モダンダンスのピアノ伴奏(ばんそう)、「セサミストリート」の作曲、ヴォーカルコーチなどで活躍しました。 ミュージカルの成功によりディズニー映画 「リトル・マーメイド」の音楽を手がけることになりました。 「リトル・マーメイド」「美女と野獣(やじゅう)」「アラジン」「ポカホンタス」でアカデミー賞を受賞。 バレエ・ダンサーと結婚し、ニューヨークに住んでいます。 1949年7月22日生まれ 動画が始まる時にCMが流れると思います。 画面にスキップの文字が出ると飛ばせます。 出ない時は曲が始まるまで待ってください。 リトル・マーメイドより「パート・オブ・ユア・ワールド」  原作は、アンデルセンの「人魚ひめ」  人間の王子に一目ぼれしたアリエルが嵐で海に投げ出された王子を助けます。アリエルはその美しい声とひきかえに、3日間だけ海の魔女アースラに人間にしてもらいます。その間に王子と愛をちかうという約束をしますが、アースラに邪魔をされうまくいきませんでした。王の力を得たアースラは海に嵐を起こし、アリエルと王子をおそいます。王子は沈没船でアースラに体当たりしアースラをたおすことに成功。 アリエルの父トリトンは2人の深い愛に心を動かされ、アリエルを人間にかえ、王子とめでたく結婚。  原作では、王子を助けたのは自分だと気付いてもらえず、人魚にもどるには王子を短剣でさし、その血をあびる必要がありました。しかし、人魚ひめは王子を短剣でさすことはできず、海に身を投げあわとなって消えてしまいます。  part of your worldとは、あなたの世界の一部に、という意味です。人間の世界の一人になりたいということです。 リトル・マーメイドより「アンダー・サ・シー」  カニのセバスチャンは、アリエルが恋に落ちたエリック王子と結ばれるために人間になりたいという望みに反対します。 人間の生活のたいへんさと、海中での不自由のない暮らしのよさを話しますが、アリエルは歌が終わる前に去ってしまい、セバスチャンの願いはとどきませんでした。 アラジンより「ア・ホール・ニュー・ワールド」  アラジンとジャスミンが魔法のじゅうたんにのって大空をかけるシーンで歌われます。  A whole new worldとは、まったく新しい世界という意味です。 美女と野獣 主題歌  森のおくにあるお城に住む若く美しい王子は、冷たく身勝手な性格だったので魔女に野獣の姿にかえられてしまいました。王子の魔法をとくには「真実の愛」を知ることだけ。魔女に渡された魔法のバラの花びらが全て散るまでに「真実の愛」を知らなければ、人間の姿にもどることはできません。  それから10年後、ベルという心やさしく美しいむすめがおそろしい野獣が住むお城に迷いこみます。  野獣のわがままで凶暴なふるまいにベルは城を飛び出してしまいます。ふぶきの中でオオカミにおそわれたところをかけつけた野獣に助けられます。これをきっかけに、みにくく凶暴な野獣の中にやさしさが残っていることにベルは気が付き、おたがいに心を通わせるようになっていきます。  最後は死にそうになっていた野獣にベルが愛の告白をし、魔法がとけ、野獣は美しい王子の姿にもどり2人は結婚します。 塔の上のラプンツェル より「輝く未来」  深い森の塔の上でくらすラプンツェルは母親の言いつけで一度も外に出たことはありませんでした。18さいのたんじょう日の前日に塔に侵入(しんにゅう)してきた大どろぼうフリンを長くのばした金色の髪(かみ)をあやつり、つかまえます。  外の世界への好奇心がおさえきれなくなり、フリンに案内を頼み、外の世界に飛び出します。  なぜずっと塔の上で生活をしていたのか、たんじょう日のたびになぜたくさんの光が空にまうのか、ラプンツェルの秘密が明かされていきます。

  • ヴェルディ | Composer Sakkyokuka

    ジュゼッペ・ヴェルディ (1813-1901 イタリア) ロマン派最大のオペラ作曲家。オペラ王と言われています。 両親は宿屋と雑貨屋を経営していました。7歳の時にスピネット(小型のチェンバロ)を父から与えられ音楽の才能を示し、10歳の時には教会のオルガニストをまかされました。 12歳頃から音楽学校で作曲を学び、ミラノで本格的に勉強をしようとしましたが年齢制限をこえていたため、音楽学校には入れませんでした。 ミラノのスカラ座(オペラ劇場)の作曲家のもとで個人指導を22歳位までしっかりと受けました。 勉強を終え、出身地のとなり町の音楽学校の先生になりましたが、オペラへの夢をあきらめきれず、ミラノに戻りました。 初めてのオペラ作品が成功し、作品の依頼がくるようになりました。 2作目のオペラを書いている頃、不幸にも子供と妻が亡くなり、オペラの上演も失敗に終わり、音楽から身を引こうと考えました。 しかし、オペラ座の支配人に説得され、旧約聖書を題材にした台本を渡され、その内容に感動しオペラを作曲することを決意。これが大成功し、有名作曲家の仲間入りをしました。 次から次に注文が来るようになり、9年間に14本もオペラを作曲しました。 45歳の時に再婚し、音楽の仕事を減らし所有していた農地を広げ農園にし、経営者としての才能も発揮しました。 1861年に統一されたイタリアの初代首相に頼まれ、国会議員にもなりました。 晩年は私財(自分の財産)を投じて「音楽家のための憩い(いこい)の家」を建設し、自分の死後も著作権料で運営できるようにしました。(音楽家のための高齢者住宅で、年金の8割を払えば貧富の差に関係なく住むことが出来る施設) 1898年に妻を亡くし、1901年にいつも泊まっていたホテルで脳血管障害で倒れ意識を失い、1週間後に亡くなりました。 妻と共に「音楽家のための憩いの家」に埋葬されています。 1813 年10月10日生まれ    音楽家のための憩いの家    (カーサ・ヴェルディ) 著作権料は、国によって異なりますが作曲家の死後50年で大体切れます。現在は居住者の家賃とこの理念に賛同する人たちからの寄付で運営されています。 ヴェルディは「あなたにとっての最高傑作は?」の質問に、「このカーサ・ヴェルディだ」と答えています。オペラではなく。 オペラ「椿姫(つばきひめ)」より 乾杯(かんぱい)の歌 歌:ホセ・カレーラス レナ―タ・スコット 「椿姫」はヴェルディの代表作というだけではなく、世界中で最も人気のあるオペラのひとつ。パリの社交界を舞台にした話で、社交界の華(はな)ヴィオレッタとの恋をアルフレードの父は許さず、最後に2人の中を許した時にはヴィオレッタは結核で息を引き取り亡くなります。 「乾杯の歌」は、第1幕で歌われ、オペラの中でもたいへん知られた曲です。 オペラ「運命の力」 より 序曲 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 このオペラも悲劇です。恋人が誤って父を殺してしまい、兄が復讐から妹を刺し殺してしまう話。 内容がつらい話なので、オペラ上演よりこの序曲だけが演奏されることが多いです。金管楽器が「ミ―、ミ―、ミ―」とミの音を最初に3回くり返し、過酷(かこく)な運命を暗示しているかのようです。そのあとの木管楽器の悲しみに満ちたメロディーのかげで、運命がうず巻くかのような弦楽器の短いメロディーがからみついてきます。 オペラ「アイーダ」 より 凱旋(がいせん)行進曲 古代エジプトの物語。エジプト軍の指揮官ラダメスが奴隷アイーダに恋をします。アイーダは実は敵国エチオピアの王女。最後は2人はお墓の中で天国に旅立ちます。 「凱旋(がいせん)行進曲」はエジプト軍がエチオピアに勝利をし凱旋する時の音楽です。3:17~はサッカーの試合で以前よく使われていた部分です。 レクイエム より 怒りの日(ディエス・イレ) 指揮:クラウディオ・アバド ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レクイエムとは、死者のためのミサ曲です。ヴェルディのレクイエムは、モーツァルト、フォーレ(フランスの作曲家)とともに3大レクイエムと言われています。 「怒りの日」はキリスト教の考え方で、世界の終末の日にキリストが生前の行いから天国に行く人と地獄に行く人に分けるというもの。天国に行く人は永遠の命を与えられ、地獄に行く人は終わることのない苦しみを与え続けられると言われています。 この「怒りの日」はヴェルディのレクイエムの中で最も有名です。地獄の炎のような音楽です。

  • ピアソラ | Composer Sakkyokuka

    アストル・ピアソラ (1921-1992 アルゼンチン) アルゼンチン出身のタンゴ音楽作曲家、バンドネオン奏者。 タンゴにクラシック音楽とジャズを混ぜ合わせ、新しいタンゴを生み出したことで知られています。 イタリア移民の3世としてアルゼンチンに生まれました。4歳の時に一家でニューヨークに移住し15歳まで過ごしました。その頃にジャズに親しみました。 アルゼンチンに戻り、父親が経営するレストランでバンドネオン(アコーディオンに似た楽器)、ハーモニカを演奏していました。タンゴへの興味(きょうみ)はうすかったのですが、ラジオで聴いたタンゴに感動し楽団に入り、バンドネオン奏者として実力をあらわすようになりました。 作曲の勉強を始め、タンゴ音楽に限界を感じパリに留学。タンゴ奏者であることをかくしていましたが、先生にタンゴこそピアソラの音楽と指摘(してき)され、タンゴ音楽を新しいものにすることを決意。 タンゴの破壊者(はかいしゃ)と命を狙われることも幾度かありました。再びニューヨークに移住し、ジャズとタンゴを合わせた音楽を作るようになりました。 アルゼンチンでもピアソラのタンゴが認められるようになり、ピアソラの楽団に入ることはサッカーのアルゼンチンチームに入るくらい名誉なことと言われるようになりました。 ピアソラのルーツ、イタリアに移住し傑作(けっさく)「リベルタンゴ」を作曲。 心臓の病気で入院したり手術をしながら多くの曲を作曲しました。パリの自宅で脳の病気でたおれ、大統領の専用機でアルゼンチンに帰国。アルゼンチンの病院で71歳で亡くなりました。 1921年3月11日生まれ アルゼンチンは南アメリカ南部にあります 飛行機で22~23時間。時差12時間。 タンゴ キレの良いアルゼンチンのダンス リベルタンゴ リベルタンゴとは「自由なタンゴ」という意味です。タンゴの音楽はおどるためにありましたが、ピアソラは聴くための音楽として作りました。オリジナルはエレキギターやベースギターが入っていて、ロックの要素をふくんでいます。 4’00”あたりから有名な部分です。(最初を飛ばしてもよいので、ぜひこの曲を聴いてください!) ブエノスアイレスの春 フィギュアスケート:髙橋大輔 フィギュアスケータ―の髙橋大輔さんの演技です。髙橋さんの演技とピアソラの音楽がぴったり。 ブエノスアイレスの四季 より「春」 バンドネオン:三浦一馬 1965年に1作目「夏」を書いた時には四季になる予定ではありませんでした。4年後に「秋冬春」が作られ「ブエノスアイレスの四季」としました。ピアソラは演奏する時に「冬夏秋春」の順番に演奏していたそうです。 ブエノスアイレスの冬 四季の中で特に美しい曲です。ヴィヴァルディの「四季」に似た部分もあります。テンポの変化が大きく情熱的な音楽。 アディオス・ノ二-ノ バンドネオン:ピアソラ 1958年にピアソラはブエノスアイレスでの活動に新鮮味(しんせんみ)がなくなり、ニューヨークに渡りました。しかし活動は期待はずれでお金に困りナイトクラブでタンゴダンスの伴奏をしました。翌年父(愛称ノ二-ノ)が亡くなりましたが、アルゼンチンに帰る旅費がなく故郷に帰れず、ニューヨークでがっくりときた中で亡き父にささげて作曲したのがこの曲。

  • ヴィヴァルディ | Composer Sakkyokuka

    アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ (1678-1741 イタリア) 後期バロック音楽を代表する作曲家。 ヴァイオリニスト、音楽教師、カトリック教会の司祭(しさい)でもありました。赤毛の司祭とよばれていました。 実はヴィヴァルディは、死後長らく忘れられていた作曲家でした。バッハが再評価された際に、ヴィヴァルディの作品を編曲して学んでいたことがわかり、ヴィヴァルディの多くの作品が再発見、再評価されました。 ヴィヴァルディはヴェネツィアに生まれ、司祭になるために10歳から教会付属学校に入学しました。ヴァイオリンの才能があった父親のもとでヴァイオリンを学び、父親の音楽仲間から作曲も学びました。 ヴェネツィアにある身寄りのない子どもたちのための4つの養育院のひとつ、ピエタ養育院でヴァイオリンを教えるようになりました。 ここには、音楽の才能がある女子の教育をする音楽学校がありました。男子は仕事を見つけ養育院を出ていきますが、女子はここに残って、オーケストラや合唱を続け、コンサート活動をしたそうです。 ヴィヴァルディはこの音楽学校で30年以上ヴァイオリン、合唱、作曲を教えました。 音楽教師でありながら作曲家としての活動もし、ヴィヴァルディの名はヨーロッパ中に広がっていきました。 オペラ作曲家としても成功をおさめていたヴィヴァルディは、ウィーンでオペラを上演することを決意。 楽譜20曲を売り資金を作り、ウィーンへ行きましたが、ヴィヴァルディの大ファンでウィーンでの一番の理解者で援助をしてくれるはずだった皇帝(カール6世。マリア・テレジアの父)がヴィヴァルディがウィーンに到着して間もなく亡くなってしまいました。 オーストリア国内は1年間喪に服す(もにふくす)ことになりました。 コンサートやオペラの上演は禁止され、カール6世の長女、マリア・テレジアが後を継ぐことになったため、女性が王のあとをつぐことが認められていなかったので、オーストリア継承戦争(けいしょうせんそう)が起き、オーストリアは戦争一色となってしまいました。 オペラ上演のためにたいへんな借金(しゃっきん)をかかえ、失意のうちに体調をくずし、ヴィヴァルディはイタリアに帰国することなく、ウィーンに来た1年後に63歳で亡くなりました。 貧民墓地(ひんみんぼち)に埋葬され、現在はこの墓地は取り壊され、ウィーン工科大学が建っています。 1678年3月4日生まれ カール6世 マリア・テレジア ウィーン工科大学 工科大学の壁にある埋葬地を示すパネル ヴィヴァルディが亡くなった宿の跡地には 現在、ザッハトルテで有名なホテル・ザッハが建っています。 四季より春 第1楽章 正式な曲名は「ヴァイオリン協奏曲集 和声と創意の試み 作品8」 全部で12曲ある中の最初の4曲が「四季」です。ヴィヴァルディ自身は四季と名付けてはいません。 それぞれ3つの楽章からできています。それぞれの楽章の初めに 十四行詩(ソネットと言います)が書かれています。 第1楽章には次の詩が書かれています。 『春がやってきた、小鳥は喜びさえずりながら祝っている。小川のせせらぎ、風がやさしくなでる。春を告げる雷が、大きくひびきわたる音を立て、黒い雲が空をおおう、そして嵐は去り小鳥はすばらしい声で歌う。』 秋 第1楽章 アレグロ 小作農のダンスと歌 『農夫たちが収穫が無事に終わり大騒ぎ。ブドウ酒 が気前よく注がれる。彼らは、ほっとして眠りに落ちる。』 冬 第2楽章 ラルゴ 『外は大雨がふっている、中でだんろ で満足そうに休息(きゅうそく)。』 調和の霊感 Op.3 より  第11番 コンチェルト・グロッソ Rv.565 ニ短調 J.S.バッハはこの曲をオルガンに編曲をしました。ヴィヴァルディの曲で勉強をしていたのです。この第4楽章(シチリアーノ)がとても美しいです。4:26~ 夏 第3楽章 プレスト 夏の嵐 『ああ、かれの心配は現実となってしまった。上空の雷鳴と雹 (ひょう)がすくすくと育った穀物をなぎ倒した。』 冬 第1楽章 アレグロ・ノン・モルト 『寒さの中で身ぶるいしている。足の冷たさをふりほどくために歩き回る。つらさから歯が鳴る。』 グローリア ニ長調 RV.589より 第1曲 いと高きところには神の栄光 ヴィヴァルディの宗教作品の中で演奏されることの多い曲。 ピエタ音楽院で宗教曲を頼まれ作ったと言われています。 20世紀の初めに、王立図書館のコレクションの中から発見され、一部が下書きになっていたものを補筆して演奏され、一般の聴衆へヴィヴァルディ音楽の注目を高めることになりました。 J.S.バッハ コンチェルト ニ短調 BWV596 J.S.バッハがオルガンに編曲したもの。 シチリアーノはバッハの方では第2楽章になっています。 5:02~が第2楽章。 シチリアーノ(ヴォロドス編曲) 演奏:アルカディ・ヴォロドス ヴィヴァルディのコンチェルト・グロッソのシチリアーノをピアノに編曲をして演奏しているピアニストもいます。 楽譜は売られていないので、演奏家がそれぞれ自分で編曲をしていますが、原曲を大きく変えることなく演奏しているピアニストが多いです。 このヴォロドスはモーツァルトのトルコ行進曲を超難曲に編曲をしたことで知られています。https://youtu.be/0qG9PZNJI_k  

  • グリーグ | Composer Sakkyokuka

    エドヴァルド・グリーグ  (1843-1907 ノルウェー) 後期ロマン派の国民楽派の作曲家。ノルウェーの民族音楽を活かした音楽を作りました。 5人兄弟の4番目。ピアニストだった母に6歳からピアノを学び、15歳の時に才能を認められ、ドイツのライプツィヒ音楽院でピアノと作曲を3年半学び、19歳で首席(一番の成績)で卒業。 いとこでソプラノ歌手のニーナと結婚。生涯たいへん仲の良い二人でした。 二人ともたいへんおだやかで、心の優しい人物でした。この二人に会ったチャイコフスキーが「二人とも無邪気(むじゃき)で素直で、良い人たちだ」と言っています。 グリーグはとても小柄(こがら)で152㎝だったといわれています。 ピアニストとしても有名で、自作の曲を持ち、ヨーロッパをたびたび演奏旅行しました。 演奏会の時はあがらないように、ポケットの中に小さなカエルの置物(おきもの)を入れ、そっとにぎりしめていたそうです。 ノルウェーはスウェーデンとの連合国でした。ノルウェーの音楽界はスウェーデンより盛んではなく、グリーグはノルウェーの音楽界を活性化させようと力をつくしました。 代表作となる「ピアノ協奏曲」がリストに認められ、グリーグの名は海外に知れ渡りました。さらに「ペールギュント」の作曲の成功により、世界的な作曲家となりました。 その間、悲しいこともありました。ピアノ協奏曲が書かれた年に生まれた一人むすめが、翌年亡くなりました。 世界を回っての演奏旅行で、次第にグリーグの健康が悪化。イギリスに向かうとちゅうで体調をくずし、ベルゲン(グリーグが住んでいた町)の病院に運ばれ、治療のかいなく、息をひきとりました。 1905年のノルウェーの独立を見とどけた2年後でした。 トロールハウゲン(妖精の丘の意味、グリーグ夫妻が住んでいた所)に作られたお墓に、妻のニーナと共にねむっています。 1843年6月15日生まれ ノルウェーのフィヨルド。大自然に囲まれた国。 トロールハウゲン(妖精の丘)のグリーグの家 作曲小屋 目の前は湖 ピアノ協奏曲 イ短調 ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス 指揮:ネヴィル・マリナー グリーグのただひとつのピアノ協奏曲で、数あるピアノ協奏曲の中でも非常に人気のある曲です。最初のティンパニのクレッシェンドのあとのピアノの部分は聞いたことがあるかもしれません。 これは、フィヨルドの滝の流れを表現しているそうです。 リストは、グリーグが持って来た手書きのこの曲の楽譜を初見で弾き、特に第3楽章をこれぞ北欧と絶賛しました。ノルウェーの大自然を感じさせる曲です。こちらの動画のピアニストはノルウェー出身のアンスネス。日本にもよく来日しています。 組曲 ホルベアの時代からOp.40より 前奏曲 演奏:ノルウェー室内管弦楽団 ホルベアとはグリーグと同じベルゲン出身の作家。ホルベア生誕200周年の記念祭のために作曲。ピアノ曲として作曲し、翌年グリーグ自身が弦楽合奏に編曲。今ではこちらの方が演奏されることが多いです。軽快に走り抜ける感じの前奏曲のワクワク感が 心地よいです。 ペールギュント第1組曲 Op. 46 より「朝」 指揮:ヴァシリー・ペトレンコ ロシア・ナショナル管弦楽団 ノルウェーのイプセンという作家が自分が書いた劇「ペール・ギュント」に音楽をつけてくれるようグリーグに頼みました。 物語は、母親と貧乏にくらすペールが、仕事もせず大きなゆめばかり見て、いつか自分は王様になるとあちこち旅をし、まわりに迷惑をかけながら大金持ちになるものの、お金をすべて失い、故郷に戻り、ずっと待っていてくれ目が見えなくなった恋人ソルヴェイグのひざの上で、自分の人生は何だったんだと思いながら亡くなる話です。 ペールギュント第1組曲 Op.46 より 「山の魔王の宮殿にて」 指揮:ネーメ・ヤネーメ ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 物語の音楽を作ったグリーグは、27曲作った中から8曲を選び、4曲ずつ分けて第1組曲、第2組曲を作りました。 第1組曲にある「山の魔王の宮殿」は、ペールが旅の中で出会った魔王に、魔王のむすめと結婚すれば魔王になれると思い結婚させてくれるよう頼みます。しかし、目玉を切りつけさせてくれたら、というのであわてて逃げ出します。魔王のけらいトロルたちに追いかけられ、つかまりそうになりますが、教会のかねが鳴り魔王の国は消えてしまいます。1:38あたりから大さわぎ、という感じです。 ペールギュント第2組曲 Op.55より「ソルヴェイグの歌」 歌:マリア・ソルベルグ(ソプラノ) ペールの帰りを待つソルヴェイグの歌。 冬も春も夏も過ぎ1年たった。あなたが帰って来ると信じている。わたしは待ち続ける。そう約束したから。もし天国にいるなら、そこで会いましょう、と歌います。 抒情小曲集(じょじょうしょうきょくしゅう) 第8集 Op.65-6 トロルドハウゲンの婚礼(こんれい)の日 演奏:レイフ・オヴェ・アンスネス 1867~1903年の36年という長い年月をかけて、全部で10集ある抒情小曲集を作りました。ひとつの集が6~8曲からできています。 トロルドハウゲンの婚礼の日はその中でも人気のある曲です。 グリーグ夫妻の結婚25周年(銀婚式)を記念して、作曲されました。 トロルドハウゲンの婚礼の日 演奏:グリーグ グリーグ自身による演奏です。テンポがけっこう速いです。 抒情小曲集 第5集 Op.54-3 小人の行進 演奏:ミハイル・プレトニョフ 第5集は抒情小曲集(じょじょうしょうきょくしゅう)の中で最高の完成度で、大成功をおさめた集です。ノルウェーの民族的な性格が濃い集です。「小人の行進」は特に人気のある曲で、トロルのわらい声が聞こえてくるような曲です。 抒情小曲集 第5集 Op.56-4 ノクターン 小人の行進と同じ第5集にある曲です。この曲もグリーグの人気をさらに高めました。ノルウェーの自然を感じさせる透明感があります。とちゅうで鳥の鳴き声も聞こえてきます。

  • もっと知ろう!作曲家&作品 | Composer Sakkyokuka

    もっと知ろう!作曲家&作品 クラシック音楽の歴史は古く、たくさんの作曲家と 数えることが不可能なほどの曲があります。 知りたいけれど、どこから始めれば良いかわからない。 私は小学生の頃、ピアノの先生がその内、教えて下さる と思っていました。 しかし、いつまでたっても、その時は訪れませんでした。けっきょく、自分で楽譜を買ったり、ラジオを録音したりして曲を知りました。 このページをきっかけに、お気に入りの作曲家、作品、演奏家に出会っていただけたら、とてもうれしく思います。 ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、近・現代、と時代によって音楽の感じはちがいます。 オーケストラ、鍵盤楽器、弦楽器、管楽器、打楽器、オペラ、声楽、と演奏楽器もたくさんあります。 録音が発明されてからは、作曲者が演奏しているものも残っています。同じ曲でも、演奏する人によってちがう感じにもなります。 みなさんが書いてくださった感想に、私からは感想に対して思ったことや、こちらには、のせきれなかったほかのエピソードを書いて、お返ししています。 むずかしく考えず、思ったことをどんどん書いて下さい。読ませていただくことを、楽しみにしています。 クラシック音楽は、まじめで分かりにくいと初めは思うかもしれません。曲の全部を好きになる必要はありません。たった4小節でも好きな所があれば良いのです。 すてきな出合いがありますように。 ご質問や感想などございましたら、こちらへお送りください。 杉渕 映余(Harumi Sugibuchi) お問い合わせ 姓 名 メールアドレス メッセージを入力 送信する 送信ありがとうございました

  • ビゼー | Composer Sakkyokuka

    ジョルジュ・ビゼー (1838-1875 フランス)  36年という短い生涯でしたが、オペラ「カルメン」で知られる作曲家。  美容師から声楽教師になった父とピアニストの母との間に生まれました。  早熟で、10歳にならないと入ることのできないパリ音楽院に9歳で入学を許されました。半年でソルフェージュで1番をとり、高名な音楽家からピアノ、オルガン、作曲を学びました。  音楽院では、13歳のサン=サーンス(1835-1921)と出会い、かたい友情で結ばれました。  ピアノもめきめき上達し1番をとるほどでしたが、ピアニストとしての道は選びませんでした。その才能を隠す(かくす)かのようにしていましたが、ある時にリストの前でリストの曲を初見で完璧に演奏して驚かせました。  リストはこの難曲を演奏できる人間は2人しかいないと思っていたが3人いた。その最も若く、さらに、はなやかで大胆な演奏をするのがビゼーであると言っています。  19歳でローマ賞を受賞し勉強のための奨学金をもらい、ローマで3年勉強しましたが、母親が病気のためパリにもどりました。  奨学金が途絶(とだ)え、生活のために、オペラの作曲、作品の編曲、ピアノ教師、指揮など、音楽にかかわるあらゆる仕事をしました。  作品はなかなか世の中に認められませんでしたが、34歳の時に作った付随音楽(演劇のための音楽)「アルルの女」が大成功をおさめます。  これに勇気付けられオペラ「カルメン」の完成に全力を注ぎます。  しかし初演は、聴衆の理解を得られず失敗。初演のちょうど3カ月後にビゼーは心臓発作のため突然この世を去りました。この日は結婚記念日でもありました。  亡くなった2日後の葬儀(そうぎ)の日「カルメン」の特別上演が行われ、3カ月前とは人々は打って変わり、ビゼーは巨匠であるとほめ称(たた)え、初演から4カ月後に行われたウィーンの公演では大成功をおさめました。    「カルメン」がフランスオペラ史上の傑作との評価を知ることなく、失望したままビゼーは亡くなったのです。今では「カルメン」は世界で1,2位をあらそうほどの人気のあるオペラです。 1838年10月25日生まれ カルメン 第1組曲 より 前奏曲 指揮:グスタヴォ・ドゥダメル パリ国立歌劇場管弦楽団 オペラの中から歌なしでオーケストラのみで演奏できるように組まれたもの。第1組曲、第2組曲とありますが、ビゼー自身によって組まれたものではないので、曲順や選ぶ曲は指揮者によって異(こと)なります。この前奏曲はオペラの第1幕が始まる時の音楽です。 カルメンはスペインを舞台にした物語です。タバコ工場で働くカルメンは魅力的なジプシーの女。彼女を好きになってしまった兵士ドン・ホセが人生を狂わされ、最後はカルメンを殺してしまうところで幕が閉じます。 オペラ「カルメン」より ハバネラ「恋は野の鳥」 カルメン役:アグネス・バルツァ ニューヨーク・メトロポリタンオペラ 第1幕でカルメンが気のないそぶりの竜騎兵ドン・ホセにむかって誘惑(ゆうわく)する歌です。「わたしにホレたらご用心!」と歌います。第1幕ではケンカさわぎを起こしたカルメンが牢屋(ろうや)に送られることになりますが、誘惑されたドン・ホセがカルメンを逃がします。 カルメン 第2組曲 より ジプシーの踊り 指揮:佐渡裕  第2幕の2曲目です。オペラでは「ジプシーの歌」となっています。組曲の方は声楽がないので「ジプシーの踊り」の曲名ですが、同じものです。 次第にテンポが速くなり、カルメン全曲の中でも一番もりあがる曲です。 オペラ「カルメン」より 闘牛士の歌 第2幕で登場する花形闘牛士エスカミーリョの歌。兵士たちの乾杯(かんぱい)を喜んで受けよう、と歌います。 第2幕ではカルメンを逃がした罪で牢屋(ろうや)に入れられていたホセが釈放(しゃくほう)され、カルメンに盗賊団(とうぞくだん)の仲間になるよう誘われます。盗賊をするジプシーにホセは入りますが、カルメンの心は闘牛士にすでにうつっていました。 アルルの女 第2組曲 より メヌエット 指揮:田代俊文 Orchestra Canvas Tokyo 「アルルの女」という小説を舞台の演劇として上演するためにビゼーが音楽を付けました。 第1組曲はビゼーが編成しましたが、第2組曲はビゼーの死後に友人のギローが完成させました。 ハープの伴奏にのってフルートが美しく歌うこのメヌエットは、ビゼーの作品の中でもたいへん有名な曲です。 実はこの曲はアルルの女の中にはなく、ビゼーの「美しきパースのむすめ」という曲のなかにあるものです。 アルルの女 第2組曲 より ファランドール 指揮:佐渡裕 この曲もビゼーの作品の中で人気のある曲です。 王の行進、馬のダンスという民謡をもとに作られています。 出だしの威厳(いげん)のある音楽からだんだんテンポが速くなり、最後は2つのメロディーが同時に聞こえ、高速でもりあがります。 ファランドールとは南フランスの8分の6拍子のダンスの曲です。

  • 弦楽器のための作品 | Composer Sakkyokuka

    弦楽器(げんがっき)を代表するヴァイオリン属(ぞく)を紹介(しょうかい)します。 ヴァイオリン  ヴァイオリン属(ぞく)の中で最も小さく、高い音を出します。あごで楽器をはさみ、弦をこすって音を出します。弦(げん)は4本です。  本体の大きさの標準は大人用フルサイズで35.5cm。 ヴィオラ  ヴァイオリンに比べ音の高さが5度低いです。また、大きさはヴァイオリンより5cmほど大きいですが、38cm~43cmと大きさにばらつきがあり、ヴァイオリンのように一定ではありません。  大きい方が音がよく鳴りますが、大きすぎると演奏(えんそう)がむずかしくなるので、標準(ひょうじゅん)は41cm。日本は小さめの40.5cmが好まれるそうです。  ヴァイオリンと同じく弦(げん)は4本。 楽譜は主にハ音記号を使います。高い音の時はト音記号になります。 チェロ   正式名はヴィオロンチェロ。弦の数は4本。低い音を出すために形全体が大きく厚(あつ)みが増しています。大きく重いので、あごにはさまず、エンドピンをゆかに立てて演奏します。弓はヴァイオリン、ヴィオラより太いですが、長さは短くなっています。  楽譜は音が低いのでヘ音記号を使いますが、高い音になる時とハ音記号を使います。 コントラバス   オーケストラで一番低い音を受け持ちます。クラシック音楽では主に弓を使い音を鳴らしますが、ポピュラー音楽やジャズでは指で弦をはじいて音を鳴らします。  大きさは170~200cm。弦の長さ95~120cmとけっこうばらつきがあります。国によって基準(きじゅん)が異(こと)なり、ヨーロッパの3/4サイズは日本の4/4フルサイズになります。  弦は4本または5本で太く低い音が出ます。楽譜はヘ音記号。楽譜の音より1オクターブ低い音が出ます。ピアノの一番低い「ミ」まで出せます。チューニングによってその下の「シ」まで出すこともできます。  立って演奏する時は楽器の横に体の左側をそわせ、左足や腰で楽器を支えます。オーケストラで座って演奏する時は立っている時とほぼ姿勢(しせい)が変わらないように、専用(せんよう)に作られた高いイスを使います。 ヴァイオリン ヴァイオリンは大人用フルサイズ4/4と子供用として6つのサイズがあります。身長に合わせサイズを決めます。145cm以上は大人用のフルサイズになります、 ヴィオラ ヴァイオリンより5度低い音を出すので、音楽では中音部を受け持つことが多いです。あたたかみのある音がします。 チェロ チェロの音域はヴァイオリンに次いで2番目に広いです。ヴィオラより1オクターブ下からヴィオラより4度低い音まで出すことができます。指のおさえ方によっては、もっと高い音まで出すことができるそうです。 サイズは120cm,重さは3.5kgくらい。ケースや弓をふくめると8kg以上になることもあるそうです。 コントラバス 日本ではポップスやジャズではウッドベースとよばれています。和製英語です。重さは約10kg。 【音域】 【ヴァイオリン】 ジュール・マスネ作曲: タイスの瞑想曲(めいそうきょく) ヴァイオリン:リュノー・キャプソン マスネが作曲したオペラ「タイス」の中の曲。第2幕の間奏曲です。アンコールの定番としてよく演奏されます。また、名曲コンサートのような企画(きかく)でも演奏されることが多いです。あまく美しい音楽です。 【ヴァイオリン】 ヴィットーリオ・モンティ作曲:チャールダーシュ ヴァイオリン:ディヴィット・ギャレット チャールダーシュはハンガリーのおどりの音楽から生まれたジャンル。居酒屋(いざかや)を意味するチャールダに由来(ゆらい)する言葉です。19世紀の音楽の都ウィーンでは、あまりの人気にチャールダーシュ禁止の法律が出たほど人気のある音楽でした。 音楽のとくちょうは、おそい部分とはやい部分があることです。おそい部分はかなりおそく、哀愁(あいしゅう)漂います。 【ヴィオラ】 J.S.バッハ作曲:ブランデンブルク協奏曲第6番 BWV1051 指揮・チェンバロ:トン・コープマン アムステルダム・バロック・オーケストラ ブランデンブルク協奏曲は全部で6曲ありますが、就職活動のために作られたと考えられています。長い期間にわたり作られた6曲の協奏曲を編成(へんせい)の大きなものから並べたようで、作曲順ではありません。なので一番大きな曲は第1番、この第6番は最も小さな編成になります。 弦楽アンサンブルでヴァイオリンが入らない曲はこの曲以外におそらくないと思います。たいへんめずらしい編成です。 全楽章聴くのは大変だと思いますので,楽章の始まりの時間を記しておきます。第3楽章は品よくおどっているような音楽です。 第1楽章0:00 第2楽章6:07 第3楽章11:08  【チェロ】 J.S.バッハ作曲:無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007 より 「プレリュード」 チェロ:M.ロストロポーヴィチ バッハの独奏(どくそう:一人でえんそう)用のチェロ曲は全部で6曲。長いこと単純な練習曲と忘れられていましたが、20世紀最高のチェリストとされるパブロ・カザルス(1876-1973)にその価値が再発見され、現代ではバッハの作品の中でも高く評価される曲のひとつとなっています。 第1番プレリュード(前奏曲)は6つの組曲の中で最も有名です。とぎれることなく続く16分音符の流れが、美しい和声をうき上がらせます。 【チェロ】 サン=サーンス 動物の謝肉祭より「白鳥」 チェロを代表する曲です。サン=サーンスがなかまで楽しむために作った「動物の謝肉祭(しゃにくさい)」の中の1曲。 他の作曲家や自分の曲をパロディにしているので、自分が生きている間はこの曲のえんそうもがくふのしゅっぱんも禁止(きんし)しました。しかし、この白鳥だけはオリジナルの曲であり、あるバレリーナがこの曲でおどりたい、がくふを出版(しゅっぱん)してほしいと言うので、その願いをかなえました。 【コントラバス】 サン=サーンス作曲:動物の謝肉祭より「ぞう」 白鳥と同じく動物の謝肉祭に登場する「ぞう」。 この曲はパロディで、メンデルスゾーンとベルリオーズという作曲家の曲を組みこんでいます。この2曲はようせいをテーマにしたもので、それを「ぞう」の曲にしたのです。ぞうが大きな体に天使の羽をつけて行進しているすがたを想像してみてください。 【コントラバス】 All of me 演奏:Piano Trio Triority ジャズではコントラバス(英語ではダブルベース)は弓を使わず、指で弦をはじいてえんそうします。 ジャズの音楽はクラシック音楽とちがい、がくふ通りには進みません。基本のメロディーはありますが、楽譜はないと言ってよいです。えんそう者のその場のアドリブで音楽が進んで行きます。コード(和音)進行も基本的にありますが、そこに自由に音をくわえてえんそうします。リズムも自由に作ります。 Up

  • 金管楽器のための作品① | Composer Sakkyokuka

    金管楽器を2回に分けて紹介します。 今回は、トランペット、ホルン。 金管楽器 金管楽器は、マウスピースにくちびるをあてて振動(しんどう)させて音を出します。マウスピースだけ取り出して、くちびるを振動させる練習をします。それができるようになったら楽器本体にマウスピースを取りつけて音を出す練習を始めます。 トランペット 金管楽器の中で一番音が高い楽器です。 かがやかしい音色で花形的な存在。 トランペットのような楽器は古代エジプトからあります。戦いや狩りの合図を伝える道具として使われていました。 15世紀には現代の形のものに発展しました。 音の高さにより種類がありますが、標準的なものはB♭管(ベー管)で音域は2オクターブ半出せますが、まん中のドより低い音や高いソより上はあまりきれいに音が鳴らないので、実際は1オクターブ半くらいです。 移調楽器でB♭管の場合は、ドを吹くとシ♭が出ます。 ホルン 音色がやわらかく、木管楽器とよく調和します。かたつむりのような形をしていて、4mの管を丸めています。 マウスピースのそばの管はトランペットより細く、音をはずしやすい欠点があり、金管楽器の中で一番むずかしい楽器です。 音域は約4オクターブと金管楽器の中で最も広いのですが、音程を作るレバーが少なく、くちびるの使い方、息の吹き方スピード、などで音程を変える必要があり、そのこともむずかしさの原因になっています。 移調楽器でF管の場合は、ドを吹くとファの音が出ます。 トランペット 左手で楽器を支え、右手でバルブをそうさします。 ホルン ベルが体の右になるように構え、左手の人差し指、中指、薬指でレバーを押さえて演奏します。楽器を支えているのは左手の小指と、ベルの中に入れた右手の親指。 【トランペット】 ムソルグスキー 展覧会の絵より「プロムナード」 指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ ロッテルダム・フィルハーモニー・オーケストラ トランペットのはなやかな音が展覧会の会場に入った期待感(きたいかん)を感じさせます。 プロムナードとはフランス語で散歩(さんぽ)の意味ですが、「展覧会の絵」の曲に出てくる10曲をつなぐ役割をしています。 絵から絵へと歩いて移動することをプロムナードが表現をしています。 アンダーソン トランペット吹きの子守歌 トランペット:篠崎 孝 指揮:田中旭 川崎吹奏楽団 以前、アンダーソンの時に「トランペット吹きの休日」 を紹介しました。トランペットがあまりに速いパッセージを演奏するので、トランペット吹きの休日返上、休日出勤と冗談(じょうだん)で言われている曲です。 こちらの子守歌は、アンダーソンがトランペットによる子守歌は聴いたことがないと思い当たり、それではそういう曲を書こうと思い作った曲です。 【ホルン】 ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ 指揮:エサ=ペッカ・サロネン フィルハーモニア管弦楽団 ラヴェルの時に紹介した曲です。曲の最初がホルンで始まります。ホルンのやさしく遠い時を思い起させる音がこの曲の出だしによく合っていると思います。 ラヴェルが病気で記憶障害が進んだ時に、この曲を聴いて、「美しい曲だね。これはだれの曲だい?」ときいたと言います。 悲しい話です。 ホルスト 組曲 惑星より「木星」 指揮:スザンナ・マルッキ BBC交響楽団 イギリスの作曲家ホルストの作品。作曲者の名前以上に知られた曲。日本語では惑星と訳されていますが、実際は占星術(せんせいじゅつ:占い)から発想を得たものです。 「木星」はホルンによる生き生きとした第1主題から始まります。中間部では有名なメロディーをホルンと弦楽器で演奏します。 Up

  • ハイドン | Composer Sakkyokuka

    フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (1732-1809 オーストリア) 古典派を代表する作曲家。 数多くの交響曲(106曲)、弦楽四重奏曲(68曲)を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲(げんがくしじゅうそうきょく)の父と呼ばれています。 弦楽四重奏は弦楽器4人で演奏しますが、その分野を作ったのはハイドンです。 ピアノソナタは65曲も残しています。 生涯の大半を貴族に仕える宮廷音楽家として過ごしました。 ハンガリーとの国境に近い村で生まれ、音楽学校の校長をしていたおじのもとで、6歳から音楽を学び始めました。 8歳でウィーンのシュテファン大聖堂(オーストリアで一番大きな教会)の楽長に才能を認められウィーンに住むようになり、聖歌隊で9年間働きました。 聖歌隊をやめたあとは8年間決まった仕事にはつかず、教会で歌ったり、ヴァイオリンやオルガンを弾いて収入を得ていました。この間に、作曲を本格的に勉強しました。 その後、ボヘミアの貴族の宮廷楽長の仕事につき、1761年にハンガリーのエステルハージという大貴族の副楽長、5年後には楽長になりました。 30年近くエステルハージ家に仕え、多くの作品を作りました。音楽好きの侯爵の出資もあり、宮廷楽団は大きくなっていきました。 1781年頃(49歳頃)、ハイドンは25歳のモーツァルトに出会いました。お互い尊敬しあい、2人の友情はモーツァルトが亡くなる1791年まで続きました。 仕えていたエステルハージ家の侯爵が亡くなり、音楽に興味のなかったあとつぎの侯爵が、音楽は聴かないから仕事をしなくてよい、と年金をもらうようになり、宮廷にしばられず自由に音楽が作れるようになりました。 そこで、ハイドンはイギリスに演奏旅行に行き、大成功をおさめました。 イギリス旅行のとちゅうにドイツのボンに立ち寄り、ベートーヴェンに会いました。この時、弟子としてウィーンに来るようベートーヴェンと約束をしました。 イギリスからウィーンに帰って来たハイドンは、気心の知れた友人モーツァルトが亡くなったことを知り悲しみます。 モーツァルトの死後15年がたっても 彼の話をするときには涙を流していたそうです。 成功をおさめたイギリスに移住することも考えましたが、ウィーンに住むことにし、そこで77年の生涯を閉じました。 フランスのナポレオンがウィーンに侵攻し占領していた頃でした。ハイドンの家の近くにも砲弾が落ちました。 自分が作曲した「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」を3度弾いた後、息を引き取ったといいます。最後までウィーンの未来、ウィーン市民を心配していたそうです。 この曲は、オーストリア=ハンガリー帝国の国歌になり、現在ではドイツ国歌として歌われています。 1732年3月31日生まれ シュテファン大聖堂 「エステルハージ宮殿」 ハンガリーのベルサイユ宮殿とよばれています。  音楽の都ウィーンに住む マリア・テレジア(マリー・アントワネットの母で、オーストリア初の女帝)が、「すばらしいオペラを見たければ、このエステルハージ宮殿に来なければなりません」と称賛しました。  エステルハージ家が音楽や文化を理解し、音楽の殿堂であったことがわかります。 ハイドンのイギリス行きについて、モーツァルトとこんな会話があったとか。 ハイドン「この機会にロンドンへ演奏旅行しようと思う。」 モーツァルト「え、ウソでしょ?だってもうすぐ60歳...簡単な旅じゃないですよ。だって英語も話せないじゃないですか!」 ハイドン「言葉は交わせなくても、僕の音楽はきっと分かってもらえるよ!」 モーツァルト「そうですね...絶対元気に帰ってきてください!また会えるのを楽しみにしています!」 ハイドンの帰りを待っていたモーツァルトの方が、ハイドンが帰ってきた時にはこの世からいなくなっていました。 ハイドンは、おもしろい曲をいろいろと作っています。 一人ずつ舞台からいなくなり、曲が終わる頃には2人しか残らない(交響曲45番) 最後の最後でまちえたように別の楽章にもどる(交響曲46番) 曲のとちゅうで調弦(弦楽器が演奏前に音の高さを合わせること)を始めてしまう(交響曲60番) 曲が終わると見せかけて終わらずフェイントをかけ、お客さんがまちがえて拍手をしてしまう(交響曲第90番) ねむそうな音楽から突然大音量でお客さんをたたき起こす(交響曲第94番) 一番最後に急に指揮者が楽器を弾き始める(交響曲第98番) 交響曲第94番 第2楽章 アンダンテ 指揮:マリス・ヤンソンス この曲は「びっくり交響曲」「交響曲驚愕(きょうがく)」の愛称で親しまれています。なぜ「びっくり」なのかはこの第2楽章を聴くとわかります。 演奏中に居眠りをするお客さんをたたき起こそうとして・・ 交響曲第45番「告別」 第4楽章 指揮:ダニエル・バレンボイム ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 この曲はエステルハージ家の侯爵への抗議をユーモアたっぷりに表した曲です。 夏の間、エステルハージ家の侯爵は少し遠くのお城に滞在し、そこに楽団も連れて行きました。ある年に、その滞在がいつもより長く、楽団員たちは家に帰りたくなっていました。 そこでハイドンは、曲の中で演奏を終えた楽団員たちが一人、また一人とステージを去っていき、最後はハイドンとコンサートマスターの二人だけになる曲を書きました。 これを見た侯爵は、みんなが家に帰りたがっていることに気付き、次の日に全員家に帰らせてあげたそうです。 交響曲第101番「時計」 第2楽章 アンダンテ 「時計」の愛称で親しまれています。「びっくり交響曲(交響曲驚愕)」同様、ハイドンがつけた名前ではありません。ほかの作曲家が第2楽章をピアノ用にアレンジし、「ロンド:時計」と名付けたことから、このようによばれるようになったそうです。 規則正しいリズムの伴奏が時計のふりこのようです。 トランペット協奏曲 晩年の作品で、ハイドンの最後の協奏曲(ソリストとオーケストラがいっしょにえんそうする曲)。初演は不評で、その後、忘れられていた曲でした。しかし、今ではトランペット奏者の大事なレパートリーとなっています。 1899年に(ハイドンは1809年没)、ウィーンのトランペット奏者がこの曲の自筆譜(ハイドンが書いた楽譜)を発見し、その後、少しずつ知られるようになったそうです。ハイドンが亡くなって100年近くたってから曲が見つかるとは驚きです。

  • ガーシュウィン | Composer Sakkyokuka

    ジョージ・ガーシュウィン (1898-1937 アメリカ) 20世紀のアメリカを代表する作曲家。 ジャズとクラシック音楽を融合(ゆうごう:ひとつにとけあうこと)させ、若くして世を去ったものの、短い期間に驚くほどの足跡をアメリカ音楽史に残しました。 4人兄弟の次男として生まれ、両親が長男のために買ったピアノに弟のガーシュウィンの方が興味を示しました。兄のアイラは文学好きで、のちに弟の歌の曲の歌詞を多数書くことになります。 ガーシュウィンが初めて聴いたクラシックの音楽は、ドヴォルザークの「ユーモレスク」。小学生の時でした。12歳から家でピアノを弾くようになり、13歳からピアノと和声のレッスンを受けるようになりました。 クラシックピアニストになるつもりでしたが、ピアノの先生が亡くなり、15歳で高校をやめて、楽譜を売るためのプロのピアニストとして働き始めました。 そこでジャズの多くの作品を知りました。 1919年に作った「スワニー」という歌が大ヒットし、ミリオンセラーとなり人気のソングライターになりました。 1920年以降は兄と組んで300曲以上のポピュラーソングを作りました。 オーケストレーションを学びたいと思い、フランスのラヴェル(印象派の大作曲家でオーケストレーションの魔術師といわれている。ボレロが有名)に教えてほしいと申し込みましたが、「あなたはすでに一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない」と言われたそうです。 1937年7月9日に脳しゅようのため昏睡状態となり、11日に38歳で亡くなりました。 1898年9月26日生まれ ドヴォルザーク ユーモレスク ブラームスに才能を見出されたチェコの作曲家。良いメロディーを数多く作っているので、ブラームスは、ドヴォルザークがゴミ箱にすてたメロディーで私は交響曲を1曲書くことができるだろう、と言っています。 スワニー 歌:ジュディ・ガーランド 1919年作曲のポピュラーソング。 ガーシュウィンが生涯で作った500曲以上ある歌曲の中でも多くの人に親しまれる曲のひとつ。 30分位で書き上げ、最初は特に注目されずにいましたが、アメリカを代表するエンターティナーのアル・ジョルソンという人が歌ったことで大ヒット。レコード225万枚、楽譜は100万部売れたそうです。 スワニー 演奏:ガーシュウィン(本人) ガーシュウィンは20世紀のシューベルト(古典派からロマン派にかけて活躍した歌曲王)とよばれるほど、美しいメロディーの歌を次々と作曲しました。 アイ・ガット・リズム 歌:ジョイス・ディ・ドナート(メゾソプラノ) 兄アイラ作詞で1930年発表の曲。現在でもこの曲はジャズのスタンダード・ナンバー(定番・ていばん:よく知られた曲)。 ミュージカル「ガール・クレイジー」のために作曲されました。 アイ・ガット・リズム 演奏:ガーシュウィン(本人) (この映像は、同じ演奏でカメラの別のアングルからとられたものが続いています。) ポーーギーとベスより「サマータイム」 歌:アディーナ・アーロン(ソプラノ) 指揮:アンドレアス・オロスコ=エストラーダ hr交響楽団 死の2年前に作曲したオペラ「ポーギーとベス」の中のアリア。 ジャズのスタンダード・ナンバーとしても知られています。このアリアは、物語の中で何度も歌われます。「ポーギーとベス」はアメリカ南部の貧しいアフリカ系アメリカ人の悲恋の物語。 ラプソディ―・イン・ブルー 演奏:ハービー・ハンコック(ピアノ) グスタヴォ・ドゥダメル(指揮) ガーシュウィンのピアノの代表曲。日本でもよく耳にする曲です。1924年1月作曲。 この曲が出来上がったきっかけはたいへん変わったものでした。 いそがしい日々を過ごしていたガーシュウィンが気分てんかんに、兄とビリヤードをしている時にたまたま見た新聞記事に、「現代音楽の実験」というコンサートのためにガーシュウィンがジャズ・コンチェルトを書いているとありました。そのような話は本人は知らず、まちがいだ、と電話をすると、そういうことになっているから、と急いで作曲をしなければいけないことに。 ボストン行きの汽車の中で列車が走る音を聞いて音楽が浮かんできたそうです。それを思わせるところがたくさんあります。 楽しい曲です。 パリのアメリカ人 指揮:アンドレアス・オロスコ―エストラーダ hr交響楽団 ラプソディー・イン・ブルーに次いで有名なガーシュウィンの器楽曲。1928年発表。パリを訪れた印象を音楽にしたような曲。 車のクラクションの音のために、パリのタクシーのクラクションをアメリカに持ち帰り、ニューヨークでの初演の時に使われました。 ピアノ協奏曲 ヘ長調 演奏:マルク=アンドレ・アムラン(ピアノ) 指揮:レナード・スラットキン ラジオフィルハーモニック・オーケストラ 1925年作曲。ラプソディー・イン・ブルーのオーケストレーションは、実はグローフェという作曲家に手伝ってもらったのですが、この協奏曲は全て自力で書いたそうです。初めて音楽理論の本を買って勉強したとか。カーネギーホールで本人のピアノ独奏、ニューヨーク交響楽団により初演。 第3楽章がカッコイイです。27:39~第3楽章

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