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  • メンデルスゾーン | Composer Sakkyokuka

    フェリックス・メンデルスゾーン (1809-1847 ドイツ) ロマン派(19世紀初め~20世紀初めの音楽)の作曲家。 銀行家の息子で、裕福(ゆうふく:財産や収入にめぐまれていて、生活がゆたかなこと)な家庭で育ちました。 しかし、ユダヤ人であったために差別を受けることが少なくなかったと言います。 父親がフェリックスが7歳の時に、キリスト教に改宗(かいしゅう:信仰する宗教を変えること)させています。 改宗前は公立の学校へは通うことが出来ず、家庭教師によって、語学、算数、文学、地理、歴史、体操、水泳、乗馬、図画、音楽など、あらゆる分野の高い水準(すいじゅん)の教育を受けました。 ラテン語、イタリア語、フランス語、英語が話せました。 9歳の時に、神童(しんどう:ひじょうにすぐれた才能をもつ子供)ピアニストとしてデビュー。 メンデルスゾーンの大きな業績(ぎょうせき)は、忘れかけられていたJ.S.バッハを 復活(ふっかつ)させたことです。 J.S.バッハの死後初めて100年ぶりに「マタイ受難曲(じゅなんきょく)」を指揮し演奏しました。この時、20歳。 J.S.バッハの作品は一部の鍵盤楽器(けんばんがっき)の曲をのぞき、わすれられていました。この曲をきっかけにJ.S.バッハの音楽が再評価(さいひょうか:あらためて価値があるか見定めること)されました。 メンデルスゾーンの大叔母が、バッハの 長男W.F.バッハの教え子で、その弟C.P.E.バッハ(バッハの次男)の経済的支援者だったことから、大叔母がバッハ一族の重要な自筆譜(じひつふ:作曲家が書いたがくふ)を持っていました。メンデルスゾーンは、J.S.バッハの作品を他の人よりも良く知る環境にあった、といえるかもしれません。さらに、その価値を見抜く力もあったのです。 指揮者という仕事を確立(かくりつ)したことも、メンデルスゾーンの業績のひとつです。それまでは、オーケストラを指揮する人は特になく、ヴァイオリンの人が弾きながら合図を送っていました。メンデルスゾーンは、世界で一番古いオーケストラ、ゲヴァントハウス管弦楽団の初代指揮者になりました。 音楽学校も作りました。 作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者、伴奏者、教育者、学校経営者として 忙(いそが)しく活動しました。 メンデルスゾーンには作曲家でもある4歳上の姉(あね)ファニーがいました。 1847年5月にファニーが脳卒中で突然亡くなりました。 ファニーは、ユダヤ系の音楽家である弟が差別を受けていたことで、彼(かれ)のよき理解者であり、心の支えでした。 姉が急死したことのショックと、非常に忙(いそが)しいスケジュールで体調をくずした弟フェリックスは、同じ1847年の11月に、同じく脳卒中で突然倒れ、帰らぬ人となりました。姉の遺(のこ)した曲を整理している最中だったといいます。 フェリックス・メンデルスゾーンの最期(さいご:命がつきるとき)の言葉は、 「疲れた、ひどく疲れた」でした。 1809年2月3日生まれ 現在のゲヴァントハウスとオーケストラ ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル 1805-1847    エピソード メンデルスゾーンと ショパンは仲が良かったそうです。 メンデルスゾーンは1809年生まれ、ショパン1810年、シューマン1810年、リスト1811年。ロマン派の大作曲家が続けて生まれています。 ショパンがシューマンと初めて会った日に、ショパンはメンデルスゾーンとチェスをしていて遅刻(ちこく)したとか。 メンデルスゾーンはシューマンとも親しくしていました。 創立(そうりつ)したライプツィヒ音楽院のピアノと作曲の教授としてシューマンを招いています。 この音楽院へ1901年に、日本の滝廉太郎が留学しています。 無言歌集 第5巻 Op.62-6 イ長調「春の歌」 演奏:杉谷昭子 無言歌集 第2巻 Op.30-6 「ベニスの舟歌」 演奏:べネタ・ネインスカ 無言歌(むごんか)は、ドイツ語の原題では「言葉のない歌」と いいます。第8巻まであり、それぞれ6曲ずつあります。これらの 曲は、1831年から1845年の間に作られました。 メンデルスゾーンが自分でつけた題名は5曲だけです。 「春の歌」は、この曲集の中でもっとも有名な曲ですが、題名を 付けたのは出版社です。曲の始めに「春の歌のように」と書いて あることから、そのような題名にしたと考えられます。 1832年作曲。 「ベニスの舟歌」はメンデルスゾーン本人がつけた題名です。 無言歌集には、「ベニスの舟歌」が全部で3曲あります。その内の1曲です。かなしみを感じる曲です。この曲が作られた年はわかっていませんが、1835年に出版されています。ピアノレッスンでも良く弾かれる曲です。 歌の翼に 演奏:バーバラ・ボニー ハイネの詩による歌曲で、世界的によく知られた曲。 1836年作曲の「6つの歌」Op.34の第2曲。 歌の翼に乗って、静かな月明かりに照らされる、ガンジス川の 美しい野まで君を連れていこう、幸せな夢を見よう、という歌。 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64 演奏:庄司紗矢香 指揮:ミハイル・ユロフスキ ロシア国立交響楽団 3大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれるもののひとつで、すべての ヴァイオリン協奏曲の中で最も有名な曲と言ってもよいほどす。メンデルスゾーンらしい上品で美しい曲です。全楽章続けて演奏され、さらにヴァイオリニストがほぼ休みなく弾き続けます。 6年かけ、1844年に完成。初演の指揮はメンデルスゾーンの 予定でしたが、体調をくずし、副指揮者が行いました。 真夏の夜の夢より「結婚行進曲」 指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー ロンドン交響楽団 「真夏の夜の夢」序曲を姉ファニーと連弾で楽しむために作曲。 それをすぐにオーケストラに編曲。この時17歳。驚くほどの完成度で、プロイセン王に頼まれ、シェイクスピアの喜劇「真夏の夜の夢」の付随音楽を書くことになりました。この曲はその中の1曲。1843年完成。 ロンド・カプリチオーソ ホ長調 Op.14 演奏:ホルヘ・ボレット ピアノ学習者によってひかれる機会の多い曲。はなやかな曲です。 以前は、メンデルスゾーンが15歳の頃の作品と考えられていまし たが、現在では1828年に作曲されたと考えられています。 アンダンテ(歩くような速さ)とプレスト(急速に)の2つの 部分から出来ています。ミュンヘンの女性ピアニストのために 作曲したそうで、彼女はメンデルスゾーンの初恋の相手だった そうです。カプリチオーソとは、気まぐれにという意味です。 プレストは2分34秒あたりから。 オルガンソナタ 第3番 Op.65-3 演奏:Hinszorgan Kampen メンデルスゾーンはオルガンの名手でもありました。 オルガニストとしての集大成として1845年に6曲のオルガン ソナタを出版しました。この第3番は、姉ファニーの結婚式のために作られました。2つの楽章から構成されています。第1楽章は、 晴れやかに始まります。とちゅう(5分あたり)からふんいきがかわり、足鍵盤も速い動きになります(6分あたりから)。オルガンの足鍵盤はつま先とかかとを使ってえんそうします。オルガンはアシスタントが付くことが多くあります。譜めくりのほかに、ストップ(レジスター)というオルガンのりょうわきについている音色を変えるための栓(せん)をそうさするためです。 ファニー・メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 ニ短調 Op.11 より 第1楽章 姉ファニーの作品の中でも有名な曲。 女性がプロの音楽家になることが難しかった時代であるために、 並はずれた才能がありながら、父親から作曲や自作の演奏をやめさせようとされていました。結婚後、音楽的才能の最大の理解者である夫から自作を公表、出版するよう根気強く説得され、亡くなるまでの数年間、積極的に活動。弟よりも才能があったのではないかといわれています。無言歌集の何曲かは姉の作品と言われています。

  • ラヴェル | Composer Sakkyokuka

    モーリス・ラヴェル (1875-1937 フランス) ドビュッシーと同じく印象派の作曲家。 オーケストレーションがたいへんうまく、管弦楽(オーケストラ)の魔術師といわれています。 (ガーシュウィンがラヴェルにオーケストレーションを習いたいと言った時に、あなたはすでに一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない、と言っています) ラヴェルはスペインに近いバスク地方で生まれました。 父親が音楽好きで、6歳からピアノを始め、12歳で作曲の基礎(きそ)を学び、 14歳でパリ音楽院に入学。両親とも音楽の道に進むことを応援(おうえん)してくれました。 有名なローマ大賞(ドビュッシーも3回挑戦し、ローマで勉強を始めたものの、イタリアが合わず、勉強期間のとちゅうで帰ってきてしまいました)に5回挑戦しましたが、落選。 特に、5回目は予選落ちだったので、すでに名作を世に送り出していたラヴェルが落選するのはおかしい、と音楽家たちが騒ぎ出しました。ラヴェル事件といわれています。 大賞は逃しましたが、ラヴェルは名作を次々と作り出しました。この頃がラヴェルの一番良い時でした。 39歳の時に第一次世界大戦が始まり、祖国のために志願兵となり、最前線に弾丸や大砲の弾を運ぶ危険な任務につきました。 兵役中の42歳の時に母親が亡くなり、ラヴェルにとって人生最大の悲しみとなり、作曲の意欲が急激(きゅうげき)に衰えます。 母の死後3年たっても立ち直れずにいましたが、オーケストレーションのうまいラヴェルにムソルグスキーの「展覧会の絵」のオーケストラへの編曲の仕事が来ました。 パリオペラ座で演奏され、これがきっかけで「展覧会の絵」は一気に世界的に有名になりました。 その後、アメリカから仕事の依頼があり、4カ月におよぶ演奏旅行を行い大成功。 これにより、ラヴェルは世界的に有名になりました。 しかし、アメリカから帰国後、以前からなやまされていた軽度の記憶障害、言語障害が進み、作曲がほぼできないようになってしまいました。帰国後にラヴェルが完成させた曲はたった4曲です。 57歳の時にタクシーに乗っている時に交通事故にあい、さらに病気が進み、手足もうまく動かせなくなって行きました。 病気が進むにつれ、ラヴェルは心を閉ざしていきます。 文字も書けなくなり、「私の頭の中にはたくさんの音楽が豊かに流れている。それをもっとみんなに聴かせたいのに、もう一音も曲が書けなくなってしまった」と言っています。 1937年12月17日に脳の手術を受けましたが、12月28日に意識がもどらないまま亡くなりました。 1875年3月7日生まれ 亡き王女のためのパヴァ―ヌ 指揮:小澤征爾  サイトウキネンオーケストラ パリ音楽院の学生だった頃に作曲。ラヴェルの代表作のひとつ。 ピアノ曲として書かれ、のちにラヴェル自身がオーケストラに編曲しました。パヴァ―ヌとはスペインに起源を持ち、お城でおどる2拍子でゆるやかなテンポの音楽です。 ラヴェルが晩年に記憶障害が進んだ時にこの曲を聞いて、「美しい曲だね。これはだれの曲だい?」ときいたと言います。 心にしみる本当に美しい曲です。 ボレロ 指揮:リオネル・ブランギエ フランス放送フィルハーモニー管弦楽団 バレリーナに頼まれて作曲したバレエ音楽。ラヴェルの代表作のひとつ。同じリズムが最初から最後まで同じテンポで続き、メロディーは2つだけ。それが管弦楽の魔術師の手により華麗(かれい)な音楽に作り上げられています。最初にフルートがメロディーをふき、次にクラリネット、ファゴットと次々と楽器が変わり、最後は圧倒的な大音量で終わります。アメリカから帰国した1928年作曲。 ボレロはスペインの3拍子の中くらいのテンポのおどりの曲です。 水の戯れ(みずのたわむれ) 演奏・辻井伸行 パリ音楽院の学生だった1901年作曲。「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」といっしょに初演(その曲が初めてお客様の前で演奏されること)されました。パヴァ―ヌの方は好評でしたが、こちらの曲は耳ざわりで不協和音(和音に合わない音)が多すぎるとサン=サーンスに言われました。しかし現在では、この曲ほど水の動きとその様子が見事に表現された曲はないと言われています。 夏に聴きたくなる1曲。 夜のガスパールより スカルボ 演奏:亀井聖矢 「夜のガスパール」はフランスの詩人の詩集です。ラヴェルはその中から3つの詩を選び曲を作りました。 第1曲は「オンディーヌ(水の精)」、第2曲「絞首台(こうしゅだい)」、第3曲「スカルボ」」です。 スカルボは、いたずら好きな小悪魔のことです。たいへん速い動き、はげしい強弱の変化、ぶきみなメロディー。ラヴェルは当時最も難しいとされていたバラキレフの「イスラメイ」よりも難しいテクニックが演奏するには必要と言っています。 こちらの演奏者、亀井さんは手がとても大きく、リストやラフマニノフと同じ12度届きます。 マ・メール・ロワ より 眠りの森の美女のパヴァ―ヌ 演奏:マリー・ジュゼフ・ジュドゥ&ミシェル・ベロフ ピアノ協奏曲 ト調調 ピアノ:マルタ・アルゲリッチ 指揮:エマニュエル・クリヴィヌ 「マ・メール・ロワ」とは、マザー・グースのことです。マザー・グースはイギリスで古くから伝わる歌(メリーさんのひつじ、ロンドン橋おちた、10人のインディアンなど)。 ラヴェルの「マ・メール・ロワ」はピアノ連弾のために作られました。1908~1910年に作曲。全部で5曲あります。 翌年、オーケストラに編曲。さらに劇場の支配人に依頼され、バレエ音楽として新しく曲をくわえ編曲しました。 この連弾曲集は、ラヴェルの友人の2人の子供にささげられました。「眠りの森の美女のパヴァ―ヌ」は、とても少ない音でゆっくりとした静かな曲ですが、たいへん美しい曲です。 亡くなる6年前に作曲され、完成された作品としては最後から2番目の曲。スペイン音楽やジャズの要素があります。 第1楽章はピシャリというムチのような音で始まり、リズミカルで明るい曲。第2楽章(9:33~)はラヴェルの曲の中でも特に美しい。アルゲリッチの演奏が絶品。第3楽章はにぎやかで、サーカスやパレードのようです。 演奏は1:00頃から始まりますので、最初の所はとばしてください。 ツィガーヌ ヴァイオリン:五嶋みどり ピアノ:ロバート・マクドナルド ツィガーヌとはロマ(ジプシー)のことです。ハンガリーの情熱的な音楽。1924年作曲。ヴァイオリンの様々なテクニックがもりこまれた、たいへん難しい曲。 ムソルグスキー作曲 ラヴェル編曲 展覧会の絵 指揮:クリスティアン・ヤルヴィ フランス国立管弦楽団 ロシアのムソルグスキーが作曲したピアノ曲「展覧会の絵」をオーケストラに編曲するよう指揮者に依頼され書いたもの。 1922年に初演され、これによりムソルグスキーの「展覧会の絵」は世界的に有名になりました。ピアノよりもオーケストラで演奏されることの方が多いほどです。

  • もっと知ろう!作曲家&作品 | Composer Sakkyokuka

    もっと知ろう!作曲家&作品 クラシック音楽の歴史は古く、たくさんの作曲家と 数えることが不可能なほどの曲があります。 知りたいけれど、どこから始めれば良いかわからない。 私は小学生の頃、ピアノの先生がその内、教えて下さる と思っていました。 しかし、いつまでたっても、その時は訪れませんでした。けっきょく、自分で楽譜を買ったり、ラジオを録音したりして曲を知りました。 このページをきっかけに、お気に入りの作曲家、作品、演奏家に出会っていただけたら、とてもうれしく思います。 ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、近・現代、と時代によって音楽の感じはちがいます。 オーケストラ、鍵盤楽器、弦楽器、管楽器、打楽器、オペラ、声楽、と演奏楽器もたくさんあります。 録音が発明されてからは、作曲者が演奏しているものも残っています。同じ曲でも、演奏する人によってちがう印象にもなります。 クラシック音楽は、まじめで分かりにくいと初めは思うかもしれません。曲の全部を好きになる必要はありません。たった4小節でも好きな所があれば良いのです。 すてきな出合いがありますように。 Harumi Sugibuchi

  • 弦楽器のための作品 | Composer Sakkyokuka

    弦楽器(げんがっき)を代表するヴァイオリン属(ぞく)を紹介(しょうかい)します。 ヴァイオリン  ヴァイオリン属(ぞく)の中で最も小さく、高い音を出します。あごで楽器をはさみ、弦をこすって音を出します。弦(げん)は4本です。  本体の大きさの標準は大人用フルサイズで35.5cm。 ヴィオラ  ヴァイオリンに比べ音の高さが5度低いです。また、大きさはヴァイオリンより5cmほど大きいですが、38cm~43cmと大きさにばらつきがあり、ヴァイオリンのように一定ではありません。  大きい方が音がよく鳴りますが、大きすぎると演奏(えんそう)がむずかしくなるので、標準(ひょうじゅん)は41cm。日本は小さめの40.5cmが好まれるそうです。  ヴァイオリンと同じく弦(げん)は4本。 楽譜は主にハ音記号を使います。高い音の時はト音記号になります。 チェロ   正式名はヴィオロンチェロ。弦の数は4本。低い音を出すために形全体が大きく厚(あつ)みが増しています。大きく重いので、あごにはさまず、エンドピンをゆかに立てて演奏します。弓はヴァイオリン、ヴィオラより太いですが、長さは短くなっています。  楽譜は音が低いのでヘ音記号を使いますが、高い音になる時とハ音記号を使います。 コントラバス   オーケストラで一番低い音を受け持ちます。クラシック音楽では主に弓を使い音を鳴らしますが、ポピュラー音楽やジャズでは指で弦をはじいて音を鳴らします。  大きさは170~200cm。弦の長さ95~120cmとけっこうばらつきがあります。国によって基準(きじゅん)が異(こと)なり、ヨーロッパの3/4サイズは日本の4/4フルサイズになります。  弦は4本または5本で太く低い音が出ます。楽譜はヘ音記号。楽譜の音より1オクターブ低い音が出ます。ピアノの一番低い「ミ」まで出せます。チューニングによってその下の「シ」まで出すこともできます。  立って演奏する時は楽器の横に体の左側をそわせ、左足や腰で楽器を支えます。オーケストラで座って演奏する時は立っている時とほぼ姿勢(しせい)が変わらないように、専用(せんよう)に作られた高いイスを使います。 ヴァイオリン ヴァイオリンは大人用フルサイズ4/4と子供用として6つのサイズがあります。身長に合わせサイズを決めます。145cm以上は大人用のフルサイズになります、 ヴィオラ ヴァイオリンより5度低い音を出すので、音楽では中音部を受け持つことが多いです。あたたかみのある音がします。 チェロ チェロの音域はヴァイオリンに次いで2番目に広いです。ヴィオラより1オクターブ下からヴィオラより4度低い音まで出すことができます。指のおさえ方によっては、もっと高い音まで出すことができるそうです。 サイズは120cm,重さは3.5kgくらい。ケースや弓をふくめると8kg以上になることもあるそうです。 コントラバス 日本ではポップスやジャズではウッドベースとよばれています。和製英語です。重さは約10kg。 【音域】 【ヴァイオリン】 ジュール・マスネ作曲: タイスの瞑想曲(めいそうきょく) ヴァイオリン:リュノー・キャプソン マスネが作曲したオペラ「タイス」の中の曲。第2幕の間奏曲です。アンコールの定番としてよく演奏されます。また、名曲コンサートのような企画(きかく)でも演奏されることが多いです。あまく美しい音楽です。 【ヴァイオリン】 ヴィットーリオ・モンティ作曲:チャールダーシュ ヴァイオリン:ディヴィット・ギャレット チャールダーシュはハンガリーのおどりの音楽から生まれたジャンル。居酒屋(いざかや)を意味するチャールダに由来(ゆらい)する言葉です。19世紀の音楽の都ウィーンでは、あまりの人気にチャールダーシュ禁止の法律が出たほど人気のある音楽でした。 音楽のとくちょうは、おそい部分とはやい部分があることです。おそい部分はかなりおそく、哀愁(あいしゅう)漂います。 【ヴィオラ】 J.S.バッハ作曲:ブランデンブルク協奏曲第6番 BWV1051 指揮・チェンバロ:トン・コープマン アムステルダム・バロック・オーケストラ ブランデンブルク協奏曲は全部で6曲ありますが、就職活動のために作られたと考えられています。長い期間にわたり作られた6曲の協奏曲を編成(へんせい)の大きなものから並べたようで、作曲順ではありません。なので一番大きな曲は第1番、この第6番は最も小さな編成になります。 弦楽アンサンブルでヴァイオリンが入らない曲はこの曲以外におそらくないと思います。たいへんめずらしい編成です。 全楽章聴くのは大変だと思いますので,楽章の始まりの時間を記しておきます。第3楽章は品よくおどっているような音楽です。 第1楽章0:00 第2楽章6:07 第3楽章11:08  【チェロ】 J.S.バッハ作曲:無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007 より 「プレリュード」 チェロ:M.ロストロポーヴィチ バッハの独奏(どくそう:一人でえんそう)用のチェロ曲は全部で6曲。長いこと単純な練習曲と忘れられていましたが、20世紀最高のチェリストとされるパブロ・カザルス(1876-1973)にその価値が再発見され、現代ではバッハの作品の中でも高く評価される曲のひとつとなっています。 第1番プレリュード(前奏曲)は6つの組曲の中で最も有名です。とぎれることなく続く16分音符の流れが、美しい和声をうき上がらせます。 【チェロ】 サン=サーンス 動物の謝肉祭より「白鳥」 チェロを代表する曲です。サン=サーンスがなかまで楽しむために作った「動物の謝肉祭(しゃにくさい)」の中の1曲。 他の作曲家や自分の曲をパロディにしているので、自分が生きている間はこの曲のえんそうもがくふのしゅっぱんも禁止(きんし)しました。しかし、この白鳥だけはオリジナルの曲であり、あるバレリーナがこの曲でおどりたい、がくふを出版(しゅっぱん)してほしいと言うので、その願いをかなえました。 【コントラバス】 サン=サーンス作曲:動物の謝肉祭より「ぞう」 白鳥と同じく動物の謝肉祭に登場する「ぞう」。 この曲はパロディで、メンデルスゾーンとベルリオーズという作曲家の曲を組みこんでいます。この2曲はようせいをテーマにしたもので、それを「ぞう」の曲にしたのです。ぞうが大きな体に天使の羽をつけて行進しているすがたを想像してみてください。 【コントラバス】 All of me 演奏:Piano Trio Triority ジャズではコントラバス(英語ではダブルベース)は弓を使わず、指で弦をはじいてえんそうします。 ジャズの音楽はクラシック音楽とちがい、がくふ通りには進みません。基本のメロディーはありますが、楽譜はないと言ってよいです。えんそう者のその場のアドリブで音楽が進んで行きます。コード(和音)進行も基本的にありますが、そこに自由に音をくわえてえんそうします。リズムも自由に作ります。 Up

  • 声楽 ソプラノ・アルト | Composer Sakkyokuka

    歌うことを声楽(せいがく)と言います。 声の高さにより種類があります。 女性の高い声はソプラノ、低い声はアルトと言います。その中間はメゾソプラノと言います。 年齢(ねんれい)と共に声は低くなる、高い音が出しにくくなる傾向があり、ソプラノの人がメゾソプラノに変わることがあります。 ソプラノは声質により分類されます。代表的なものは次の通り。 ・コロラトゥーラ(高い音域を持ち、細かいパッセージや速い旋律を得意とする華やかな声) ・リリコ(表情豊かで柔らかな抒情的な声) ・スピント(情熱的で激しい感情を表す声) ・ドラマティコ(重厚でドラマチックな表現力を持つ声) ・スプレット(軽くかわいらしい声) オペラは声質により役柄が大体決まってきます 。 モーツァルト オペラ「フィガロの結婚」より 夜の女王のアリア <復讐の炎は地獄のように我が心に燃え> ソプラノ:ディアナ・ラムダウ コロラトゥーラを代表するアリアです。オペラのアリアの中でも超絶技巧を要求されます。 夜の女王の敵ザラストロにさらわれた娘が、いつの間にかザラストロの味方になり、それに怒った夜の女王が歌うアリアです。 プッチーニ オペラ「トゥーランドッド」より <氷の様な姫君の心も> ソプラノ:レオーナ・ミッチェル 氷のように冷たく心を閉ざした美しいトゥーランドッド姫。3つの謎が解けたら姫と結婚できる、もしできなかった時には首をはねられる。カラフ王子は父や奴隷のリューが止めるのも聞かず謎解きに挑戦。謎解きは成功したものの、姫は結婚をかたくなに拒みます。カラフ王子は自分の名前を当てられたら、自分の命を差し出すと逆に姫に謎解きを出します。王子の名前を聞き出そうとリューを拷問にかけますが、リューは決して王子の名前を言いません。そのシーンで歌われるのが「氷の様な姫の心も」。リューは王子の名前を明かさぬまま自ら命を絶ちます。 プッチーニ オペラ「蝶々夫人」より <ある晴れた日に> ソプラノ:エルモネア・ヤオ 明治の長崎を舞台にした話。長崎に駐留するアメリカ海軍士官のピンカートンと結婚した蝶々さんでしたが、ピンカートンは日本での任期を終えアメリカに帰国。必ず帰って来るという彼を信じて日本でひたすら彼を待ち続ける蝶々さん。 きっと夫は帰って来ると信じて歌うアリアが「ある晴れた日に」しかし、ピンカートンはアメリカ人妻を連れて戻って来ました。蝶々夫人との間にできた子供を引き取ろうとし、事情を指した蝶々夫人は刀で自ら命を絶ちます。悲しいお話です。 ビゼー オペラ「カルメン」より <恋は野の鳥> ソプラノ:エリーナ・ガランチャ 「カルメン」はオペラの中で人気ナンバーワンと言って良いほどです。物語は19世紀スペインが舞台。タバコ工場で働くカルメンは奔放なジプシー女。彼女を好きになってしまった兵士ドン・ホセが人生を狂わされ、最後はカルメンを殺してしまうところで幕が閉じます。 「恋は野の鳥」はカルメンがホセを誘惑する歌です。”私に惚れたらご用心」と歌います。 シューマン リーダークライスOp.39 第5曲「月夜」 ソプラノ:バーバラ・ボニー  ピアノ:ウラディーミル・アシュケナージ 声楽にはオペラ以外に歌曲もあります。ドイツ歌曲はリートと言われます。ロマン派の作曲家シューマンは歌曲王と言われるシューベルトに次いでドイツリートを数多く作曲しました。クララとの結婚後に数多く作曲されています。 この曲は透明感あふれる美しい曲です。天と地を月の光が一つに結び付けると歌います。 J.S.バッハ マタイ受難曲より「憐れみたまへ、我が神よ」 アルト:デルフィーヌ・ガルー アルトは女性の低い音域の声です。落ち着いた深みのある声です。地声にならず美しく響かせ、低い音での豊かな響きを作り出すことが求められます。 アルトは宗教曲で重要な役割をよく果たします。マタイ受難曲のアルトのこのアリアは有名で、ペテロがイエスを知らないと3度否定した後の悔恨と許しを乞う歌です。 Up

  • ホーム | Composer Sakkyokuka

    Search 10月の作曲家 フランツ・リスト 1811-1886 / ハンガリー 1月の作曲家 W.A.モーツァルト 1756-1791 / オーストリア 4月の作曲家 F.ショパン 1810-1849 / ポーランド 7月の作曲家 J.ブラームス 1833-1897 / ドイツ 10月の作曲家 サン=サーンス 1835-1921 / フランス 1月の作曲家 シューベ ルト 1797 -1828 / オー ストリア 4月の作曲家 ラフマニノフ 1873 -1943 / ロシア 7月の作曲家 エルガー 1857 -1934 / イギリス 10月の作曲家 ビゼー 1837 -1875 / フランス 1月の作曲家 久石譲 1951 -  / 日本 4月の作曲家 バッハの子どもたち 1710 -1788  / ドイツ 7月の作曲家 スペインの作曲家② 1844 -1999  / スペイン 10 月の作曲家 ワーグナー 1813 - 1883  / ドイツ 1月の作曲家 アンダーソン 1908-1975/ アメリカ 4月の作曲家 バロックの作曲家 1600-1750 / バロック時代 7月の作曲家 2台ピアノのための作品 10月の作曲家 弦楽器のための作品 1月の作曲家 メリーポピンズ 4月の作曲家 声楽 ソプラノ・アルト 11月の作曲家 ロシア五人組 1833-1918 / ロシア 2月の作曲家 F.メンデルスゾーン 1809-1847 / ドイツ 5月の作曲家 P.チャイコフスキー 1840-1893 / ロシア 8月の作曲家 C.ドビュッシー 1862-1918 / フランス 11月の作曲家 N・カプースチン 1837-2020 / ウクライナ 2月の作曲家 ヘンデル 1685 -1759 / ド イツ・イギリス 5月の作曲家 ラヴェル 1875-1937 / フランス 8月の作曲家 ジョン・ウィリアムズ 1932- / アメリカ 11月の作曲家 ヴェルディ 1813 -1901 / イタリア 2月の作曲家 フォーレ 1845. -1924  / フランス 5月の作曲家 プロコフィエフ 1891 -1953  / ウクライナ 8月の作曲家 ハチャトゥリアン 1903 -1978  / ジョージア 11月の作曲家 ピアソラ 1921 -1992   / アルゼンチン 2月の作曲家 ヨハン・シュトラウス1世、2世 1803-1849・1825-1890/ オーストリア 5月の作曲家 バルトーク 1881-1945/ハンガリー 8月の作曲家 サウンド・オブ・ミュージック 11月の作曲家 木管楽器のための作品① 2月の作曲家 金管楽器のための作品① 12月の作曲家 L.V.ベートーヴェン 1770-1827 / ドイツ 3月の作曲家 J.S.バッハ 1685-1750 / ドイツ 6月の作曲家 R.シューマン 1810-1856 / ドイツ 9月の作曲家 G.ガーシュウィン 1898-1937 / アメリカ 12月の作曲家 シベリウス 1 8 65-1957 / フィンランド 3月の作曲家 ヴィヴァルディ 1678-1741 / イタリア 6月の作曲家 グリーグ 1843 -1907 / ノルウェー 9月の作曲家 ドヴォルザーク 1841-1904 / チェコ 12月の作曲家 ストラヴィンスキー 1882 -1971 / ロシア 3月の作曲家 ハイドン 1732 . -1809  / オーストリア 6月の作曲家 スペインの作曲家① 1860 -1946  / スペイン 9月の作曲家 サティ 1866 -1925  / フランス 12月の作曲家 坂本龍一 1952 -2023   / 日本 3月の作曲家 A.メンケン 1949-  / アメリカ 6月の作曲家 コダーイ 1882-1967/ハンガリー 9月の作曲家 チェンバロのための作品 12月の作曲家 木管楽器のための作品② 3月の作曲家 金管楽器のための作品② 管理者   Harumi Sugibuchi

  • ハチャトゥリアン | Composer Sakkyokuka

    アラム・ハチャトゥリアン (1903~1978 ジョージア) 旧ソビエト連邦の作曲家、指揮者。 グルジア(現ジョージア)生まれのアルメニア人。民族音楽に親しみながら育ちました。 (ジョージア、アルメニアは黒海とカスピ海の間にあります。ロシア、トルコ、イラン、アゼルバイジャンと隣接しています) 他の作曲家とちがい、子どもの頃から音楽の教育は受けておらず、本格的に音楽の勉強を始めたのは18歳になってからでした。それまでは楽譜も読めなかったと言われています。 19歳でグネーシン音楽学校に入学し、チェロと作曲を学び始めました。26~31歳までモスクワ音楽院でさらに勉強を続けました。 33歳の時に「ピアノ協奏曲」を発表し、注目を集め、その後も名作を発表し音楽家としての名声を高めていきました。 しかし、1948年になると独裁者スターリンの文化政策によりハチャトゥリアンの音楽は監視下(かんしか:見張られること)におかれ、それが10年間続きました。(プロコフィエフも同じ目にあっています) スターリンの死後(プロコフィエフは同じ日に亡くなっています)、監視の目はとかれ、自由に音楽が作れるようになり、自分のルーツであるアルメニアの民族音楽を取り入れた作品を多く作るようになりました。 1956年にグネーシンとモスクワ音楽院の教授になり、教育活動を始めました。 1963年には来日し、できたばかりの読売交響楽団と共演しています。 亡くなる2年前まで作曲活動にはげみ、74歳でこの世を去りました。 ハチャトゥリアン 1903年6月6日生まれ グルジアは現在は ジョージアという国名 剣の舞(つるぎのまい) 指揮:小澤征爾 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 バレエ「ガイーヌ」の最終幕にある曲。クルド人が刀を持って舞う戦いの踊り。初演前日にクルド人の戦いの場面が追加されることになり、ハチャトゥリアンはきゅうきょこの曲を徹夜(てつや)で作りました。踊りにふさわしいリズムを机(つくえ)の上でたたきながら一気に書き上げたそうです。 曲だけがあまりに有名になってしまい、「ミスター剣の舞」と言われるとむっとして、こうなると知っていたらこの曲は作らなかった、と言っています。 仮面舞踏会 より ワルツ 指揮:ユーリ・シモノフ 「仮面舞踏会」という劇のための音楽として作られました。 ハチャトゥリアンはこの中から5曲を選び、オーケストラのための組曲にしました。ワルツはその1曲目です。劇音楽が演奏されることはまれですが、この組曲の方はしばしば演奏されます。 劇のあらすじは、仮面舞踏会で腕輪をなくしてしまった侯爵夫人が誤解(ごかい)から、自分の夫に毒殺される話です。アイスクリームに毒を盛って妻を毒殺した後、妻の無実を夫は知ります。 トッカータ ピアノ:レフ・オボーリン トッカータとは鍵盤楽器(けんばんがっき)のために作られた技巧的で華やかな曲をいいます。この曲はモスクワ音楽院の学生だった29歳の時に作られ、6年後に出版されるとたいへん人気のある曲になり、ピアノを弾く人がみな弾きたがりました。アルメニアのエキゾチックな感じがする曲です。 こどものアルバム第1集 少年時代の画集 より  アンダンティーノ  44歳のときの作品。第2集もあり、そちらは65歳の時に作り「少年時代のひびき」といいます。どちらも10曲からなる曲集です。このアンダンティーノはピアノ学習者がよく弾く曲です。ハーモニーの美しい曲です。アンダンティーノはアンダンテよりやや速いテンポをいいます。アンダンテはもともと景色を見ながら散歩するという意味があります。 こどものアルバム 第1集 少年時代の画集より  エチュード アンダンティーノと同じ曲集にあります。ハーモニーの美しさとリズムのおもしろさのあるみりょく的な曲です。エチュードとは練習曲のこと。この曲はスタッカートの練習曲です。 。

  • チェンバロのための作品 | Composer Sakkyokuka

    チェンバロはピアノの祖先(そせん)です。 音を出す仕組みはピアノとはちがいますが、 チェンバロ製作者(せいさくしゃ)のイタリアのクリストフォリという人が1709年にチェンバロを改良(かいりょう)してピアノをつくりました。 その時は弦(げん)がピンと張っていなかったので、音がよくは鳴らなかったそうです。 ピアノは弦をハンマーが下からたたくことで音が鳴りますが、チェンバロは弦をはじくことで音が鳴ります。 弦をはじくことではハープと同じですが、ハープは人間の指ではじくのに対して、チェンバロは鳥の羽の軸(じく)や動物のかたい皮、現代ではプラスチックのプレクトラムという爪(つめ)ではじきます。それが弦の横にある木の板(ジャック)に取り付けられていて、それが弦をはじいて音を鳴らします。 チェンバロはイタリア語の名前で 、英語ではハープシコード、フランス語ではクラヴサンといいます。どれも同じ楽器です。 イタリア協奏曲 BWV971 ヘ長調 チェンバロ:クリスティーヌ・ショルンシャイム J.S.バッハ 1685-1750 (ドイツ)  ピアノが演奏(えんそう)される前の時代は、けんばん楽器といえば、チェンバロ、パイプオルガンでした。  ピアノが楽器として使えるようになってきたのが、モールァルトが子どものころです。  なので、チェンバロの作品はバッハやヴィヴァルディが活躍したバロック時代に多く作られました。  このイタリア協奏曲(きょうそうきょく)はバッハが生きていたころから人気がありました。1735年作曲。  現代ではチェンバロ以上にピアノの方が表現豊かにこの曲を演奏出来ることもあり、ピアノで演奏されることが多いです。  第1楽章 0:06~ 第2楽章 4:20~ 第3楽章 9:02~ チェンバロ協奏曲 第5番 第2楽章 ラルゴ チェンバロ:ジン・ロンド  バッハのチェンバロ協奏曲はチェンバロ1台用から4台用まで合わせて14曲あります。コンサートのために作曲されたと考えられています。ちょうど長男フリードリヒ、次男エマヌエルがチェンバリストとして成長していたことが、これだけ多くのチェンバロ協奏曲を作った背景にあると思われます。  この第5番第2楽章のあまい美しさは、バッハのアリオーソとして親しまれています。 ハープシコード組曲第1集 第5番 エアと変奏 「調子のよい鍛冶屋(かじや)」 チェンバロ:トレヴァー・ピノック ヘンデル 1685-1759 イギリス  曲名はヘンデルがつけたものではありません。いくつか説がありますが、元鍛冶屋(かじや)職人見習いだった人物がこの曲を出版し、この時に組曲としてではなくこの楽章を切り離し題名をつけて出版したという説が有力です。  ヘンデルらしいすっきりとした明るい曲です。リズムが8分音符、16分音符、32分音符とだんだん細かくなっていき、左手が細かく動く変奏もあります。ピアノでも演奏される曲です。 ソナタ ホ長調 k.380 チェンバロ:カミル・トカルスキ スカルラッティ 1685-1757 イタリア  スカルラッティはスペインに渡り、そこで王女に音楽を教えました。王女を教えるために555曲ものチェンバロのためのソナタを作りました。速く細かいパッセージの曲も少なくありません。  この曲はアンダンテで、はやいテンポではありません。とても美しいハーモニーの曲です。 ラモー 1683-1764 フランス 鳥のさえずり チェンバロ:リュク・ボセジュール タンブラン チェンバロ:v・ジュリアン・フレイ  どちらの曲も同じクラヴサン曲集第2組曲にあります。  鳥のさえずりは少し悲し気に鳴く鳥のさえずりがあちこちから聞こえてきます。  タンブランは南フランスの胴(どう)の長い太鼓のことですが、この楽器と笛で演奏されるおどりの曲もタンブランと言います。ラモーの曲の中でもよく知られています。力強い曲です。 ティク・トク・ショック チェンバロ:エレーヌ・コンパローネ クープラン 1668-1733 フランス  クープランの曲は題名がついているものが多いです。ティク・トク・ショックは「またはマイヨタン」と題名の横に書かれています。  マイヨタンとはオリーブの実をくだく木づちのことだそうです。2段けんばんのチェンバロで弾くために作られた曲で、右手と左手が同じ音域を動くのでピアノで弾くのはたいへんです。

  • 木管楽器のための作品② | Composer Sakkyokuka

    木管楽器 第2回は、ファゴット、サクソフォーンです。 ファゴット 「ポ~」という音がとくちょうで、おどけた表現を得意としています。 ストラップを使い、かたからかけて楽器をななめに構えてふきます。約135cmの長さがあります。管がとちゅうでおれまがっているので、それをのばしたとしたら約2.6mになります。重さは4kg。 木管楽器の中では一番音が低く、音域はチェロとほぼ同じです。(ピアノは7オクターブ半) オーボエと同じダブルリードで、キーの数が多く、運指が複雑でむずかしく、音程も不安定になりやすい楽器です。 ファゴットはバスーンとも言います。 サクソフォーン サクソフォン、サキソフォンとも言い、サックスと略して言うことが多いです。 音色が木管楽器と金管楽器の中間のような楽器です。ジャズやポップス、吹奏楽でもよく使われます。 1840年初頭にベルギーのアドルフ・サックスによって発明され、楽器の中では新しい楽器です。 新しい楽器なので、クラシック音楽では使われることは多くはありません。 サックスは大きさが7種類あり、それにより音域が異(こと)なります。 一般的なアルトサックスは60~70cm、約2.5kg。 アルトサックスの音域は約2オクターブ。 サックスは移調楽器で、アルトサックスの場合は書いてある音で吹くと、6度下の音が出ます。なので、実際の音域は下はシ♭の6度下のレ♭から上はファ♯の6度下のラになります。 ファゴット ほかの管楽器は親指で楽器を支えますが、ファゴットは10本の指全てを使います。特に左手親指は10個のキーをそうさします。 また、同じ高さの音でも指使いを変え、音色や強弱を変えます。 サクソフォーン サックスは右手親指、上の歯、ストラップの3か所で楽器を支えます。 【ファゴット】 チャイコフスキー 白鳥の湖より「4羽の白鳥」 指揮:ヴェッロ・ペーン パリ国立歌劇場管弦楽団 最初に聞こえてくる低い音がファゴットです。8分音符でファ♯ド#をくりかえしバスの音を吹いています。それに合わせ、バレリーナがおどり始めます。 デュカス 魔法使いの弟子 指揮:ミハイル・ユロフスキ モスクワ市交響楽団 フランスの作曲家ポール・デュカスが1897年に作った曲。たいへんな完璧主義者(かんぺきしゅぎしゃ)で、自分が良い出来だと思った作品以外は生きている間に全て捨ててしまいました。 なので、彼の作品は13曲しか残っていません。この「魔法使いの弟子」はデュカスの自信作で最も有名な曲。 見習いの魔法使いの弟子がほうきに魔法をかけ、水くみをさせようとしますが、魔法を止める呪文がわからず、ゆかを水びたしにしてしまい魔法使いの先生にしかられてしまう話です。 ディズニーの「ファンタジア」で使われている音楽で、ミッキーが弟子役をしています。 ファゴットは2分10秒のところでメロディーを演奏します。 【サクソフォーン】 ポール・デスモンド Take Five(テイク・ファイブ) サックス:Femke Ylstra 北オランダ管弦楽団 サックスはジャズでよく使われる楽器です。 テイク・ファイブはジャズを代表する曲です。5拍子です。 この曲名には5拍子という意味と5分休憩(きゅうけい)しよう、という2つの意味があります。 ジャズの一番の特徴(とくちょう)は、アドリブです。その場で自由にメロディーやリズムを変えて演奏が進みます。 ミヨー スカラムーシュより 第3楽章「ブラジルの女」 サクスフォーン:須川展也 ピアノ:小柳美奈子 2台ピアノの作品でもこの曲を紹介していますが、もとはサックスとオーケストラのための劇音楽です。それを2か月後にミヨーがパリ万博のために2台ピアノ用に編曲しました。その後、自身がサックス&ピアノ、クラリネット&ピアノなど5種類の編曲を作りました。 第3楽章「ブラジルの女 サンバのリズムで」は特に有名です。 R.ロジャース サウンド・オブ・ミュージックより 「私のお気に入り」 サックスはジャズには欠かせない楽器です。 「私のお気に入り」はサウンド・オブ・ミュージックの時にも紹介しましたが、今回はジャズにアレンジされたものです。 ジャズはクラシック音楽とちがい、決まった楽譜がありませんので、演奏者によって色々なバージョンがあります。 Up

  • シベリウス | Composer Sakkyokuka

    ジャン・シベリウス (1865-1957 フィンランド) 後期ロマン派から近代にかけて活躍した北欧を代表する作曲家。 フィンランドの自然や伝統に根差した音楽を作りました。 フィンランドは、帝政ロシア(1721-1917 現在のロシアのほか、フィンランド、リトアニア、ベラルーシ、ポーランド、ウクライナ、コーカサス、シベリア、など支配)の権力でおさえつける政治(圧制あっせいといいます )に苦しんでいました。 シベリウスのフィンランドの民族的な音楽は、帝政ロシアから独立(1917年)しようとする意識をフィンランド国民が持つことに、音楽を通じて貢献(こうけん:力をつくし役立つこと)しました。 父親が1868年に他界。ヴァイオリンに興味を持っていた10歳のシベリウスに、おじがヴァイオリンを与え、作曲にも興味を持ち始めたシベリウスをはげましながら支えました。 おさない頃からシベリウスは自然に強い関心を示していました。 ヘルシンキ大学で法律を勉強し始めましたが、音楽への興味(きょうみ)の方が強かったので、とちゅうで音楽院に転入しました。ベルリンやウィーンへも留学(りゅうがく)をして勉強をしました。 長くヴァイオリニストになる強い希望を持っていましたが、朝から晩までヴァイオリンをひいていても、演奏家になるための訓練を始めるのが遅すぎた、とたいへんつらい決断をして、1892年頃にヴァイオリニストの道をあきらめました。 1920年代の半ばまではオーケストラの作品を中心に多くの曲を作っていましたが、その後、残りの30年間は大きな作品を作ることから遠ざかり、いなかで静かにくらしました。 1957年9月20日の夜に91歳で生涯を閉じました。彼が息を引き取ったその時、ラジオからは彼の交響曲第5番がちょうど流れていました。 また、その時に開催されていた国連総会ではニュージーランド代表の議長の呼びかけで、「シベリウスはこの全世界の一部でした。音楽を通して彼は全人類の暮らしを豊かなものにしてくれたのです」と、黙祷(もくとう)がささげられました。 1865年12月5日生まれ ヘルシンキ 1903年に建てたアイノラの家 ここで生涯を閉じました シベリウスの部屋 交響詩フィンランディア Op.26 シベリウスの曲の中でもっともよく知られた曲。 重苦しく始まり、はげしい戦いのような部分のあと、はれやかに終わります。3:22~からが有名です。 フィンランディアが作られたころのフィンランドは、帝政ロシアの圧政に苦しんでいました。この曲が作られた前年の1898年に自治権(自分たちで政治を行うこと)が認められなくなり、フィンランドを守る軍の廃止(はいし)、ロシア語の強制などが強められました。これに抵抗するフィンランド人がふえ、独立運動が起こるようになりました。 あるイベントでシベリウスが音楽を担当し、そこで作られた「フィンランドはめざめる」という音楽の中のひとつがこのフィンランディアです。帝政ロシアは、この曲がフィンランドへの愛国心をわきおこすとして、演奏を禁止しました。 悲しきワルツ Op.44 指揮・パーヴォ・ヤルヴィ エストニア・フェスティバル管弦楽団 「クオレマ」という劇につけた音楽の中で最もよく知られた曲。 悲しきワルツの部分のストーリーは、次のようなものです。 おさないむすこの見守る中、若い母親が病気でねこんでいます。母親はぶとう会でおどるゆめを見ます。ゆめからさめた母親はベッドから起き上がりおどり始めます。すると死んだ夫がかのじょをおどりにさそい出します。しかし、夫と思っていたのは死神で母親はそのまま息たえてしまいます。 5つの小品より もみの木 Op.75-5 演奏:舘野泉(たてのいずみ) フィンランドで長く暮らしているピアニスト舘野泉さんは、フィンランドの音楽を日本に多く紹介されています。この5つの小品は全て樹木の名前が付けられているので、舘野さんは「樹の組曲」と名付けられています。 第1次世界大戦が起きた1914年作曲。「もみの木」はクリスマスの頃に演奏されることが多いようです。 この曲を演奏されている舘野さんは、現在は脳梗塞(のうこうそく)のため右手が使えなくなり、左手だけで演奏をされています。舘野さんのために作られた左手のための曲がずいぶんと作られました。にこやかなな表情でいつも人に接していらっしゃり、決してえらぶらない日本を代表するピアニストです。 ヴァイオリン協奏曲 Op.47 ニ短調 ヴァイオリン:諏訪内晶子 指揮:ハンヌ・リントゥ フィンランド放送交響楽団 実は現在では、コンサートで演奏されるシベリウスの曲の一番人気はフィンランディアではなく、このヴァイオリン協奏曲になってきています。1903年作曲、1905年に手直しをしました。 シベリウスは第1楽章の始まりを「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように(ごっかんのすみきったきたのそらを、ゆうぜんとかっくうするわしのように)と言っています。 第3楽章(26’07~))は舞曲風のリズミックな音楽でもりあがります。

  • スペインの作曲家② | Composer Sakkyokuka

     パブロ・デ・サラサーテ  (1844-1908 スペイン) 神童として早くから知られたヴァイオリニスト、スペイン国民楽派の作曲家。 8歳で初めてコンサートを行い、10歳の時にスペイン女王の前で演奏。 12歳でパリ音楽院に入学。13歳でヴァイオリン科で1等賞。 1860年頃からヴァイオリニストとして活動を始め、1865年には最初に仲良くなったサン=サーンスといっしょに演奏旅行をしました。 (サン=サーンスはサラサーテに、「序奏とロンド・カプリチオーソ」「ヴァイオリン協奏曲第3番」を献呈しています) ヨーロッパから南北アメリカまで演奏旅行し、巨匠として名声を得ました。 サラサーテの演奏は、ナイチンゲールのように歌い、驚くほど澄んだ音ですばらしいテクニックを持っていたと言います。演奏する時の気取らなさと優雅な動きは観客の心をぐっとつかんだそうです。 作曲家としては、作品のほとんどはヴァイオリン曲で、スペインの民謡や踊りの曲を取り入れています。 気管支炎のため64歳で亡くなりました。  フランシスコ・タレガ  (1852-1909 スペイン) スペインのギタリスト、作曲家。 20世紀のクラシックギターの基礎を作り、コンサートに適さないとされていたギターが独奏楽器として認められるきっかけを作った人物。 貧しい家庭に育ち、おさない頃に用水路に落ち、生死をさまよい失明しかけました。 目が不自由でも生計が立てられるようにとの父親の考えで、音楽学校に進みました。父親は35歳から盲目で、遺伝的にむすこもそうなる可能性があると考えてのことでした。 生活のために、レストランのピアニストの仕事をし、その仕事のあとは弟子たちを教え、夕方にはカフェでまたピアニストとして働き、深夜に自分のギターの練習をしていました。 ギターにハンカチをはさみ大きな音が出ないようにし、ねむけをはらうために冷たい水を入れたタライに両足を入れて練習を続けたそうです。 22歳でマドリード音楽院に入学。作曲、ギター、ヴァイオリン、ピアノで優秀な成績をおさめました。卒業後はギタリストとして活動し、それまでのギター演奏に見られない新しい奏法で観客から絶賛され「ギターのサラサーテ」と評判になりました。 同じスペインの作曲家アルベニス、グラナドスとも交流し、かれらの作品をギター用に編曲しました。そのほかにも、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ショパンの作品をギター用に編曲しています。 名声の絶頂(ぜっちょう:のぼりつめた頂点)で、右半身麻痺(まひ)になりましたが、死の直前までコンサートをやめることはしませんでした。 遺作(いさく:亡くなってから出版された作品)となる「祈り」という曲を作曲し、楽譜に日付を記した直後に気分が悪くなり、12日後に静かに息をひきとりました。57歳でした。  ホアキン・ロドリーゴ  (1901~1999 スペイン) 3歳の頃に病気で視力を失いました。 8歳でピアノとヴァイオリンを習い始めました。ギターの名曲を残していますが、本人はピアニストでギターは演奏しませんでした。 25歳の時にパリに留学し、作曲をデュカス(魔法使いの弟子という曲を作った人。ディズニーの映画でもこの曲が使われています)に学び、せんぱいにあたるファリャにも才能を認められました。ラヴェルとも親交がありました。 1939年にギターとオーケストラのための「アランフェス協奏曲」を作曲。翌年に初演され大成功をおさめ、これによりロドリーゴは世界的に知られるようになりました。 スペインに帰国し、スペイン総合大学の教授とし音楽史を教えました。世界各国への演奏旅行も続け、1973年には日本でピアノリサイタルをしています。 1999年、老衰のため97歳でマドリードで死去。 サラサーテ 1844年3月10日生まれ タレガ 1852年11月21日生まれ ロドリーゴ 1901年11月22日生まれ サラサーテ ツィゴイネルワイゼン Op.20 ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ ツィゴイネルワイゼンとは、ジプシー(ロマ)のメロディーという意味です。はなやかでドラマティックでありながら、哀愁(あいしゅう)がある技巧的な曲で、ヴァイオリンの曲としてはよく知られています。 サン=サーンス 序奏とロンド・カプリチオーソ ヴァイオリン:三浦文彰 サラサーテといっしょに演奏旅行をしたサン=サーンスがサラサーテのために作った曲。スペイン出身のサラサーテのためにスペイン風の要素が取り入れられ、初演の時から人気のある曲で、現在でもサン=サーンスの曲の中で最も人気のある曲のひとつ。初演はサン=サーンス指揮、ヴァイオリンはサラサーテ。ビゼーによってピアノ伴奏版も作られました。ドビュッシーは2台ピアノに編曲をしました。 ロンドとは形式のひとつでA-B-A-C-A とAを何度もくりかえすものです。カプリチオーソは気まぐれにという意味の言葉。 タレガ アルハンブラの思い出 ギター:ゴラン・クリヴォカピッチ 数あるクラシックギターの曲の中で、最も有名な曲。 トレモロという何度も同じ音を鳴らす奏法が最初から最後まで続きます。音のつぶが繊細(せんさい)につむがれる様子は、アルハンブラ宮殿のふんすいをイメージしたと言われています。 タレガ ラグリマ(涙) タレガは有名なメロディーが多い作曲家です。この曲も聞いたことがあるかもしれません。ラグリマとはスペイン語で涙(なみだ)の意味です。この曲はむすめの死に由来するそうで、1891年に演奏旅行から帰って来た時に、3日前にむすめが亡くなったことを妻からきかされました。 温かく優しさを感じる部分ともの悲しい中間部。むすめへの気持ちが伝わってきます。 アルベニス(タレガ編曲 ギター版)アストゥリアス ギター:村治佳織  アルベニスのピアノ曲(前回のアルベニスで紹介しています)をタレガがギター用に編曲しました。ピアノよりギターで演奏される方が有名になりました。 ロドリーゴ アランフェス協奏曲 より 第2楽章 ギター:マルティン・ディッラ ロドリーゴが世界的に知られるようになった曲。とりわけこの第2楽章は哀愁をたたえた美しいメロディーで広く知られています。ソナタや協奏曲はふつう第2楽章が一番短いのですが、この曲は第2楽章が一番長く作られています。 ロドリーゴはスペインの古都アランフェスがスペイン内戦で被害を受けたことから、スペインとアランフェスの平和への願いをこめて作曲したと言われています。第2楽章については、病で重体となった自分の妻や失った初めての子どもに対する神への祈りがこめられていると言われています。

  • モーツァルト | Composer Sakkyokuka

    ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791 オーストリア) おさないころから並(なみ)はずれた音楽の才能(さいのう)を示した、「神童(しんどう)」とよばれる古典派(こてんは)の作曲家。 父レオポルトに、おねえさんのナンネルと共に、音楽教育を受けました。現在残っている最初に作曲した曲は、5歳の時のものです。(k.1 メヌエット) 子供の頃から、ヨーロッパ各国を16年間、演奏をしてまわりました。ドイツ語、イタリア語、フランス語、英語、オランダ語の5カ国語が話せたそうです。 イギリスでは、ロンドンのバッハといわれているバッハの一番下のむすこ、ヨハン・クリスティアン・バッハと出会い、20歳(さい)くらいの年齢差(ねんれいさ)がありましたが、気が合ったといいます。オペラの作曲も多くしていたロンドンのバッハから、モーツァルトは多くを学びました。同じ時代のハイドン(ベートーヴェンの先生で、モーツァルトより26歳年上)とも気が合ったと言います。 最初に音楽を習ったのは父親からでしたが、外国に演奏旅行に行き、そこで出会った音楽家から、実際は多くの音楽教育を受けました。 モーツァルトの時代は、宮廷(きゅうてい)や貴族(きぞく)に仕(つか)えて、そこで働(はたら)くのがふつうでした。 モーツァルトは、ザルツブルクという町に生まれました。そこは教会が大きな力を持っていました。教会でもっとも力を持った大司教(だいしきょう)のもとでモーツァルトは働(はたら)いていました。 しかし、その大司教は厳格(げんかく)で、前任者(ぜんにんしゃ)のような寛大(かんだい)さがなく、モーツァルトの才能を見抜けなかったこともあり、音楽に注文をつけることが多く、2人は大げんかになりました。 それで、モーツァルトはザルツブルクから離れ、首都ウィーンへ活動の場を移(うつ)しました。そこでは、当時ではめずらしいフリーの音楽家として活動しました。 活躍はしていたものの、生活は苦しく、亡(な)くなった時も個人(こじん)のお墓(はか)ではなく、共同墓地(きょうどうぼち)に埋(う)められました。 35年という短い生涯(しょうがい)でしたが、900曲をこえる曲を残しています。 交響曲(こうきょうきょく)、協奏曲(きょうそうきょく)、オペラ、宗教曲(しゅうきょうきょく)など、広いジャンルにわたり傑作(けっさく)を生み出しています。 モーツァルトは作曲についてこのように言っています。 『長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大(ぼうだい)な思考を注(そそ)いできた人はほかには一人もいません。有名な巨匠(きょしょう)の作品はすべて念入り(ねんいり)に研究しました。』 天才は何もしなくともできるのではなく、人並み以上の努力(どりょく)ができる人だとわかる言葉です。 1756年1月27日生まれ モーツァルト8歳、ナンネル13歳、 ウィーンのモーツァルト像 ザルツブルクの町 この川を渡ると モーツァルトの生まれた家があります 共同墓地の跡   作品番号について  曲には、作品番号というものがついています。  多くの作曲家は、Op.(オーパス)の番号がついています。しかし、そうではない作曲家たちもいます。  モーツァルトは、K.またはKv.です。ケッヘルと言います。これは、ケッヘルという人がモーツァルトの作品を作曲された順に並べたからです。 「ああ、お母さんあなたに申しましょう」による 12の変奏曲 K.265 (キラキラ星変奏曲) この楽器は、フォルテピアノといいます。現在のモダンピアノの 前の時代に使われていたピアノです。18世紀から19世紀前半に 使われていました。モーツァルトやベートーヴェンの時代の ピアノの音はこのような音でした。 2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448 第1ピアノ: ダニエル・バレンボイム 第2ピアノ:マルタ・アルゲリッチ 1781年の25歳の時の作品。才能ある弟子と2人で弾くために作曲。2台のピアノのために書かれた作品はこの曲のみ。 交響曲 第40番 ト短調 K.550 指揮:レナード・バーンスタイン ボストン交響楽団 モーツァルトの「3大交響曲」のひとつ。41曲ある交響曲の中で、短調の作品は2曲だけ。その内の1曲がこの作品。どの楽章もおすすめ。 ピアノ・ソナタ イ長調 K.331 終楽章 「トルコ行進曲」 演奏: 内田光子 この曲は単独で書かれた曲ではなく、ピアノソナタの楽章の ひとつとして書かれました。第1楽章もよく耳にする曲です。 トルコというのは大変強い国だったオスマン帝国のことです。16~18世紀に西ヨーロッパではトルコ風なものがはやって いました。 オペラ「魔笛」より 魔法の鈴 オペラ「魔笛(まてき)」は、タミーノ(主役)とパパゲーノがお姫様を救う話。タミーノは魔法の笛、パパゲーノは魔法の鈴を渡され、夜の女王の娘を悪人のザラストロから救ってほしいと頼まれます。パパゲーノが奴隷たちにつかまりそうになった時に、魔法の鈴を鳴らすと、みんなうかれて踊り出してしまいます。この鈴があると、だれも争わなくなるのです。 オペラ「魔笛」より 夜の女王のアリア 「復讐の炎は地獄のようにわが心に燃え」 オペラのアリアの中でも超絶技巧を要求される曲。高い音で細かく速い音で歌わなければなりません。夜の女王の敵、ザラストロにさらわれた娘が、いつの間にかザラストロの味方になり、それに怒った夜の女王が歌うアリアです。娘パミーナに、ザラストロにこの短剣で死の苦しみを与えるよう命じます。夜の女王が復讐の炎に燃えてしまっている歌です。 クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 より 第2楽章 クラリネット:アンドリュー・マリナー ロンドン交響楽団 モーツァルトが協奏曲として最後に残した作品。1791年作曲。 最晩年の澄み切った音楽の美しさは、最高傑作のひとつ。 ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 より 第2楽章 ピアノ・指揮:レイフ・オヴェ・アンスネス マーラー・チェンバー・オーケストラ モーツァルトのピアノ協奏曲は全部で27曲あります。 ピアノを弾きながら指揮をして演奏することを「弾き振り」と言います。モーツァルトの協奏曲(コンチェルト)ではめずらしいことではありません。ピアノ協奏曲で短調は、この曲をふくめて2曲だけです。初演はモーツァルト自身。ハイドンがこのコンサートを、ききに来ていたそうです。ベートーヴェンとブラームスがこの曲が好きで、カデンツァというソリストのうでの見せ所を作っています。 レクイエム(死者のためのミサ曲) ニ短調 K.626 より 「コンフターティス(呪われた人々が)」 「ラクリモサ(涙の日)」 指揮:レナード・バーンスタイン バイエルン放送交響楽団 バイエルン放送合唱団 モーツァルトの最後の作品。モーツァルトの死によって作品は 未完成。「涙の日」を8小節書いたところで絶筆。 そのあとは、弟子のジュースマイヤーによって補筆。 ショパンは、自分の葬式でこの曲を演奏してほしいと言いのこしています。現在もショパンの命日にはこの曲がショパンの心臓が眠る教会で演奏されます。 アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618 指揮:レナード・バーンスタイン 最後の年、1791年に作られた教会音楽。キリストへの感謝と 賛美が歌われています。短いながら、傑作のひとつ。 モーツァルトの音楽の特徴である、晩年の澄み切った美しさが この曲にもあります。 メヌエット ト長調 K.1 ピアノ:井上直幸 モーツァルトが5歳の時に、初めて作った曲。 メヌエットとは、フランスの小さなステップでおどる4分の 3拍子の曲です。おどりがすきだった、太陽王と言われるルイ 14世がお城でおどるようになって、メヌエットがはやりました。ルイ14世の次の次の王さまのおきさきが、マリー・アントワネット。ウィーンからパリへおよめに行きました。モーツァルトとは子供の頃に会っています。 アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク ト長調 K.525 1787年作曲。多くの人が耳にしたことのある曲です。 セレナーデ 第13番と呼ばれることもあります。 モーツァルトが作ったセレナーデでは最後の曲です。本来は 5楽章から構成されていますが、第2楽章が行方不明になり、4楽章で演奏されます。 アイネ・クライネ・ナハト・ムジークを訳すると、小さな夜の音楽。日本語では小夜曲(さよきょく)。セレナーデのことです。娯楽の(きがるに楽しむ)ための曲です。

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