
調べたい作曲家の名前を下のはこに入れてください。
空の検索で56件の結果が見つかりました。
- スペインの作曲家① | Composer Sakkyokuka
情熱の国スペインの作曲家を今回と次回で3人ずつ紹介(しょうかい)します。 *…*…*…*…*…* イサ―ク・アルベニス (1860-1909 スペイン) スペイン国民楽派の先頭に立って活躍した作曲家、ピアニスト。 1869~1873年(9~13歳)にマドリード音楽院で学び、在学中にすでに演奏活動を開始。ドイツ、ベルギーでも勉強し、天才ピアニストとして世界各地で演奏。 1883年に教師で作曲家のペドレルから、スペインの民族音楽の作曲をすすめられ、スペインの民謡を取り入れた音楽づくりを始めました。 23歳で結婚をし、1890年代にフランスのパリに住みました。パリでは有名な音楽家との交流があり、その一人にフォーレ がいました。 ピアノ曲を多く残し、当時からヨーロッパの音楽界では高く評価されていました。 49歳の若さで病により亡くなりました。 エンリケ・グラナドス (1867ー1916 スペイン) 7歳年上のアルベニスと共に、スペイン国民楽派として名高い作曲家、ピアニスト。 スペインの民族的な音楽にくわえ、ロマン的でもあり、シューマンやショパンにも通じるところや、印象派のドビュッシーの影響もみられる音楽を作っています。 ピアニストとしては、グリーグ のピアノ協奏曲でデビュー。演奏と作曲をしながら、音楽院で教育活動もしました。 1911年に作曲したオペラをフランスのパリで初演しようとした時に、第1次世界大戦が起きてしまいました。上演できずにいたところに、アメリカのオペラハウスから声がかかり、船旅がきらいなグラナドスは迷いながらもニューヨークへ行くことを決めました。 オペラは大成功をおさめ、アメリカの大統領からホワイトハウスで演奏するよう招かれ、予約をしていた飛行機のチケットをキャンセルしました。 このことが大きな運命の分かれ道になりました。 2か月後にやっと帰路につき、ロンドン経由でサセックス号に乗船したところ、英仏海峡(イギリスとフランスの間の海)でドイツの潜水艦に攻撃され沈んでしまいました。 グラナドスは救命ボートに救い上げられようとしていましたが、波にしずんでいく妻のすがたを見て、助けようと海に飛び込みました。しかし、二人とも波にもまれながら暗い海に沈んで行きました。48歳と8カ月でした。 マヌエル・デ・ファリャ (1876-1946 スペイン) 早くからピアノや作曲の才能を示しました。 1900年にマドリードに住み、マドリード音楽院で作曲を教わったペドレル(アルベニスの作曲の先生)の影響(えいきょう)で、アンダルシアのフラメンコに興味を持ち、その影響が見られる作品を多く残しています。 1907~1914年までパリに滞在し、同じスペイン出身のアルベニス、フランス(パリはフランスの首都)のラヴェル 、ドビュッシー と親交を結びました。 1914年に第1次世界大戦が始まりスペインに帰国。 1936年にスペインで内戦が始まり1939年にアルゼンチンに亡命。(アルゼンチンは南米の国でスペイン語を話します) 1946年、スペインに帰ることなくアルゼンチンで死去。 アルベニス 1860年5月29日生まれ グラナドス 1867年7月27日生まれ ファリャ 1876年11月23日生まれ アルベニス スペイン組曲 Op.47より アストゥリアス ピアノ:ルイス・フェルナンド・ペレス アルベニスが亡くなった後にスペイン組曲第1集として出版されました。ギターのつま弾きのように始まります。のちにこの曲はギタリストによりギター用に編曲され、ギター版の方がオリジナルのピアノ版より有名になっています。 アストゥリアスは北部の地名ですが、この曲は南部のアンダルシアの音楽を元にしています。アルベニスはこの曲には前奏曲とだけ名付けています。 グラナドス 12のスペイン舞曲 Op.37 より 第5曲アンダルーサ ギター:アンドレアス・セゴビア この曲集はグラナドスの最初の傑作と言われ、サン=サーンス、グリーグ、キュイ(ロシア五人組)にも称賛されています。ピアノ曲として作られましたが、ギタリストのセゴビアがギター用に編曲し、ギターで聴くことが多い曲です。スペインの音楽を語る上でギターは欠かせません。原曲もギターを思わせる音楽です。 アンダルーサとはスペイン南部のアンダルシア地方のことです。ほの暗い情熱と哀愁をおびたメロディーが魅力です。曲名は作曲者がつけたものではありません。 グラナドス 12のスペイン舞曲 Op.37 より 第2曲 オリエンタル ピアノ:エミリ・ブルガリャ この曲集でグラナドスは「スペインのグリーグ」と言われました。デリケートで美しい音楽です。 この第2曲のオリエンタル(東洋の意味)の曲名は作曲者がつけたものではありませんが、東洋的なふんい気が漂います。スペインは長くイスラムに支配されていた国です。 バレエ音楽「恋は魔術師」より 火祭りの踊り 指揮:ダニエル・バレンボイム シカゴ交響楽団 「恋は魔術師」はファリャの代表作で、ファリャの故郷アンダルシアのフラメンコを取り入れたバレエ音楽です。ジプシーのむすめの恋(こい)をめぐる話で、亡くなった元恋人が亡霊(ぼうれい)になって現れ、新しい恋人との仲を邪魔(じゃま)します。火祭りの踊りは、亡霊となって現れた元恋人を悪魔(あくま)ばらいする場面。燃えさかる炎のような音がメラメラと聞こえるようです。
 - A.メンケン | Composer Sakkyokuka
アラン・メンケン (1949- アメリカ) ミュージカル音楽、映画音楽の作曲家、ピアニスト。特にディズニー映画の音楽で知られています。 父は歯医者およびブギウギのピアニスト、母は女優、ダンサー、脚本家。メンケンは少年時代から音楽に興味(きょうみ)を持ち、クラシック音楽を学びピアノとヴァイオリンを習いました。おさない頃に作曲も始めました。 高校生の頃にはバッハやベートーヴェンの曲を自分流にアレンジして弾いていました。 大学の医学部に進みましたが、とちゅうで音楽学にかわり、音楽学部を卒業しました。 卒業後にミュージカルの作曲に興味がまし、その作曲をしながらバレエ・モダンダンスのピアノ伴奏(ばんそう)、「セサミストリート」の作曲、ヴォーカルコーチなどで活躍しました。 ミュージカルの成功によりディズニー映画 「リトル・マーメイド」の音楽を手がけることになりました。 「リトル・マーメイド」「美女と野獣(やじゅう)」「アラジン」「ポカホンタス」でアカデミー賞を受賞。 バレエ・ダンサーと結婚し、ニューヨークに住んでいます。 1949年7月22日生まれ 動画が始まる時にCMが流れると思います。 画面にスキップの文字が出ると飛ばせます。 出ない時は曲が始まるまで待ってください。 リトル・マーメイドより「パート・オブ・ユア・ワールド」 原作は、アンデルセンの「人魚ひめ」 人間の王子に一目ぼれしたアリエルが嵐で海に投げ出された王子を助けます。アリエルはその美しい声とひきかえに、3日間だけ海の魔女アースラに人間にしてもらいます。その間に王子と愛をちかうという約束をしますが、アースラに邪魔をされうまくいきませんでした。王の力を得たアースラは海に嵐を起こし、アリエルと王子をおそいます。王子は沈没船でアースラに体当たりしアースラをたおすことに成功。 アリエルの父トリトンは2人の深い愛に心を動かされ、アリエルを人間にかえ、王子とめでたく結婚。 原作では、王子を助けたのは自分だと気付いてもらえず、人魚にもどるには王子を短剣でさし、その血をあびる必要がありました。しかし、人魚ひめは王子を短剣でさすことはできず、海に身を投げあわとなって消えてしまいます。 part of your worldとは、あなたの世界の一部に、という意味です。人間の世界の一人になりたいということです。 リトル・マーメイドより「アンダー・サ・シー」 カニのセバスチャンは、アリエルが恋に落ちたエリック王子と結ばれるために人間になりたいという望みに反対します。 人間の生活のたいへんさと、海中での不自由のない暮らしのよさを話しますが、アリエルは歌が終わる前に去ってしまい、セバスチャンの願いはとどきませんでした。 アラジンより「ア・ホール・ニュー・ワールド」 アラジンとジャスミンが魔法のじゅうたんにのって大空をかけるシーンで歌われます。 A whole new worldとは、まったく新しい世界という意味です。 美女と野獣 主題歌 森のおくにあるお城に住む若く美しい王子は、冷たく身勝手な性格だったので魔女に野獣の姿にかえられてしまいました。王子の魔法をとくには「真実の愛」を知ることだけ。魔女に渡された魔法のバラの花びらが全て散るまでに「真実の愛」を知らなければ、人間の姿にもどることはできません。 それから10年後、ベルという心やさしく美しいむすめがおそろしい野獣が住むお城に迷いこみます。 野獣のわがままで凶暴なふるまいにベルは城を飛び出してしまいます。ふぶきの中でオオカミにおそわれたところをかけつけた野獣に助けられます。これをきっかけに、みにくく凶暴な野獣の中にやさしさが残っていることにベルは気が付き、おたがいに心を通わせるようになっていきます。 最後は死にそうになっていた野獣にベルが愛の告白をし、魔法がとけ、野獣は美しい王子の姿にもどり2人は結婚します。 塔の上のラプンツェル より「輝く未来」 深い森の塔の上でくらすラプンツェルは母親の言いつけで一度も外に出たことはありませんでした。18さいのたんじょう日の前日に塔に侵入(しんにゅう)してきた大どろぼうフリンを長くのばした金色の髪(かみ)をあやつり、つかまえます。 外の世界への好奇心がおさえきれなくなり、フリンに案内を頼み、外の世界に飛び出します。 なぜずっと塔の上で生活をしていたのか、たんじょう日のたびになぜたくさんの光が空にまうのか、ラプンツェルの秘密が明かされていきます。
 - ヴェルディ | Composer Sakkyokuka
ジュゼッペ・ヴェルディ (1813-1901 イタリア) ロマン派最大のオペラ作曲家。オペラ王と言われています。 両親は宿屋と雑貨屋を経営していました。7歳の時にスピネット(小型のチェンバロ)を父から与えられ音楽の才能を示し、10歳の時には教会のオルガニストをまかされました。 12歳頃から音楽学校で作曲を学び、ミラノで本格的に勉強をしようとしましたが年齢制限をこえていたため、音楽学校には入れませんでした。 ミラノのスカラ座(オペラ劇場)の作曲家のもとで個人指導を22歳位までしっかりと受けました。 勉強を終え、出身地のとなり町の音楽学校の先生になりましたが、オペラへの夢をあきらめきれず、ミラノに戻りました。 初めてのオペラ作品が成功し、作品の依頼がくるようになりました。 2作目のオペラを書いている頃、不幸にも子供と妻が亡くなり、オペラの上演も失敗に終わり、音楽から身を引こうと考えました。 しかし、オペラ座の支配人に説得され、旧約聖書を題材にした台本を渡され、その内容に感動しオペラを作曲することを決意。これが大成功し、有名作曲家の仲間入りをしました。 次から次に注文が来るようになり、9年間に14本もオペラを作曲しました。 45歳の時に再婚し、音楽の仕事を減らし所有していた農地を広げ農園にし、経営者としての才能も発揮しました。 1861年に統一されたイタリアの初代首相に頼まれ、国会議員にもなりました。 晩年は私財(自分の財産)を投じて「音楽家のための憩い(いこい)の家」を建設し、自分の死後も著作権料で運営できるようにしました。(音楽家のための高齢者住宅で、年金の8割を払えば貧富の差に関係なく住むことが出来る施設) 1898年に妻を亡くし、1901年にいつも泊まっていたホテルで脳血管障害で倒れ意識を失い、1週間後に亡くなりました。 妻と共に「音楽家のための憩いの家」に埋葬されています。 1813 年10月10日生まれ 音楽家のための憩いの家 (カーサ・ヴェルディ) 著作権料は、国によって異なりますが作曲家の死後50年で大体切れます。現在は居住者の家賃とこの理念に賛同する人たちからの寄付で運営されています。 ヴェルディは「あなたにとっての最高傑作は?」の質問に、「このカーサ・ヴェルディだ」と答えています。オペラではなく。 オペラ「椿姫(つばきひめ)」より 乾杯(かんぱい)の歌 歌:ホセ・カレーラス レナ―タ・スコット 「椿姫」はヴェルディの代表作というだけではなく、世界中で最も人気のあるオペラのひとつ。パリの社交界を舞台にした話で、社交界の華(はな)ヴィオレッタとの恋をアルフレードの父は許さず、最後に2人の中を許した時にはヴィオレッタは結核で息を引き取り亡くなります。 「乾杯の歌」は、第1幕で歌われ、オペラの中でもたいへん知られた曲です。 オペラ「運命の力」 より 序曲 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 このオペラも悲劇です。恋人が誤って父を殺してしまい、兄が復讐から妹を刺し殺してしまう話。 内容がつらい話なので、オペラ上演よりこの序曲だけが演奏されることが多いです。金管楽器が「ミ―、ミ―、ミ―」とミの音を最初に3回くり返し、過酷(かこく)な運命を暗示しているかのようです。そのあとの木管楽器の悲しみに満ちたメロディーのかげで、運命がうず巻くかのような弦楽器の短いメロディーがからみついてきます。 オペラ「アイーダ」 より 凱旋(がいせん)行進曲 古代エジプトの物語。エジプト軍の指揮官ラダメスが奴隷アイーダに恋をします。アイーダは実は敵国エチオピアの王女。最後は2人はお墓の中で天国に旅立ちます。 「凱旋(がいせん)行進曲」はエジプト軍がエチオピアに勝利をし凱旋する時の音楽です。3:17~はサッカーの試合で以前よく使われていた部分です。 レクイエム より 怒りの日(ディエス・イレ) 指揮:クラウディ オ・アバド ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レクイエムとは、死者のためのミサ曲です。ヴェルディのレクイエムは、モーツァルト、フォーレ(フランスの作曲家)とともに3大レクイエムと言われています。 「怒りの日」はキリスト教の考え方で、世界の終末の日にキリストが生前の行いから天国に行く人と地獄に行く人に分けるというもの。天国に行く人は永遠の命を与えられ、地獄に行く人は終わることのない苦しみを与え続けられると言われています。 この「怒りの日」はヴェルディのレクイエムの中で最も有名です。地獄の炎のような音楽です。
 - ピアソラ | Composer Sakkyokuka
アストル・ピアソラ (1921-1992 アルゼンチン) アルゼンチン出身のタンゴ音楽作曲家、バンドネオン奏者。 タンゴにクラシック音楽とジャズを混ぜ合わせ、新しいタンゴを生み出したことで知られています。 イタリア移民の3世としてアルゼンチンに生まれました。4歳の時に一家でニューヨークに移住し15歳まで過ごしました。その頃にジャズに親しみました。 アルゼンチンに戻り、父親が経営するレストランでバンドネオン(アコーディオンに似た楽器)、ハーモニカを演奏していました。タンゴへの興味(きょうみ)はうすかったのですが、ラジオで聴いたタンゴに感動し楽団に入り、バンドネオン奏者として実力をあらわすようになりました。 作曲の勉強を始め、タンゴ音楽に限界を感じパリに留学。タンゴ奏者であることをかくしていましたが、先生にタンゴこそピアソラの音楽と指摘(してき)され、タンゴ音楽を新しいものにすることを決意。 タンゴの破壊者(はかいしゃ)と命を狙われることも幾度かありました。再びニューヨークに移住し、ジャズとタンゴを合わせた音楽を作るようになりました。 アルゼンチンでもピアソラのタンゴが認められるようになり、ピアソラの楽団に入ることはサッカーのアルゼンチンチームに入るくらい名誉なことと言われるようになりました。 ピアソラのルーツ、イタリアに移住し傑作(けっさく)「リベルタンゴ」を作曲。 心臓の病気で入院したり手術をしながら多くの曲を作曲しました。パリの自宅で脳の病気でたおれ、大統領の専用機でアルゼンチンに帰国。アルゼンチンの病院で71歳で亡くなりました。 1921年3月11日生まれ アルゼンチンは南アメリカ南部にあります 飛行機で22~23時間。時差12時間。 タンゴ キレの良いアルゼンチンのダンス リベルタンゴ リベルタンゴとは「自由なタンゴ」という意味です。タンゴの音楽はおどるためにありましたが、ピアソラは聴くための音楽として作りました。オリジナルはエレキギターやベースギターが入っていて、ロックの要素をふくんでいます。 4’00”あたりから有名な部分です。(最初を飛ばしてもよいので、ぜひこの曲を聴いてください!) ブエノスアイレスの春 フィギュアスケート:髙橋大輔 フィギュアスケータ―の髙橋大輔さんの演技です。髙橋さんの演技とピアソラの音楽がぴったり。 ブエノスアイレスの四季 より「春」 バンドネオン:三浦一馬 1965年に1作目「夏」を書いた時には四季になる予定ではありませんでした。4年後に「秋冬春」が作られ「ブエノスアイレスの四季」としました。ピアソラは演奏する時に「冬夏秋春」の順番に演奏していたそうです。 ブエノスアイレスの冬 四季の中で特に美しい曲です。ヴィヴァルディの「四季」に似た部分もあります。テンポの変化が大きく情熱的な音楽。 アディオス・ノ二-ノ バンドネオン:ピアソラ 1958年にピアソラはブエノスアイレスでの活動に新鮮味(しんせんみ)がなくなり、ニューヨークに渡りました。しかし活動は期待はずれでお金に困りナイトクラブでタンゴダンスの伴奏をしました。翌年父(愛称ノ二-ノ)が亡くなりましたが、アルゼンチンに帰る旅費がなく故郷に帰れず、ニューヨークでがっくりときた中で亡き父にささげて作曲したのがこの曲。
 - ヴィヴァルディ | Composer Sakkyokuka
アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ (1678-1741 イタリア) 後期バロック音楽を代表する作曲家。 ヴァイオリニスト、音楽教師、カトリック教会の司祭(しさい)でもありました。赤毛の司祭とよばれていました。 実はヴィヴァルディは、死後長らく忘れられていた作曲家でした。バッハが再評価された際に、ヴィヴァルディの作品を編曲して学んでいたことがわかり、ヴィヴァルディの多くの作品が再発見、再評価されました。 ヴィヴァルディはヴェネツィアに生まれ、司祭になるために10歳から教会付属学校に入学しました。ヴァイオリンの才能があった父親のもとでヴァイオリンを学び、父親の音楽仲間から作曲も学びました。 ヴェネツィアにある身寄りのない子どもたちのための4つの養育院のひとつ、ピエタ養育院でヴァイオリンを教えるようになりました。 ここには、音楽の才能がある女子の教育をする音楽学校がありました。男子は仕事を見つけ養育院を出ていきますが、女子はここに残って、オーケストラや合唱を続け、コンサート活動をしたそうです。 ヴィヴァルディはこの音楽学校で30年以上ヴァイオリン、合唱、作曲を教えました。 音楽教師でありながら作曲家としての活動もし、ヴィヴァルディの名はヨーロッパ中に広がっていきました。 オペラ作曲家としても成功をおさめていたヴィヴァルディは、ウィーンでオペラを上演することを決意。 楽譜20曲を売り資金を作り、ウィーンへ行きましたが、ヴィヴァルディの大ファンでウィーンでの一番の理解者で援助をしてくれるはずだった皇帝(カール6世。マリア・テレジアの父)がヴィヴァルディがウィーンに到着して間もなく亡くなってしまいました。 オーストリア国内は1年間喪に服す(もにふくす)ことになりました。 コンサートやオペラの上演は禁止され、カール6世の長女、マリア・テレジアが後を継ぐことになったため、女性が王のあとをつぐことが認められていなかったので、オーストリア継承戦争(けいしょうせんそう)が起き、オーストリアは戦争一色となってしまいました。 オペラ上演のためにたいへんな借金(しゃっきん)をかかえ、失意のうちに体調をくずし、ヴィヴァルディはイタリアに帰国することなく、ウィーンに来た1年後に63歳で亡くなりました。 貧民墓地(ひんみんぼち)に埋葬され、現在はこの墓地は取り壊され、ウィーン工科大学が建っています。 1678年3月4日生まれ カール6世 マリア・テレジア ウィーン工科大学 工科大学の壁にある埋葬地を示すパネル ヴィヴァルディが亡くなった宿の跡地には 現在、ザッハトルテで有名なホテル・ザッハが建っています。 四季より春 第1楽章 正式な曲名は「ヴァイオリン協奏曲集 和声と創意の試み 作品8」 全部で12曲ある中の最初の4曲が「四季」です。ヴィヴァルディ自身は四季と名付けてはいません。 それぞれ3つの楽章からできています。それぞれの楽章の初めに 十四行詩(ソネットと言います)が書かれています。 第1楽章には次の詩が書かれています。 『春がやってきた、小鳥は喜びさえずりながら祝っている。小川のせせらぎ、風がやさしくなでる。春を告げる雷が、大きくひびきわたる音を立て、黒い雲が空をおおう、そして嵐は去り小鳥はすばらしい声で歌う。』 秋 第1楽章 アレグロ 小作農のダンスと歌 『農夫たちが収穫が無事に終わり大騒ぎ。ブドウ酒 が気前よく注がれる。彼らは、ほっとして眠りに落ちる。』 冬 第2楽章 ラルゴ 『外は大雨がふっている、中でだんろ で満足そうに休息(きゅうそく)。』 調和の霊感 Op.3 より 第11番 コンチェルト・グロッソ Rv.565 ニ短調 J.S.バッハはこの曲をオルガンに編曲をしました。ヴィヴァルディの曲で勉強をしていたのです。この第4楽章(シチリアーノ)がとても美しいです。4:26~ 夏 第3楽章 プレスト 夏の嵐 『ああ、かれの心配は現実となってしまった。上空の雷鳴と雹 (ひょう)がすくすくと育った穀物をなぎ倒した。』 冬 第1楽章 アレグロ・ノン・モルト 『寒さの中で身ぶるいしている。足の冷たさをふりほどくために歩き回る。つらさから歯が鳴る。』 グローリア ニ長調 RV.589より 第1曲 いと高きところには神の栄光 ヴィヴァルディの宗教作品の中で演奏されることの多い曲。 ピエタ音楽院で宗教曲を頼まれ作ったと言われています。 20世紀の初めに、王立図書館のコレクションの中から発見され、一部が下書きになっていたものを補筆して演奏され、一般の聴衆へヴィヴァルディ音楽の注目を高めることになりました。 J.S.バッハ コンチェルト ニ短調 BWV596 J.S.バッハがオルガンに編曲したもの。 シチリアーノはバッハの方では第2楽章になっています。 5:02~が第2楽章。 シチリアーノ(ヴォロドス編曲) 演奏:アルカディ・ヴォロドス ヴィヴァルディのコンチェルト・グロッソのシチリアーノをピアノに編曲をして演奏しているピアニストもいます。 楽譜は売られていないので、演奏家がそれぞれ自分で編曲をしていますが、原曲を大きく変えることなく演奏しているピアニストが多いです。 このヴォロドスはモーツァルトのトルコ行進曲を超難曲に編曲をしたことで知られています。https://youtu.be/0qG9PZNJI_k
 - グリーグ | Composer Sakkyokuka
エドヴァルド・グリーグ (1843-1907 ノルウェー) 後期ロマン派の国民楽派の作曲家。ノルウェーの民族音楽を活かした音楽を作りました。 5人兄弟の4番目。ピアニストだった母に6歳からピアノを学び、15歳の時に才能を認められ、ドイツのライプツィヒ音楽院でピアノと作曲を3年半学び、19歳で首席(一番の成績)で卒業。 いとこでソプラノ歌手のニーナと結婚。生涯たいへん仲の良い二人でした。 二人ともたいへんおだやかで、心の優しい人物でした。この二人に会ったチャイコフスキーが「二人とも無邪気(むじゃき)で素直で、良い人たちだ」と言っています。 グリーグはとても小柄(こがら)で152㎝だったといわれています。 ピアニストとしても有名で、自作の曲を持ち、ヨーロッパをたびたび演奏旅行しました。 演奏会の時はあがらないように、ポケットの中に小さなカエルの置物(おきもの)を入れ、そっとにぎりしめていたそうです。 ノルウェーはスウェーデンとの連合国でした。ノルウェーの音楽界はスウェーデンより盛んではなく、グリーグはノルウェーの音楽界を活性化させようと力をつくしました。 代表作となる「ピアノ協奏曲」がリストに認められ、グリーグの名は海外に知れ渡りました。さらに「ペールギュント」の作曲の成功により、世界的な作曲家となりました。 その間、悲しいこともありました。ピアノ協奏曲が書かれた年に生まれた一人むすめが、翌年亡くなりました。 世界を回っての演奏旅行で、次第にグリーグの健康が悪化。イギリスに向かうとちゅうで体調をくずし、ベルゲン(グリーグが住んでいた町)の病院に運ばれ、治療のかいなく、息をひきとりました。 1905年のノルウェーの独立を見とどけた2年後でした。 トロールハウゲン(妖精の丘の意味、グリーグ夫妻が住んでいた所)に作られたお墓に、妻のニーナと共にねむっています。 1843年6月15日生まれ ノルウェーのフィヨルド。大自然に囲まれた国。 トロールハウゲン(妖精の丘)のグリーグの家 作曲小屋 目の前は湖 ピアノ協奏曲 イ短調 ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス 指揮:ネヴィル・マリナー グリーグのただひとつのピアノ協奏曲で、数あるピアノ協奏曲の中でも非常に人気のある曲です。最初のティンパニのクレッシェンドのあとのピアノの部分は聞いたことがあるかもしれません。 これは、フィヨル ドの滝の流れを表現しているそうです。 リストは、グリーグが持って来た手書きのこの曲の楽譜を初見で弾き、特に第3楽章をこれぞ北欧と絶賛しました。ノルウェーの大自然を感じさせる曲です。こちらの動画のピアニストはノルウェー出身のアンスネス。日本にもよく来日しています。 組曲 ホルベアの時代からOp.40より 前奏曲 演奏:ノルウェー室内管弦楽団 ホルベアとはグリーグと同じベルゲン出身の作家。ホルベア生誕200周年の記念祭のために作曲。ピアノ曲として作曲し、翌年グリーグ自身が弦楽合奏に編曲。今ではこちらの方が演奏されることが多いです。軽快に走り抜ける感じの前奏曲のワクワク感が 心地よいです。 ペールギュント第1組曲 Op. 46 より「朝」 指揮:ヴァシリー・ペトレンコ ロシア・ナショナル管弦楽団 ノルウェーのイプセンという作家が自分が書いた劇「ペール・ギュント」に音楽をつけてくれるようグリーグに頼みました。 物語は、母親と貧乏にくらすペールが、仕事もせず大きなゆめばかり見て、いつか自分は王様になるとあちこち旅をし、まわりに迷惑をかけながら大金持ちになるものの、お金をすべて失い、故郷に戻り、ずっと待っていてくれ目が見えなくなった恋人ソルヴェイグのひざの上で、自分の人生は何だったんだと思いながら亡くなる話です。 ペールギュント第1組曲 Op.46 より 「山の魔王の宮殿にて」 指揮:ネーメ・ヤネーメ ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 物語の音楽を作ったグリーグは、27曲作った中から8曲を選び、4曲ずつ分けて第1組曲、第2組曲を作りました。 第1組曲にある「山の魔王の宮殿」は、ペールが旅の中で出会った魔王に、魔王のむすめと結婚すれば魔王になれると思い結婚させてくれるよう頼みます。しかし、目玉を切りつけさせてくれたら、というのであわてて逃げ出します。魔王のけらいトロルたちに追いかけられ、つかまりそうになりますが、教会のかねが鳴り魔王の国は消えてしまいます。1:38あたりから大さわぎ、という感じです。 ペールギュント第2組曲 Op.55より「ソルヴェイグの歌」 歌:マリア・ソルベルグ(ソプラノ) ペールの帰りを待つソルヴェイグの歌。 冬も春も夏も過ぎ1年たった。あなたが帰って来ると信じている。わたしは待ち続ける。そう約束したから。もし天国にいるなら、そこで会いましょう、と歌います。 抒情小曲集(じょじょうしょうきょくしゅう) 第8集 Op.65-6 トロルドハウゲンの婚礼(こんれい)の日 演奏:レイフ・オヴェ・アンスネス 1867~1903年の36年という長い年月をかけて、全部で10集ある抒情小曲集を作りました。ひとつの集が6~8曲からできています。 トロルドハウゲンの婚礼の日はその中でも人気のある曲です。 グリーグ夫妻の結婚25周年(銀婚式)を記念して、作曲されました。 トロルドハウゲンの婚礼の日 演奏:グリーグ グリーグ自身による演奏です。テンポがけっこう速いです。 抒情小曲集 第5集 Op.54-3 小人の行進 演奏:ミハイル・プレトニョフ 第5集は抒情小曲集(じょじょうしょうきょくしゅう)の中で最高の完成度で、大成功をおさめた集です。ノルウェーの民族的な性格が濃い集です。「小人の行進」は特に人気のある曲で、トロルのわらい声が聞こえてくるような曲です。 抒情小曲集 第5集 Op.56-4 ノクターン 小人の行進と同じ第5集にある曲です。この曲もグリーグの人気をさらに高めました。ノルウェーの自然を感じさせる透明感があります。とちゅうで鳥の鳴き声も聞こえてきます。
 - もっと知ろう!作曲家&作品 | Composer Sakkyokuka
もっと知ろう!作曲家&作品 クラシック音楽の歴史は古く、たくさんの作曲家と 数えることが不可能なほどの曲があります。 知りたいけれど、どこから始めれば良いかわからない。 私は小学生の頃、ピアノの先生がその内、教えて下さる と思っていました。 しかし、いつまでたっても、その時は訪れませんでした。けっきょく、自分で楽譜を買ったり、ラジオを録音したりして曲を知りました。 このページをきっかけに、お気に入りの作曲家、作品、演奏家に出会っていただけたら、とてもうれしく思います。 ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、近・現代、と時代によって音楽の感じはちがいます。 オーケストラ、鍵盤楽器、弦楽器、管楽器、打楽器、オペラ、声楽、と演奏楽器もたくさんあります。 録音が発明されてからは、作曲者が演奏しているものも残っています。同じ曲でも、演奏する人によってちがう感じにもなります。 みなさんが書いてくださった感想に、私からは感想に対して思ったことや、こちらには、のせきれなかったほかのエピソードを書いて、お返ししています。 むずかしく考えず、思ったことをどんどん書いて下さい。読ませていただくことを、楽しみにしています。 クラシック音楽は、まじめで分かりにくいと初めは思うかもしれません。曲の全部を好きになる必要はありません。たった4小節でも好きな所があれば良いのです。 すてきな出合いがありますように。 ご質問や感想などございましたら、こちらへお送りください。 杉渕 映余(Harumi Sugibuchi) お問い合わせ 姓 名 メールアドレス メッセージを入力 送信する 送信ありがとうございました
 - ビゼー | Composer Sakkyokuka
ジョルジュ・ビゼー (1838-1875 フランス) 36年という短い生涯でしたが、オペラ「カルメン」で知られる作曲家。 美容師から声楽教師になった父とピアニストの母との間に生まれました。 早熟で、10歳にならないと入ることのできないパリ音楽院に9歳で入学を許されました。半年でソルフェージュで1番をとり、高名な音楽家からピアノ、オルガン、作曲を学びました。 音楽院では、13歳のサン=サーンス(1835-1921)と出会い、かたい友情で結ばれました。 ピアノもめきめき上達し1番をとるほどでしたが、ピアニストとしての道は選びませんでした。その才能を隠す(かくす)かのようにしていましたが、ある時にリストの前でリストの曲を初見で完璧に演奏して驚かせました。 リストはこの難曲を演奏できる人間は2人しかいないと思っていたが3人いた。その最も若く、さらに、はなやかで大胆な演奏をするのがビゼーであると言っています。 19歳でローマ賞を受賞し勉強のための奨学金をもらい、ローマで3年勉強しましたが、母親が病気のためパリにもどりました。 奨学金が途絶(とだ)え、生活のために、オペラの作曲、作品の編曲、ピアノ教師、指揮など、音楽にかかわるあらゆる仕事をしました。 作品はなかなか世の中に認められませんでしたが、34歳の時に作った付随音楽(演劇のための音楽)「アルルの女」が大成功をおさめます。 これに勇気付けられオペラ「カルメン」の完成に全力を注ぎます。 しかし初演は、聴衆の理解を得られず失敗。初演のちょうど3カ月後にビゼーは心臓発作のため突然この世を去りました。この日は結婚記念日でもありました。 亡くなった2日後の葬儀(そうぎ)の日「カルメン」の特別上演が行われ、3カ月前とは人々は打って変わり、ビゼーは巨匠であるとほめ称(たた)え、初演から4カ月後に行われたウィーンの公演では大成功をおさめました。 「カルメン」がフランスオペラ史上の傑作との評価を知ることなく、失望したままビゼーは亡くなったのです。今では「カルメン」は世界で1,2位をあらそうほどの人気のあるオペラです。 1838年10月25日生まれ カルメン 第1組曲 より 前奏曲 指揮:グスタヴォ・ドゥダメル パリ国立歌劇場管弦楽団 オペラの中から歌なしでオーケストラのみで演奏できるように組まれたもの。第1組曲、第2組曲とありますが、ビゼー自身によって組まれたものではないので、曲順や選ぶ曲は指揮者によって異(こと)なります。この前奏曲はオペラの第1幕が始まる時の音楽です。 カルメンはスペインを舞台にした物語です。タバコ工場で働くカルメンは魅力的なジプシーの女。彼女を好きになってしまった兵士ドン・ホセが人生を狂わされ、最後はカルメンを殺してしまうところで幕が閉じます。 オペラ「カルメン」より ハバネラ「恋は野の鳥」 カルメン役:アグネス・バルツァ ニューヨーク・メトロポリタンオペラ 第1幕でカルメンが気のないそぶりの竜騎兵ドン・ホセにむかって誘惑(ゆうわく)する歌です。「わたしにホレたらご用心!」と歌います。第1幕ではケンカさわぎを起こしたカルメンが牢屋(ろうや)に送られることになりますが、誘惑されたドン・ホセがカルメンを逃がします。 カルメン 第2組曲 より ジプシーの踊り 指揮:佐渡裕 第2幕の2曲目です。オペラでは「ジプシーの歌」となっています。組曲の方は声楽がないので「ジプシーの踊り」の曲名ですが、同じものです。 次第にテンポが速くなり、カルメン全曲の中でも一番もりあがる曲です。 オペラ「カルメン」より 闘牛士の歌 第2幕で登場する花形闘牛士エスカミーリョの歌。兵士たちの乾杯(かんぱい)を喜んで受けよう、と歌います。 第2幕ではカルメンを逃がした罪で牢屋(ろうや)に入れられていたホセが釈放(しゃくほう)され、カルメンに盗賊団(とうぞくだん)の仲間になるよう誘われます。盗賊をするジプシーにホセは入りますが、カルメンの心は闘牛士にすでにうつっていました。 アルルの女 第2組曲 より メヌエット 指揮:田代俊文 Orchestra Canvas Tokyo 「アルルの女」という小説を舞台の演劇として上演するためにビゼーが音楽を付けました。 第1組曲はビゼーが編成しましたが、第2組曲 はビゼーの死後に友人のギローが完成させました。 ハープの伴奏にのってフルートが美しく歌うこのメヌエットは、ビゼーの作品の中でもたいへん有名な曲です。 実はこの曲はアルルの女の中にはなく、ビゼーの「美しきパースのむすめ」という曲のなかにあるものです。 アルルの女 第2組曲 より ファランドール 指揮:佐渡裕 この曲もビゼーの作品の中で人気のある曲です。 王の行進、馬のダンスという民謡をもとに作られています。 出だしの威厳(いげん)のある音楽からだんだんテンポが速くなり、最後は2つのメロディーが同時に聞こえ、高速でもりあがります。 ファランドールとは南フ ランスの8分の6拍子のダンスの曲です。
 - 弦楽器のための作品 | Composer Sakkyokuka
弦楽器(げんがっき)を代表するヴァイオリン属(ぞく)を紹介(しょうかい)します。 ヴァイオリン ヴァイオリン属(ぞく)の中で最も小さく、高い音を出します。あごで楽器をはさみ、弦をこすって音を出します。弦(げん)は4本です。 本体の大きさの標準は大人用フルサイズで35.5cm。 ヴィオラ ヴァイオリンに比べ音の高さが5度低いです。また、大きさはヴァイオリンより5cmほど大きいですが、38cm~43cmと大きさにばらつきがあり、ヴァイオリンのように一定ではありません。 大きい方が音がよく鳴りますが、大きすぎると演奏(えんそう)がむずかしくなるので、標準(ひょうじゅん)は41cm。日本は小さめの40.5cmが好まれるそうです。 ヴァイオリンと同じく弦(げん)は4本。 楽譜は主にハ音記号を使います。高い音の時はト音記号になります。 チェロ 正式名はヴィオロンチェロ。弦の数は4本。低い音を出すために形全体が大きく厚(あつ)みが増しています。大きく重いので、あごにはさまず、エンドピンをゆかに立てて演奏します。弓はヴァイオリン、ヴィオラより太いですが、長さは短くなっています。 楽譜は音が低いのでヘ音記号を使いますが、高い音になる時とハ音記号を使います。 コントラバス オーケストラで一番低い音を受け持ちます。クラシック音楽では主に弓を使い音を鳴らしますが、ポピュラー音楽やジャズでは指で弦をはじいて音を鳴らします。 大きさは170~200cm。弦の長さ95~120cmとけっこうばらつきがあります。国によって基準(きじゅん)が異(こと)なり、ヨーロッパの3/4サイズは日本の4/4フルサイズになります。 弦は4本または5本で太く低い音が出ます。楽譜はヘ音記号。楽譜の音より1オクターブ低い音が出ます。ピアノの一番低い「ミ」まで出せます。チューニングによってその下の「シ」まで出すこともできます。 立って演奏する時は楽器の横に体の左側をそわせ、左足や腰で楽器を支えます。オーケストラで座って演奏する時は立っている時とほぼ姿勢(しせい)が変わらないように、専用(せんよう)に作られた高いイスを使います。 ヴァイオリン ヴァイオリンは大人用フルサイズ4/4と子供用として6つのサイズがあります。身長に合わせサイズを決めます。145cm以上は大人用のフルサイズになります、 ヴィオラ ヴァイオリンより5度低い音を出すので、音楽では中音部を受け持つことが多いです。あたたかみのある音がします。 チェロ チェロの音域はヴァイオリンに次いで2番目に広いです。ヴィオラより1オクターブ下からヴィオラより4度低い音まで出すことができます。指のおさえ方によっては、もっと高い音まで出すことができるそうです。 サイズは120cm,重さは3.5kgくらい。ケースや弓をふくめると8kg以上になることもあるそうです。 コントラバス 日本ではポップスやジャズではウッドベースとよばれています。和製英語です。重さは約10kg。 【音域】 【ヴァイオリン】 ジュール・マスネ作曲: タイスの瞑想曲(めいそうきょく) ヴァイオリン:リュノー・キャプソン マスネが作曲したオペラ「タイス」の中の曲。第2幕の間奏曲です。アンコールの定番としてよく演奏されます。また、名曲コンサートのような企画(きかく)でも演奏されることが多いです。あまく美しい音楽です。 【ヴァイオリン】 ヴィットーリオ・モンティ作曲:チャールダーシュ ヴァイオリン:ディヴィット・ギャレット チャールダーシュはハンガリーのおどりの音楽から生まれたジャンル。居酒屋(いざかや)を 意味するチャールダに由来(ゆらい)する言葉です。19世紀の音楽の都ウィーンでは、あまりの人気にチャールダーシュ禁止の法律が出たほど人気のある音楽でした。 音楽のとくちょうは、おそい部分とはやい部分があることです。おそい部分はかなりおそく、哀愁(あいしゅう)漂います。 【ヴィオラ】 J.S.バッハ作曲:ブランデンブルク協奏曲第6番 BWV1051 指揮・チェンバロ:トン・コープマン アムステルダム・バロック・オーケストラ ブランデンブルク協奏曲は全部で6曲ありますが、就職活動のために作られたと考えられています。長い期間にわたり作られた6曲の協奏曲を編成(へんせい)の大きなものから並べたようで、作曲順ではありません。なので一番大きな曲は第1番、この第6番は最も小さな編成になります。 弦楽アンサンブルでヴァイオリンが入らない曲はこの曲以外におそらくないと思います。たいへんめずらしい編成です。 全楽章聴くのは大変だと思いますので,楽章の始まりの時間を記しておきます。第3楽章は品よくおどっているような音楽です。 第1楽章0:00 第2楽章6:07 第3楽章11:08 【チェロ】 J.S.バッハ作曲:無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007 より 「プレリュード」 チェロ:M.ロストロポーヴィチ バッハの独奏(どくそう:一人でえんそう)用のチェロ曲は全部で6曲。長いこと単純な練習曲と忘れられていましたが、20世紀最高のチェリストとされるパブロ・カザルス(1876-1973)にその価値が再発見され、現代ではバッハの作品の中でも高く評価される曲のひとつとなっています。 第1番プレリュード(前奏曲)は6つの組曲の中で最も有名です。とぎれることなく続く16分音符の流れが、美しい和声をうき上がらせます。 【チェロ】 サン=サーンス 動物の謝肉祭より「白鳥」 チェロを代表する曲です。サン=サーンスがなかまで楽しむために作った「動物の謝肉祭(しゃにくさい)」の中の1曲。 他の作曲家や自分の曲をパロディにしているので、自分が生きている間はこの曲のえんそうもがくふのしゅっぱんも禁止(きんし)しました。しかし、この白鳥だけはオリジナルの曲であり、あるバレリーナがこの曲でおどりたい、がくふを出版(しゅっぱん)してほしいと言うので、その願いをかなえました。 【コントラバス】 サン=サーンス作曲:動物の謝肉祭より「ぞう」 白鳥と同じく動物の謝肉祭に登場する「ぞう」。 この曲はパロディで、メンデルスゾーンとベルリオーズという作曲家の曲を組みこんでいます。この2曲はようせいをテーマにしたもので、それを「ぞう」の曲にしたのです。ぞうが大きな体に天使の羽をつけて行進しているすがたを想像してみてください。 【コントラバス】 All of me 演奏:Piano Trio Triority ジャズではコントラバス(英語ではダブルベース)は弓を使わず、指で弦をはじいてえんそうします。 ジャズの音楽はクラシック音楽とちがい、がくふ通りには進みません。基本のメロディーはありますが、楽譜はないと言ってよいです。えんそう者のその場のアドリブで音楽が進んで行きます。コード(和音)進行も基本的にありますが、そこに自由に音をくわえてえんそうします。リズムも自由に作ります。 Up
 - ブラームス | Composer Sakkyokuka
ヨハネス・ブラームス (1833-1897 ドイツ) ドイツを代表する後期ロマン派の作曲家。 ロマン派の時代は、ロマンチックなメロディーやハーモニーの音楽が多く作られました。また、自由な形式で音楽が作られることも、とくちょうのひとつです。 それに対し、古典派は決まった形の中で音楽を作っていました。 その古典派の偉大(いだい)な作曲家ベートーヴェンと同じようなジャンルの曲を作ることはロマン派の作曲家はさけていたところがあります。 ところが、ブラームスは古典派によく作られていた形式の音楽で成功し、ベートーヴェンの後継者(こうけいしゃ:あとをつぐ人)ともいわれています。 ロマン派の作曲家の中で最も古典派に近い作曲家と考えられています。 7歳頃からピアノを学び、早くから才能を示し、10歳の時に初めてステージに立ちました。ブラームスは貧しい家に育ち、13歳の頃からレストランや居酒屋(いざかや:おさけをのむお店)でピアノを弾いて家計を助けていました。 ピアニストとしての腕も確(たし)かなものでしたが、作曲に専念(せんねん)すると決めてからは演奏活動(えんそうかつどう)からほとんど手を引いています。 ヴァイオリニストのヨアヒムの強いすすめで、シューマンの家を訪ねました。シューマンはブラームスの演奏と作品に感動し、ドイツで最も権威(けんい)のある音楽雑誌(ざっし)にブラームスを紹介(しょうかい)する記事を書き、世に出るきっかけを作りました。 ブラームスはシューマンを尊敬し、シューマンが亡くなった後も、クララ・シューマンや子供たちを支え、シューマン家とは生涯(しょうがい)に渡り親交を続けました。 ブラームスは生きている間に経済的に恵まれた作曲家でした。しかし、自分は質素(しっそ)な生活を続け、収入は親戚(しんせき)におしみなく渡したり、名前を告げず、多くの若い音楽家を支援(しえん)しました。ドヴォルザークの才能を見出し支援したのもブラームスです。 1862年にウィーンに移住(いじゅう)。 14歳年上のクララ・シューマンが亡くなった翌年に体調が悪化しガンによりウィーンで亡くなりました。 1833年5月7日生まれ まめちしき ブラームスと坂本龍馬は1歳ちがい。 ブラームスはシーボルトのいとこの子供と婚約していたが、破談にした。 エジソンの代理人の依頼で史上初の録音(ろくおん)をしたといわれている。 録音をはずかしがり、さっさと演奏を始め、立会人があわてて叫んだ声が演奏にかぶっている。 ウィーンにあるブラームス像 ハンガリー舞曲第5番 演奏:裏ウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 ハンガリーのジプシー音楽にもとづいて編曲(へんきょく)した 舞曲集(ぶきょくしゅう)。全部で21曲あり、当時から大人気。 この第5番がとりわけ有名。 ハンガリー舞曲題1番 演奏:ㇻベック姉妹 ハンガリー舞曲集は最初はピアノ連弾(れんだん)の曲として 作られました。この第1番はブラームスが史上初の録音(ろくおん)を行った時に弾いた曲です。 ワルツ op.39-15 演奏:アレクサンドル・カントロフ 4手のためのワルツ集として書かれました。家庭で連弾を楽しむ人がふえていたころだったので、この連弾曲集は大人気になりました。一人で演奏(えんそう)できるものもブラームスによって作られました。 この第15番は曲集中、いちばん有名な曲です。「愛(あい)のワルツ」というニックネームがあります。 6つの小品 Op.118-2 イ長調 演奏:ラドゥ・ルプー ブラームス晩年(ばんねん:一生の終わりに近い時期)の作品。 この6つの作品はシューマンの妻クララにささげられています。クララは当時の有名なピアニストです。シューマン夫妻にたいへんお世話になっていたブラームス。シューマン亡き後、シューマンのある曲の出版をめぐって、ブラームスはクララと大げんかをしてしまいました。 全く連絡を取れぬまま2年たち、その時にクララにささげたのがこの6つの小品です。 ブラームスの気持ちが伝わってきます。このあと2人は仲直りしたそうです。 6曲を全て続けて演奏すると20分以上かかりますが、この第2番だけアンコールで弾かれることがよくあります。 4つの小品 Op.119-1 ロ短調 演奏:スヴゃトフ・リヒテル ブラームスが最後に作ったピアノ作品。 クララ・シューマンはこの第1曲を「はい色のしんじゅ」と言っています。若き日のかがやきはなく、くもっているが、より深みをましている、という意味です 。 2つのラプソディーより Op.79-2 ト短調 演奏:グリゴリー・ソコロフ 46歳の時の作品。ブラームスのピアノ曲の中でも人気のある作品。低音から始まり、力強く雄大(ゆうだい)、暗くうごめくようなメロディー。カッコいい曲です。 ピアノ五重奏曲 Op.34 第3楽章 ブラームス32歳の時の作品。 初めは2台のピアノのために作った作品です。しかし、クララ・シューマンから、この曲はピアノと弦楽器のための方がよいと アドヴァイスされ、ピアノ五重奏曲として完成させました。 交響曲第1番 Op.68 ハ短調 指揮:カール・ベーム ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 43歳の時の作品。完成(かんせい)までに21年かかりました。 交響曲を書くなら、ベートーヴェンに並ぶくらいのものではなければいけないと考えていたからです。ハンス・フォン・ビューロー(クララの父のピアノの弟子で、リストのむすめとけっこん、その後りこん)は、ベートーヴェンの交響曲第10番だと高く評価しました。 話がそれますが、日本を代表する作曲家の一人芥川也寸志(あくたがわやすし。芥川龍之介のむすこ)さんが、この曲の最初が「地獄からの階段を一段一段のぼってくるようだ。この最初の部分がとてもすきだ」とおっしゃていたと記憶しています。このお話をきいた5年後位に芥川さんは亡くなりましたが、亡くなる前に最後に聴きたいと言った曲がこのブラームスの交響曲第1番です。 交響曲第3番 Op.90 ヘ長調より第3楽章 指揮:サイモン・ラトル ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 50歳の時の作品。ブラームスの交響曲の中で一番みじかい曲です。ブラームスは4曲の交響曲を書いていますが、演奏されることが一番少ないのが第3番です。 しかし、この第3楽章は今から60年くらい前にフランスの映画で使われ、たいへん有名になりました。
 - チェンバロのための作品 | Composer Sakkyokuka
チェンバロはピアノの祖先(そせん)です。 音を出す仕組みはピアノとはちがいますが、 チェンバロ製作者(せいさくしゃ)のイタリアのクリストフォリという人が1709年にチェンバロを改良(かいりょう)してピアノをつくりました。 その時は弦(げん)がピンと張っていなかったので、音がよくは鳴らなかったそうです。 ピアノは弦をハンマーが下からたたくことで音が鳴りますが、チェンバロは弦をはじくことで音が鳴ります。 弦をはじくことではハープと同じですが、ハープは人間の指ではじくのに対して、チェンバロは鳥の羽の軸(じく)や動物のかたい皮、現代ではプラスチックのプレクトラムという爪(つめ)ではじきます。それが弦の横にある木の板(ジャック)に取り付けられていて、それが弦をはじいて音を鳴らします。 チェンバロはイタリア語の名前で 、英語ではハープシコード、フランス語ではクラヴサンといいます。どれも同じ楽器です。 イタリア協奏曲 BWV971 ヘ長調 チェンバロ:クリスティーヌ・ショルンシャイム J.S.バッハ 1685-1750 (ドイツ) ピアノが演奏(えんそう)される前の時代は、けんばん楽器といえば、チェンバロ、パイプオルガンでした。 ピアノが楽器として使えるようになってきたのが、モールァルトが子どものころです。 なので、チェンバロの作品はバッハやヴィヴァルディが活躍したバロック時代に多く作られました。 このイタリア協奏曲(きょうそうきょく)はバッハが生きていたころから人気がありました。1735年作曲。 現代ではチェンバロ以上にピアノの方が表現豊かにこの曲を演奏出来ることもあり、ピアノで演奏されることが多いです。 第1楽章 0:06~ 第2楽章 4:20~ 第3楽章 9:02~ チェンバロ協奏曲 第5番 第2楽章 ラルゴ チェンバロ:ジン・ロンド バッハのチェンバロ協奏曲はチェンバ ロ1台用から4台用まで合わせて14曲あります。コンサートのために作曲されたと考えられています。ちょうど長男フリードリヒ、次男エマヌエルがチェンバリストとして成長していたことが、これだけ多くのチェンバロ協奏曲を作った背景にあると思われます。 この第5番第2楽章のあまい美しさは、バッハのアリオーソとして親しまれています。 ハープシコード組曲第1集 第5番 エアと変奏 「調子のよい鍛冶屋(かじや)」 チェンバロ:トレヴァー・ピノック ヘンデル 1685-1759 イギリス 曲名はヘンデルがつけたものではありません。いくつか説がありますが、元鍛冶屋(かじや)職人見習いだった人物がこの曲を出版し、この時に組曲としてではなくこの楽章を切り離し題名をつけて出版したという説が有力です。 ヘンデルらしいすっきりとした明るい曲です。リズムが8分音符、16分音符、32分音符とだんだん細かくなっていき、左手が細かく動く変奏もあります。ピアノでも演奏される曲です。 ソナタ ホ長調 k.380 チェンバロ:カミル・トカルスキ スカルラッティ 1685-1757 イタリア スカルラッティはスペインに渡り、そこで王女に音楽を教えました。王女を教えるために555曲ものチェンバロのためのソナタを作りました。速く細かいパッセージの曲も少なくありません。 この曲はアンダンテで、はやいテンポでは ありません。とても美しいハーモニーの曲です。 ラモー 1683-1764 フランス 鳥のさえずり チェンバロ:リュク・ボセジュール タンブラン チェンバロ:v・ジュリアン・フレイ どちらの曲も同じクラヴサン曲集第2組曲にあります。 鳥のさえずりは少し悲し気に鳴く鳥のさえずりがあちこちから聞こえてきます。 タンブランは南フランスの胴(どう)の長い太鼓のことですが、この楽器と笛で演奏されるおどりの曲もタンブランと言います。ラモーの曲の中でもよく知られています。力強い曲です。 ティク・トク・ショック チェンバロ:エレーヌ・コンパローネ クープラン 1668-1733 フランス クープランの曲は題名がついているものが多いです。ティク・トク・ショックは「またはマイヨタン」と題名の横に書かれています。 マイヨタンとはオリーブの実をくだく木づちのことだそうです。2段けんばんのチェンバロで弾くために作られた曲で、右手と左手が同じ音域を動くのでピアノで弾くのはたいへんです。
 - 金管楽器のための作品② | Composer Sakkyokuka
金管楽器 第2回は、トロンボーン、チューバ。 トロンボーン トロンボーンの名前はイタリア語で大きなラッパという意味です。トロンボーンも音域によって種類がありますが、一般的にトロンボーンはテナートロンボーンのことを言います。 スライドの伸縮(しんしゅく)と息の吹き方で音程を作ります。 トランペットと同じく古い歴史を持ち、500年以上もの間、基本的なつくりは変わっていません。 音程をスムーズに調整できることから「神の楽器」といわれ、古くからカトリック教会のミサの伴奏に使われてきました。 なので、世俗的(せぞくてき:宗教や精神的なものから離れた俗っぽいもの)な音楽には使わないようにしていた楽器でした。それを交響曲で最初に使ったのがベートーヴェンです。第5番「運命」第4楽章で使われています。 楽譜はピアノと同じように実音(書かれた音と同じ音)で書かれます。ヘ音記号が一般的ですが、高い音ではハ音記号も使われます。 チューバ 金管楽器の中で最も低い音域の楽器です。 重さは8~12.5kgで、持ち運びのケースに入れると15kgをこえることがあります。 小型のテナー・チューバはユーフォニウムと呼ばれることが多く、吹奏楽で用いられています。 楽譜は実音で書かれます。 チューバの管を全て伸ばすと、9m60cm。 トロンボーン 左手だけで楽器を支え、右手は力を入れず、スライドを軽く持ちます。 チューバ チューバは3種類の形があり、それにより持ち方が異なります。 ピストン式が2種類 イギリス、フランスはトップアクション式でベルが奏者の右 アメリカはフロントアクション式でベルが奏者の左 ロータリー式 ドイツ、オーストリア、ロシアはロータリー式でベルは奏者の左 【トロンボーン】 ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」 第4楽章 指揮:カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ハチャトゥリアン 剣の舞 指揮:小澤征爾 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 トロンボーンを教会以外の音楽で初めて使った曲。 ベートーヴェンの「運命」は、「暗から明へ」「戦いから勝利へ」といえるドラマティックな展開で4つの楽章を結びつけ、ひとつのストーリーを聴衆にとどけた作品です。 第4楽章はまさに勝利と歓喜の音楽。このベーム指揮の演奏のすさまじさは別次元のとてつもない演奏です。 「剣の舞」があまりに有名になってしまい。ハチャトゥリアンは「ミスター剣の舞」と言われるとむっとしたと言います。 この曲にはトロンボーンが得意とするグリッサンドが何度も出てきます。 【チューバ】 エンリコ・モリコーネ ラ・カリファ チューバ:ハンス・ニッケル WDR交響楽団 映画音楽を作るモリコーネの音楽をチューバのためにアレンジしたものです。チューバのやわらかく深い音色を聞くことができると思います。 チューバが主役となる音楽はたいへん少なく、チューバ協奏曲はジョン・ウィリアムズ(アメリカの映画音楽を多く作っている人物。スター・ウォーズ、ジュラシックパーク、ハリーポッターなど多数)が初めて作ったほどです。 Up
 
_edited.jpg)
