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  • ドヴォルザーク | Composer Sakkyokuka

    アントニン・ドヴォルザーク (1841-1904 チェコ) 後期ロマン派の国民楽派の作曲家。 国民楽派(こくみんがくは)とは、当時の音楽の中心地だったドイツ、フランス、イタリア以外の国の音楽をいいます。 ロシアの五人組、チェコのスメタナ、ドヴォルザーク、ノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウス、などが国民楽派です。 ブラームスに才能を高く評価され、連弾曲集「スラヴ舞曲集」により人気作曲家になりました。 父は宿屋と肉屋を営んでいました。そこの長男として生まれ、父親は肉屋をつがせるつもりでいました。 父は民族楽器のツィターの名手、おじさんはトランペットの名手でした。 小学校に通い始めると、そこの校長先生がヴァイオリンを教えてくれ、みるみる上達。 父が肉屋をつがせるために、小学校をやめさせ肉屋のしゅぎょうに行かせたところ、その学校の校長先生が音楽の専門家(せんもんか)で、ドヴォルザークにヴァイオリン、ヴィオラ、オルガン、音楽理論を教えてくれました。 父の仕事がうまくいかなくなり、学校に通わせられないので家の仕事を手伝わせようとしました。しかし、おじが反対し、おじが学費を出す約束で、ドヴォルザークはオルガン学校に入学しました。 卒業後はオーケストラのヴィオラ奏者(そうしゃ)になりました。 作曲に時間をあてるためにオーケストラをやめ、オーストリア政府から奨学金(しょうがくきん)を受け取れるようになりました。その審査員をしていたブラームスに才能を認められ、楽譜の出版社を紹介してもらえることになりました。 出版社はブラームスの「ハンガリー舞曲集」のような連弾曲集をドヴォルザークに頼み、「スラヴ舞曲集」を作曲。これが大成功。 交響曲の成功も続き、51歳の時にアメリカから音楽院の院長に招かれます。 約3年間アメリカで教え、チェコに帰国。 ブラームスからウィーン音楽院(ウィーンはオーストリアの首都)の先生になることを頼まれましたが、アメリカでの生活などから、チェコこそが自分のいる場所と考え、ことわりました。 59歳の時にチェコのプラハ音楽院の院長になりました。 1904年5月、昼食の時に気分が悪いと訴え、ベッドに横になるとすぐに意識を失い、そのまま息を引き取りました。62歳でした。 1841年9月8日生まれ 交響曲第9番 「新世界より」第2楽章 ラルゴ 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 新世界とはアメリカのことです。アメリカに滞在(たいざい)している時に作曲されました。ドヴォルザークの最後の交響曲です。コンサートで演奏されることが多い曲で、この第2楽章はよく耳にするメロディーです。 ユーモレスク第7番 変ト長調 ヴァイオリン:オーガスティン・ハーデリッヒ ピアノ:チャールズ・オーウェン ピアノ曲としてドヴォルザークは作曲しました。ヴァイオリンの名手で作曲家であるクライスラーがヴァイオリンとピアノのために編曲しました。現在ではピアノ曲であったことが忘れられているほど、クライスラーの編曲で演奏されることが多いです。 ドヴォルザークは鉄道マニアで、汽車にゆられながらこの曲を思いついたとも言われています。ユモレスクは、気まぐれな、陽気なという意味です。 交響曲第9番「新世界より」 第4楽章 指揮:グスタ―ヴォ・ドゥダメル ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 出だしが映画音楽の「ジョーズ」(先月、しょうかいしました)に似ています。鉄道マニアだったドヴォルザークがSL機関車の発車をイメージしたとも言われています。 この楽章には、全楽章を通してたった1度だけシンバルが使われます。1:56の所。この部分のシンバルの鳴らし方は、指揮者によってちがうそうです。 わが母の教えたまえし歌 歌曲集「ジプシーの歌」の4曲目。ドヴォルザークの歌曲の中で最もよく知られた曲。チェコの詩人による詩。老いた母が歌を教えてくれた時、時々涙をうかべていた、今、ジプシーの子どもたちに歌を教えながら、わたしも涙がこぼれ落ちる。という詩です。 スラヴ舞曲 Op.46-8 指揮:サイモン・ラトル ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 ブラームスが紹介してくれた出版社の依頼で作曲した連弾曲集「スラヴ舞曲集」全8曲。1878年の3~5月に作曲され、大人気に。8月にはオーケストラ用に全曲編曲し、たちまち世界のオーケストラのレパートリーになりました。この8番は、チェコの民族舞曲のリズムで書かれており、速いテンポで2拍子と3拍子が混ざり、力強くはげしい音楽です。 スラヴ舞曲 Op.72-2 指揮:サイモン・ラトル ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 連弾曲集「スラヴ舞曲集」が成功し、その第2集を作ってほしいと出版社に早くから依頼されていました。第1集をこえるものを作るのはむずかしい、と消極的でしたが1886年に突然意欲がわき、たった1カ月で8曲からなる第2集を作曲しました。オーケストラ用の編曲もすぐに行われました。この第2番は特に有名な曲で、もの悲しく美しい曲です。 チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104 より 第3楽章 チェロ:ロストロポーヴィッチ 指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 チェロ奏者にとって最も重要なレパートリーで、他の楽器の 協奏曲をふくめても協奏曲というジャンルの最高傑作のひとつ。プロの間では「ドヴォコン」の愛称で親しまれています。 アメリカからチェコに帰国する直前に作曲されました。

  • グリーグ | Composer Sakkyokuka

    エドヴァルド・グリーグ  (1843-1907 ノルウェー) 後期ロマン派の国民楽派の作曲家。ノルウェーの民族音楽を活かした音楽を作りました。 5人兄弟の4番目。ピアニストだった母に6歳からピアノを学び、15歳の時に才能を認められ、ドイツのライプツィヒ音楽院でピアノと作曲を3年半学び、19歳で首席(一番の成績)で卒業。 いとこでソプラノ歌手のニーナと結婚。生涯たいへん仲の良い二人でした。 二人ともたいへんおだやかで、心の優しい人物でした。この二人に会ったチャイコフスキーが「二人とも無邪気(むじゃき)で素直で、良い人たちだ」と言っています。 グリーグはとても小柄(こがら)で152㎝だったといわれています。 ピアニストとしても有名で、自作の曲を持ち、ヨーロッパをたびたび演奏旅行しました。 演奏会の時はあがらないように、ポケットの中に小さなカエルの置物(おきもの)を入れ、そっとにぎりしめていたそうです。 ノルウェーはスウェーデンとの連合国でした。ノルウェーの音楽界はスウェーデンより盛んではなく、グリーグはノルウェーの音楽界を活性化させようと力をつくしました。 代表作となる「ピアノ協奏曲」がリストに認められ、グリーグの名は海外に知れ渡りました。さらに「ペールギュント」の作曲の成功により、世界的な作曲家となりました。 その間、悲しいこともありました。ピアノ協奏曲が書かれた年に生まれた一人むすめが、翌年亡くなりました。 世界を回っての演奏旅行で、次第にグリーグの健康が悪化。イギリスに向かうとちゅうで体調をくずし、ベルゲン(グリーグが住んでいた町)の病院に運ばれ、治療のかいなく、息をひきとりました。 1905年のノルウェーの独立を見とどけた2年後でした。 トロールハウゲン(妖精の丘の意味、グリーグ夫妻が住んでいた所)に作られたお墓に、妻のニーナと共にねむっています。 1843年6月15日生まれ ノルウェーのフィヨルド。大自然に囲まれた国。 トロールハウゲン(妖精の丘)のグリーグの家 作曲小屋 目の前は湖 ピアノ協奏曲 イ短調 ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス 指揮:ネヴィル・マリナー グリーグのただひとつのピアノ協奏曲で、数あるピアノ協奏曲の中でも非常に人気のある曲です。最初のティンパニのクレッシェンドのあとのピアノの部分は聞いたことがあるかもしれません。 これは、フィヨルドの滝の流れを表現しているそうです。 リストは、グリーグが持って来た手書きのこの曲の楽譜を初見で弾き、特に第3楽章をこれぞ北欧と絶賛しました。ノルウェーの大自然を感じさせる曲です。こちらの動画のピアニストはノルウェー出身のアンスネス。日本にもよく来日しています。 組曲 ホルベアの時代からOp.40より 前奏曲 演奏:ノルウェー室内管弦楽団 ホルベアとはグリーグと同じベルゲン出身の作家。ホルベア生誕200周年の記念祭のために作曲。ピアノ曲として作曲し、翌年グリーグ自身が弦楽合奏に編曲。今ではこちらの方が演奏されることが多いです。軽快に走り抜ける感じの前奏曲のワクワク感が 心地よいです。 ペールギュント第1組曲 Op. 46 より「朝」 指揮:ヴァシリー・ペトレンコ ロシア・ナショナル管弦楽団 ノルウェーのイプセンという作家が自分が書いた劇「ペール・ギュント」に音楽をつけてくれるようグリーグに頼みました。 物語は、母親と貧乏にくらすペールが、仕事もせず大きなゆめばかり見て、いつか自分は王様になるとあちこち旅をし、まわりに迷惑をかけながら大金持ちになるものの、お金をすべて失い、故郷に戻り、ずっと待っていてくれ目が見えなくなった恋人ソルヴェイグのひざの上で、自分の人生は何だったんだと思いながら亡くなる話です。 ペールギュント第1組曲 Op.46 より 「山の魔王の宮殿にて」 指揮:ネーメ・ヤネーメ ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 物語の音楽を作ったグリーグは、27曲作った中から8曲を選び、4曲ずつ分けて第1組曲、第2組曲を作りました。 第1組曲にある「山の魔王の宮殿」は、ペールが旅の中で出会った魔王に、魔王のむすめと結婚すれば魔王になれると思い結婚させてくれるよう頼みます。しかし、目玉を切りつけさせてくれたら、というのであわてて逃げ出します。魔王のけらいトロルたちに追いかけられ、つかまりそうになりますが、教会のかねが鳴り魔王の国は消えてしまいます。1:38あたりから大さわぎ、という感じです。 ペールギュント第2組曲 Op.55より「ソルヴェイグの歌」 歌:マリア・ソルベルグ(ソプラノ) ペールの帰りを待つソルヴェイグの歌。 冬も春も夏も過ぎ1年たった。あなたが帰って来ると信じている。わたしは待ち続ける。そう約束したから。もし天国にいるなら、そこで会いましょう、と歌います。 抒情小曲集(じょじょうしょうきょくしゅう) 第8集 Op.65-6 トロルドハウゲンの婚礼(こんれい)の日 演奏:レイフ・オヴェ・アンスネス 1867~1903年の36年という長い年月をかけて、全部で10集ある抒情小曲集を作りました。ひとつの集が6~8曲からできています。 トロルドハウゲンの婚礼の日はその中でも人気のある曲です。 グリーグ夫妻の結婚25周年(銀婚式)を記念して、作曲されました。 トロルドハウゲンの婚礼の日 演奏:グリーグ グリーグ自身による演奏です。テンポがけっこう速いです。 抒情小曲集 第5集 Op.54-3 小人の行進 演奏:ミハイル・プレトニョフ 第5集は抒情小曲集(じょじょうしょうきょくしゅう)の中で最高の完成度で、大成功をおさめた集です。ノルウェーの民族的な性格が濃い集です。「小人の行進」は特に人気のある曲で、トロルのわらい声が聞こえてくるような曲です。 抒情小曲集 第5集 Op.56-4 ノクターン 小人の行進と同じ第5集にある曲です。この曲もグリーグの人気をさらに高めました。ノルウェーの自然を感じさせる透明感があります。とちゅうで鳥の鳴き声も聞こえてきます。

  • ガーシュウィン | Composer Sakkyokuka

    ジョージ・ガーシュウィン (1898-1937 アメリカ) 20世紀のアメリカを代表する作曲家。 ジャズとクラシック音楽を融合(ゆうごう:ひとつにとけあうこと)させ、若くして世を去ったものの、短い期間に驚くほどの足跡をアメリカ音楽史に残しました。 4人兄弟の次男として生まれ、両親が長男のために買ったピアノに弟のガーシュウィンの方が興味を示しました。兄のアイラは文学好きで、のちに弟の歌の曲の歌詞を多数書くことになります。 ガーシュウィンが初めて聴いたクラシックの音楽は、ドヴォルザークの「ユーモレスク」。小学生の時でした。12歳から家でピアノを弾くようになり、13歳からピアノと和声のレッスンを受けるようになりました。 クラシックピアニストになるつもりでしたが、ピアノの先生が亡くなり、15歳で高校をやめて、楽譜を売るためのプロのピアニストとして働き始めました。 そこでジャズの多くの作品を知りました。 1919年に作った「スワニー」という歌が大ヒットし、ミリオンセラーとなり人気のソングライターになりました。 1920年以降は兄と組んで300曲以上のポピュラーソングを作りました。 オーケストレーションを学びたいと思い、フランスのラヴェル(印象派の大作曲家でオーケストレーションの魔術師といわれている。ボレロが有名)に教えてほしいと申し込みましたが、「あなたはすでに一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない」と言われたそうです。 1937年7月9日に脳しゅようのため昏睡状態となり、11日に38歳で亡くなりました。 1898年9月26日生まれ ドヴォルザーク ユーモレスク ブラームスに才能を見出されたチェコの作曲家。良いメロディーを数多く作っているので、ブラームスは、ドヴォルザークがゴミ箱にすてたメロディーで私は交響曲を1曲書くことができるだろう、と言っています。 スワニー 歌:ジュディ・ガーランド 1919年作曲のポピュラーソング。 ガーシュウィンが生涯で作った500曲以上ある歌曲の中でも多くの人に親しまれる曲のひとつ。 30分位で書き上げ、最初は特に注目されずにいましたが、アメリカを代表するエンターティナーのアル・ジョルソンという人が歌ったことで大ヒット。レコード225万枚、楽譜は100万部売れたそうです。 スワニー 演奏:ガーシュウィン(本人) ガーシュウィンは20世紀のシューベルト(古典派からロマン派にかけて活躍した歌曲王)とよばれるほど、美しいメロディーの歌を次々と作曲しました。 アイ・ガット・リズム 歌:ジョイス・ディ・ドナート(メゾソプラノ) 兄アイラ作詞で1930年発表の曲。現在でもこの曲はジャズのスタンダード・ナンバー(定番・ていばん:よく知られた曲)。 ミュージカル「ガール・クレイジー」のために作曲されました。 アイ・ガット・リズム 演奏:ガーシュウィン(本人) (この映像は、同じ演奏でカメラの別のアングルからとられたものが続いています。) ポーーギーとベスより「サマータイム」 歌:アディーナ・アーロン(ソプラノ) 指揮:アンドレアス・オロスコ=エストラーダ hr交響楽団 死の2年前に作曲したオペラ「ポーギーとベス」の中のアリア。 ジャズのスタンダード・ナンバーとしても知られています。このアリアは、物語の中で何度も歌われます。「ポーギーとベス」はアメリカ南部の貧しいアフリカ系アメリカ人の悲恋の物語。 ラプソディ―・イン・ブルー 演奏:ハービー・ハンコック(ピアノ) グスタヴォ・ドゥダメル(指揮) ガーシュウィンのピアノの代表曲。日本でもよく耳にする曲です。1924年1月作曲。 この曲が出来上がったきっかけはたいへん変わったものでした。 いそがしい日々を過ごしていたガーシュウィンが気分てんかんに、兄とビリヤードをしている時にたまたま見た新聞記事に、「現代音楽の実験」というコンサートのためにガーシュウィンがジャズ・コンチェルトを書いているとありました。そのような話は本人は知らず、まちがいだ、と電話をすると、そういうことになっているから、と急いで作曲をしなければいけないことに。 ボストン行きの汽車の中で列車が走る音を聞いて音楽が浮かんできたそうです。それを思わせるところがたくさんあります。 楽しい曲です。 パリのアメリカ人 指揮:アンドレアス・オロスコ―エストラーダ hr交響楽団 ラプソディー・イン・ブルーに次いで有名なガーシュウィンの器楽曲。1928年発表。パリを訪れた印象を音楽にしたような曲。 車のクラクションの音のために、パリのタクシーのクラクションをアメリカに持ち帰り、ニューヨークでの初演の時に使われました。 ピアノ協奏曲 ヘ長調 演奏:マルク=アンドレ・アムラン(ピアノ) 指揮:レナード・スラットキン ラジオフィルハーモニック・オーケストラ 1925年作曲。ラプソディー・イン・ブルーのオーケストレーションは、実はグローフェという作曲家に手伝ってもらったのですが、この協奏曲は全て自力で書いたそうです。初めて音楽理論の本を買って勉強したとか。カーネギーホールで本人のピアノ独奏、ニューヨーク交響楽団により初演。 第3楽章がカッコイイです。27:39~第3楽章

  • リスト | Composer Sakkyokuka

    フランツ・リスト (1811-1886 ハンガリー) ピアノの魔術師(まじゅつし)、とよばれた ロマン派の ピアニスト、作曲家、教育者。 当時のアイドル的存在(そんざい)で、リストの演奏を聴いて、興奮(こうふん)のあまり失神(しっしん)する女性ファンが続出しました。 ピアニストとしては、35歳で演奏活動をやめ、そのあとは、作曲活動と弟子のレッスンに集中しました。リストの弟子から、現代のピアノ演奏の中心となる、多くのピアニストの流れが生まれています。リストは、レッスン代はもらわずに多くの弟子を教えました。 そのリストはツェルニーの弟子です。ツェルニーは、ベートーヴェンの弟子です。つまり、リストはベートーヴェンの孫弟子(まごでし)というわけです。1823年にウィーンでコンサートを開いた時に、ベートーヴェンに会い、称賛(しょうさん)されています。モーツァルトと関係のあるサリエリには、作曲を習っていました。 どんな曲でも初見(しょけん)で弾けたリストですが、ショパンの作品10のエチュードは弾けず、当時住んでいたパリから突然姿を消し、数週間後に戻ってきた時には全曲を弾きこなし、ショパンを驚かせたといいます。それでショパンはこの曲をリストにささげています。 リストは自作の作品の他、編曲(へんきょく)も多い作曲家です。オペラのアリアやシューベルトの歌曲、バッハのオルガン曲、ベートーヴェンの交響曲全9曲など、多数の曲をピアノソロに編曲しています。 他の作曲家の作品を編曲をすることで、作曲の勉強にもなっていたようです。 リストは派手(はで)な人に思われがちですが、 キリスト教徒として信仰心(しんこうしん)の あつい人でもありました。 1811年10月22日生まれ ハンガリー狂詩曲(きょうしきょく)第2番  演奏:マルカンドレ・アムラン ピアノ協奏曲第1番 01:04:44~(3人目) 演奏:Tomoki Sakata(阪田知樹) メフィストワルツ 第1番 (村の居酒屋の踊り) 演奏:イム・ユンチャン 愛の夢 第3番 演奏:アルトゥール・ルービンシュタイン 超絶技巧練習曲より「雪あらし」 演奏:グリャズノフ・ヴァチェスラフ バッハの名による前奏曲とフーガ 演奏:Gerda Nagy

  • A.メンケン | Composer Sakkyokuka

    アラン・メンケン (1949-   アメリカ) ミュージカル音楽、映画音楽の作曲家、ピアニスト。特にディズニー映画の音楽で知られています。 父は歯医者およびブギウギのピアニスト、母は女優、ダンサー、脚本家。メンケンは少年時代から音楽に興味(きょうみ)を持ち、クラシック音楽を学びピアノとヴァイオリンを習いました。おさない頃に作曲も始めました。 高校生の頃にはバッハやベートーヴェンの曲を自分流にアレンジして弾いていました。 大学の医学部に進みましたが、とちゅうで音楽学にかわり、音楽学部を卒業しました。 卒業後にミュージカルの作曲に興味がまし、その作曲をしながらバレエ・モダンダンスのピアノ伴奏(ばんそう)、「セサミストリート」の作曲、ヴォーカルコーチなどで活躍しました。 ミュージカルの成功によりディズニー映画 「リトル・マーメイド」の音楽を手がけることになりました。 「リトル・マーメイド」「美女と野獣(やじゅう)」「アラジン」「ポカホンタス」でアカデミー賞を受賞。 バレエ・ダンサーと結婚し、ニューヨークに住んでいます。 1949年7月22日生まれ 動画が始まる時にCMが流れると思います。 画面にスキップの文字が出ると飛ばせます。 出ない時は曲が始まるまで待ってください。 リトル・マーメイドより「パート・オブ・ユア・ワールド」  原作は、アンデルセンの「人魚ひめ」  人間の王子に一目ぼれしたアリエルが嵐で海に投げ出された王子を助けます。アリエルはその美しい声とひきかえに、3日間だけ海の魔女アースラに人間にしてもらいます。その間に王子と愛をちかうという約束をしますが、アースラに邪魔をされうまくいきませんでした。王の力を得たアースラは海に嵐を起こし、アリエルと王子をおそいます。王子は沈没船でアースラに体当たりしアースラをたおすことに成功。 アリエルの父トリトンは2人の深い愛に心を動かされ、アリエルを人間にかえ、王子とめでたく結婚。  原作では、王子を助けたのは自分だと気付いてもらえず、人魚にもどるには王子を短剣でさし、その血をあびる必要がありました。しかし、人魚ひめは王子を短剣でさすことはできず、海に身を投げあわとなって消えてしまいます。  part of your worldとは、あなたの世界の一部に、という意味です。人間の世界の一人になりたいということです。 リトル・マーメイドより「アンダー・サ・シー」  カニのセバスチャンは、アリエルが恋に落ちたエリック王子と結ばれるために人間になりたいという望みに反対します。 人間の生活のたいへんさと、海中での不自由のない暮らしのよさを話しますが、アリエルは歌が終わる前に去ってしまい、セバスチャンの願いはとどきませんでした。 アラジンより「ア・ホール・ニュー・ワールド」  アラジンとジャスミンが魔法のじゅうたんにのって大空をかけるシーンで歌われます。  A whole new worldとは、まったく新しい世界という意味です。 美女と野獣 主題歌  森のおくにあるお城に住む若く美しい王子は、冷たく身勝手な性格だったので魔女に野獣の姿にかえられてしまいました。王子の魔法をとくには「真実の愛」を知ることだけ。魔女に渡された魔法のバラの花びらが全て散るまでに「真実の愛」を知らなければ、人間の姿にもどることはできません。  それから10年後、ベルという心やさしく美しいむすめがおそろしい野獣が住むお城に迷いこみます。  野獣のわがままで凶暴なふるまいにベルは城を飛び出してしまいます。ふぶきの中でオオカミにおそわれたところをかけつけた野獣に助けられます。これをきっかけに、みにくく凶暴な野獣の中にやさしさが残っていることにベルは気が付き、おたがいに心を通わせるようになっていきます。  最後は死にそうになっていた野獣にベルが愛の告白をし、魔法がとけ、野獣は美しい王子の姿にもどり2人は結婚します。 塔の上のラプンツェル より「輝く未来」  深い森の塔の上でくらすラプンツェルは母親の言いつけで一度も外に出たことはありませんでした。18さいのたんじょう日の前日に塔に侵入(しんにゅう)してきた大どろぼうフリンを長くのばした金色の髪(かみ)をあやつり、つかまえます。  外の世界への好奇心がおさえきれなくなり、フリンに案内を頼み、外の世界に飛び出します。  なぜずっと塔の上で生活をしていたのか、たんじょう日のたびになぜたくさんの光が空にまうのか、ラプンツェルの秘密が明かされていきます。

  • シューベルト | Composer Sakkyokuka

    フランツ・ペーター・シューベルト (1797-1828 オーストリア) 歌曲王とよばれるロマン派初期の作曲家。 1000曲近く作曲した内の600曲が歌曲。 音楽の都ウィーン生まれ、ウィーン育ちで、31年という短い生涯をほぼウィーンを離れることなく過ごしました。 父親は学校を経営(けいえい)しながらチェロを弾き、フランツに6歳頃にヴァイオリンを教えました。兄2人も弦楽器やピアノを演奏するアマチュアの音楽一家でした。 才能を発揮し、7歳頃に教会の聖歌隊(せいかたい)に入り、そこで音楽を学びました。 11歳の時に寄宿制神学校(寮で共同生活をしながら勉強する所)に合格し、その学校にあった現在のウィーン少年合唱団に17歳まで所属し音楽のせんもん的な教育を受けました。 この学校の同級生たちがその後、シューベルトを支えてくれます。 学校を卒業後は(1813年)、父が校長をしていた学校で先生としてはたらきました。 教師をしながらも作曲を続け、1815年にはすでに140曲の歌曲を作っています。その中には、有名な「野ばら」「魔王」があります。 1816年に教師をやめ作曲にせんねんします。生活は貧しくなりましたが、友人たちがいつも助けてくれました。 1821年に尊敬していたベートーヴェンに連弾曲を献呈(けんてい:目上の人にささげること)しました。その楽譜をベートーヴェンの所へ持って行きましたが、ベートーヴェンは留守で秘書のシンドラーが受け取りました。 このシンドラーは、ベートーヴェンが亡くなる前にシューベルトの歌曲のいくつかをベートーヴェンに見せました。 それを見たベートーヴェンが「かれには本当に神の光がやどっている」と毎日何時間もその楽譜を見ていたそうです。 シンドラーのはからいで、シューベルトは死の直前のベートヴェンに会うことが出来ました。最初で最後の出会いでした。 ベートーヴェンのおそうしきのあと、友人たちとお酒を飲みに行き、そこで「この中で、もっとも早く死ぬやつにかんぱい」とシューベルトは音頭をとりました。友人たちは不吉な感じがしたそうです。 そして、ベートーヴェンの死の翌年にシューベルトは病気のため31歳で亡くなりました。 シューベルトの遺言(ゆいごん)の通りに、ウィーン中央墓地でベートーヴェンの隣にシューベルトはねむっています。 ウィーン中央墓地 左:ベートーヴェン 右:シューベルト 中央:モーツァルト 1797年1月31日生まれ シューベルトの曲の作品番号は、 Op.(オーパス)のほかに、 D.(ドイチュ)があります。 ドイツ人のドイチュという人が シューベルトが作曲をした年代順に並べた作品リストを1951年に 作りました。それがD.番号です。 Op.の方は、シューベルトの生前に 出版された順につけられただだけの番号です。作品番号のない曲も多いため、近年ではD.番号の方が多く用いられます。 野ばら Op.3-3 D.257 演奏:フィッシャー・ディスカウ(バリトン) ジェラルド・ムーア(ピアノ) 1770年頃のゲーテの詩を歌にしました。魔王とならぶシューベルトの初期のけっ作。小さく美しい野ばらを見つけた少年が最後に野ばらを折ってしまいます。歌の声の変化を聞いて下さい。 魔王 Op.1 D.328 演奏:フィッシャー・ディスカウ(バリトン) ジェラルド・ムーア(ピアノ) シューベルトが18歳の時の作品。詩はゲーテ。 歌手は一人で語りて・魔王・子供・父親の4役を演じ分けます。 夜中に高熱を出したむすこをだき、父親が馬をとばし医者のもとに走ります。子供が父親に魔王が見えないのかと訴えますが、父親は気のせいだろうと言います。父はむすこの具合が悪くなっていくことにおそれながら馬を走らせます。しかし、医者の館に着いた時には・・・ ます Op.32 D.550 演奏:フィッシャー・ディスカウ(バリトン) ジェラルド・ムーア(ピアノ) 1817年(20歳頃)の作品。シューベルトの歌曲の中でも人気のある曲。ずるがしこい漁師がわなを使って魚を釣り上げる話。 ピアノ五重奏曲「ます」イ長調 D.667 第4楽章 22歳の時の作品。この楽章は、歌曲の「ます」のメロディーを使って6つの変奏曲(へんそうきょく)にしてあります。 アヴェ・マリア Op.52-6 D.839 演奏:バーバラ・ボニー(ソプラノ) ジェフリー・パーソンズ(ピアノ) 晩年(ばんねん:一生の末の死に近付いた時期)の1825年作曲。 アヴェ・マリアとして知られているこの曲は、正しくは「エレンの歌第3番」と言います。Lady of the Lake(湖上の貴婦人)という物語の中から詩がとられています。湖上の貴婦人エレンが王から追われ、マリア様に助けを求める時の詩が歌になっています。 4つの即興曲(そっきょうきょく)より Op.90-2 変ホ長調 演奏:クリスティアン・ツィメルマン 晩年1827年作曲。4曲とも個性的で美しい作品。 この第2番は、ピアノ学習者にもよく弾かれる曲です。 音階(スケール)が中心の曲です。シューベルトの曲は、調性がとつぜん変わることが多く、その不安定さが、はかなさ、美しさを感じさせます。 4手のための3つの軍隊行進曲より第1番 ニ長調 演奏:アナスタシア・ヴォロターニャ(プリモ)& アンドラーシュ・シフ(セコンド) シューベルトは生涯にわたり連弾曲を作り続けました。 連弾を流行させたのは、バッハのむすこヨハン・クリスティアン・バッハとモーツァルトです。シューベルトはそのすぐ後の時代の人です。シューベルトが生きている間に出版されたピアノ曲は13曲だけでしたが、連弾曲は56曲も出版されています。 それだけ連弾が家庭やサロンコンサートでよくえんそうされたということです。 楽興の時(がっきょうのとき)第3番 へ短調 D.780 演奏:内田光子 1823-1828年にかけて作曲されました。楽興の時は全部で6曲あります。日本語では楽興の時と言いますが、原題はMomens Musicaux(いっしゅんの音楽)です。 この第3番は6曲の中で最もよく知られていて、シューベルトが生きている頃から人気がありました。第3番は特に短く2分かかりません。 ロザムンデ間奏曲 第3番 指揮:クラウディオ・アバド ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 「キプロスの女王ロザムンデ」という劇に付けた音楽の中の曲。 自分が王のむすめとは知らずに育ったキプロスのロザムンデのお話。最後は、おさない時から定められていたこんやく者の王子とけっこんし、ハッピーエンド。 この曲のメロディーは、ピアノ曲4つの即興曲第3番、弦楽四重奏曲第13番にも使われています。 「ます」もそうですが、シューベルトはお気に入りのメロディーをほかの曲にもよく使っています。

  • 声楽 テノール・バス | Composer Sakkyokuka

    声楽の男性の声にも音域や声質により種類があります。 高い声はテノール、低い声はバス、その中間はバリトンです。 テノールは若々しく華やかで明るい声をしています。オペラでは王子や若者を演じます。 バスは重厚でどっしりとし、オペラでは王、父親、賢者を演じます。バリトンは優しさ、渋さ成熟を兼ね備えた声をしています。 プッチーニ トゥーランドッドより「誰も寝てはならぬ」 テノール:プラシド・ドミンゴ ベルディ リゴレより「女心の歌」 テノール:ルチアーノ・パヴァロッティ ムソルグスキー のみの歌 バス:レオニド・ハリトノフ

  • サウンド・オブ・ミュージック | Composer Sakkyokuka

    サウンド・オブ・ミュージック ミュージカルの映画です。1965年に作られました。 ミュージカルとは、歌、ダンス、芝居(しばい)を組み合わせた演劇(えんげき)です。 サウンド・オブ・ミュージックのお話は、実話(じつわ:本当の話)をもとにしています。 第2次世界大戦(せかいたいせん)直前のナチスに支配されていたオーストリアで、トラップ・ファミリーという家族が、歌で人々をはげまし続けたお話です。 舞台(ぶたい:物語が起きた場所)はオーストリアのザルツブルク(時代はちがいますがモーツァルトが生まれた町)。 母をなくしたトラップ家の7人の子どもたちの家庭教師になったマリア。マリアは歌が大すき。 子どもたちは母をなくしてから音楽をしたことがなく、歌い方を知らないと言います。そこで、マリアは音楽の基礎(きそ)ドレミの歌から教えます。 音楽とあたたかな人がらで、子どもたちの心を開いていきました。しかし、子どもたちの父であるトラップ大佐(たいさ)とは、なかなかうまくいきませんでした。 ところがマリアは、次第に大佐をすきになります。大佐に再婚(さいこん)話がもちあがり、マリアは悲しい気持ちのまま子どもたちのもとを去り、修道院(しゅうどういん)に帰ります。 子どもたちはマリアをつれもどそうとしますが、会えませんでした。 その後、ある歌がきっかけでマリアは子どもたちのもとにもどります。そのすがたを見た大佐も自分はマリアのことがすきなのだと気付きました。 2人は結婚(けっこん)しましたが、ナチスの任務(にんむ)につくよう大佐は命令されます。しかし、ドイツがオーストリアを併合(へいごう:国の領土をうばうこと)したことに反対していた大佐はそれをこばみ、一家でスイスに亡命(ほかの国に逃げること)することを決めます。 大佐を無理にナチスの任務につれていこうとした時、一家で合唱コンクールに出るから行かれない、終わったら行くと話します。大佐はコンクール出場に反対をしていたのですが、まさかの自分もコンクールに出ることになります。 コンクールの結果発表のすきに、一家はマリアのいた修道院に行き、そこから歩いて山をこえてスイスへむかいました。その時歌われたのが、マリアがトラップ家にもどるきっかけになった歌「すべての山にのぼれ」です。 実話のトラップ一家は、アメリカに亡命し家族で合唱をして成功をおさめました。 動画が始まる前にCMが流れると思います。画面にスキップの文字が出ると飛ばせます。出ない時は曲が始まるまで待ってください。 ドレミの歌 マリアがトラップ家の子どもたちにドレミを教える場面の曲。 各フレーズの最初の言葉が「ドレミファソラシ」からはじまり、音も「ドレミファソラシ」になっています。 日本語の歌詞は独自(どくじ)に作られ、ドはドーナツのドと始まりますが。英語の歌詞は、「初めの初めから始めましょう 始めるにはそこが一番よ 読み方の初めはABC、歌う時は、ドレミからよ・・ドは、シカ、メスのシカ」と始まります。 エーデルワイス 7人の子どもたちの母親が亡くなってから歌うことをしなくなったトラップ大佐がひさしぶりに歌う歌です。 エーデルワイスはアルプスに咲く白く小さな花です。大切な思い出という花言葉があります。 わたしのお気に入り かみなりをこわがる子どもたちがマリアの部屋に来た時に、子どもたちを元気つけようと歌います。また、マリアがトラップ家に帰ってきた時にも歌われます。 歌詞は「バラをつたう雨つぶと子ネコのひげ、ピカピカの銅(どう)のやかんとあたたかい毛糸のミトン、ひもで結ばれた茶色いつつみ、それがわたしのお気に入り」と始まります。 サウンド・オブ・ミュージック 映画の最初に歌われる曲。ザルツブルクの美しい山々にかこまれた緑の大地で歌われます。 歌詞を日本語に訳すと、山々は音楽の調べにあふれている。山々はわたしの心を音楽で満たす。私の心は聞こえる全ての歌を歌いたくなる。という内容です。 ひとりぼっちの羊かい マリアと子どもたちが家を訪れたお客様の前でひろうした人形劇(げき)で歌った歌。その歌のすばらしさと人形劇のおもしろさにトラップ大佐も大喜び。のちにファミリー合唱団として音楽祭に出演(しゅつえん)するきっかけになった場面です。 ちなみに、ザルツブルクにはマリオネット劇場という人形劇せんようの劇場があります。世界で最も古いマリオネット劇場のひとつです。 すべての山をのぼれ この歌が歌われる場面は2つあります。 ひとつは、マリアがトラップ大佐の再婚話を聞き、悲しみでトラップ家から逃げ出し修道院に帰った時に、修道院長がマリアに「全ての山に登って、あなたのゆめを見つけなさい」と歌う場面。 もうひとつは、一家がスイスに亡命するためにアルプスの国境を越える最後の場面で歌う場面。 歌詞の意味は、 「すべての山を登りなさい。あちこちさがして、知っているわき道も小道もたどって。 すべての山に登りなさい。すべての川をわたって、にじをおいかけて、あなたのゆめをつかむまで。 ゆめを手にするために、あなたが与えることのできるすべての愛を、来る日も来る日も、生きているかぎり」 人生のチャレンジや困難をのりこえ、ゆめにむかって進むことをおうえんする歌です。 Up

  • 木管楽器のための作品① | Composer Sakkyokuka

    2回に分け木管楽器を紹介します。今回はフルート・オーボエ・クラリネットです。 木管楽器(もっかんがっき) クラリネットやサクスフォン、オーボエのようにリードをふるわせて音を出すものと、フルートのように空気をふるわせて音を出すものがあります。 リード↑うすい木の板 / フルートの唄口↑ フルート 高い音を出す楽器です。ピアノのまんなかのドからピアノの一番高いドより1オクターブひくい音まで出すことができます。 音量は小さい方ですが、たいへん速い動きの音をえんそうできます。フルートの音は鳥の声に似ています。 オーボエ 見た感じはクラリネットににていますが、ちがうところがいくつもあります。 オーボエはリードが2まいあるダブルリードです。クラリネットはマウスピースにリードを1まいつけてふきますが、オーボエにはマウスピースがなく、リードがあるだけなので、音を出すことがむずかしい楽器です。 オーボエの口のところ→ 息をふきこむあながせまいので、息を少ししか入れることができません。息を少しずつ使うので、長いメロディーを一息でふくことができますが、これは息を止めているのに近い状態になります。肺に二酸化炭素がふえるので、息を吸う時にそれを吐き出してから吸わなければならず、息を吸うのに少し時間がかかります。 音域はフルートより少しせまいです。 オーケストラのチューニングはオーボエの音の高さに合わせます。オーボエは音の高さを調整するのにリードの幅や長さ(演奏者が自分でリードは作ります)で行うしかなく、その場ですぐには変えられないので、他の楽器がオーボエの音の高さに合わせます。 クラリネット クラリネットは音域により種類があります。 最も一般的なのはB♭管です。ほかに、E♭管、A管、アルトクラリネット、バスクラリネットとあります。 B♭管の音域は広く、フルートが3オクターブなのに対し、クラリネットは4オクターブ弱。 また、移調楽器と言って、楽譜に書かれている音と同じ音が出ません。B♭(ベー)管は「ド」と書かれていると「シ♭」の音が出ます。 フルート キーを右にしてかまえます。 右手を左手より下にし、演奏者は、正面ではなく、やや左を向き右に首をかしげてくちびるを唄口にあてます。 オーボエ オーボエは上下のくちびるを歯にかぶせた状態でリードをくわえて演奏します。 クラリネット 下のくちびるを下の歯に軽くかぶせ、その上にリードをのせます。上の歯はマウスピースにしっかりとつけます。まっすぐに前を見た状態でほっぺをふくらませずに吹きます。 【フルート】 サン=サーンス 動物の謝肉祭より「大きな鳥かご」 フルート:エマニュエル・パユ 動物の謝肉祭(しゃにくさい)全14曲の中の10曲目。 弦楽器のばんそうの上をフルートが軽やかに飛び回ります。 31小節しかない短い曲です。 ビゼー アルルの女第2組曲より「メヌエット」 ジョルジュ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 フルートのイメージと言えばこの曲を思い出すほどピッタリ。 美しく歌う楽器の本領発揮(ほんりょうはっき)です。 【オーボエ】 マルチェッロ オーボエ協奏曲 ニ短調 世のオーボエ協奏曲の中でも最も美しい曲です。 オーボエは弦楽器だけだったオーケストラに初めて入った管楽器です。17世紀中頃にフランスで生まれたとされていますが、ルーツは13世紀のイスラム軍楽隊の楽器と言われています。 ちなみに、ピアノができたのはチェンバロのあとで1709年。18世紀の初めです。 チャイコフスキー 白鳥の湖より「情景」 ヴォルフガング・サバリッシュ指揮 イルラエル・フィルハーモニー管弦楽団 よく耳にするこの曲のメロディーを吹いているのがオーボエです。ハープの伴奏にのったオーボエの音がなんとも悲し気です。 このメロディーは物語の最初と第2幕の「月光に照る湖のほとり」の前奏曲『情景』の中に登場します。 【クラリネット】 サン=サーンス 動物の謝肉祭より「森の奥のカッコウ」 動物の謝肉祭9曲目にあります。森の奥から聞こえるカッコウの声をクラリネットが演奏します。深い森の奥は少しぶきみな感じに聞こえます。 ガーシュウィン ラプソディ・イン・ブルー 指揮・ピアノ:レナード・バーンシュタイン ニューヨーク・フィルハーモニック クラシックとジャズを合わせた音楽を作ったガーシュウィンの代表作。クラリネットのソロから曲が始まります。 ガーシュウィンがジャズ・コンチェルトを書いているという話を新聞記事に書かれ、そのような事実はなかったのですが、そういうことになっているからと急いで作らなければいけなくなった曲です。汽車の中で列車が走る音を聞いて音楽が浮かんできたそうです。それを思わせる楽しい曲です。

  • ラフマニノフ | Composer Sakkyokuka

    セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ (1873-1943 ロシア) 後期ロマン派の作曲家、ピアニスト、指揮者。いずれにおいても成功をおさめた音楽家。 今でも、現代のピアニストがあこがれる大ピアニスト。 ピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソ(名人、達人)で、作曲と演奏の両方で成功おさめたリストと並ぶほどの音楽家。 ラフマニノフは身長が2mに達し、手が非常に大きく、左手は12度(1オクターブ+5度)広がりました。リストも同じく12度。 さらにラフマニノフは、指の関節もやわらかく、右手の人指し指、中指、薬指でドミソを押さえ、小指で1オクターブ上のドを押さえ、さらにあまった親指をその下に潜らせてミの音を鳴らせたといいます。 すべてに成功したかのように思えますが、挫折(ざせつ:くじけること)を経験しています。 完成した交響曲第1番が、ロシア五人組のキュイにこき下ろされ、自信をなくし作曲ができない状態になってしまいました。 そこから5年ほどたち、作曲する意欲を回復します。そうして書いた曲が大成功をおさめます。(ピアノ協奏曲第2番) ロシアの十月革命で祖国を離れ、最終的にアメリカに渡り、コンサートピアニストとして活躍。 ピアニストとして成功し豊かな収入を得ると、革命後の混乱の中で困窮(こんきゅう:貧乏で苦しむこと)する芸術家や団体を金銭的に支援(しえん)することをおしみませんでした。 70歳を目の前にして(誕生日4日前) ガンのためアメリカの自宅で亡くなりました。 哀愁(あいしゅう:さみしくもの悲しい)のある ロマンティックな音楽は、現在も人気があります。 1873年4月1日生まれ 2023年はラフマニノフ生誕150年、 没後80年の記念の年。 前奏曲「鐘」Op.3-2 嬰ハ短調 演奏:セルゲイ・ラフマニノフ ラフマニノフの出世作(しゅっせさく)。モスクワ音楽院のピアノ科を18歳で首席(1番の成績)で卒業し、その翌年に作曲科も首席で卒業。当時から大変な人気でラフマニノフの代表作になりました。「鐘」はラフマニノフがつけた題ではありません。本人は「前奏曲」とだけつけています。たいへん重厚感(じゅうこうかん:どっしりとして、あつみのあること)のある曲。フィギュアスケートの浅田真央さんがこの曲で選手の頃すべったことがあります。1892年作曲。 ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18 演奏:辻井伸行 指揮:ファンホ・メナ BBCフィルハーモニック ラフマニノフが交響曲第1番を酷評(こくひょう:思いやりのないきびしい批評)され、曲が書けなくなった後に復活し大成功をおさめた曲。ラフマニノフを代表する曲だけではなく、ロマンティックな美しさは、クラシック音楽の中でもよく知られている曲。1900-1901年作曲。 パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43 より 第18変奏 演奏:ダニール・トリフォノフ 指揮:ヤニック・ネゼ=セガン フィラデルフィアオーケストラ ロシアを離れアメリカで生活をするようになり、ピアニストとしての活動でいそがしくなったラフマニノフは作曲する気持ちをなくしていきます。そんな中、自然豊かなスイスで夏を過ごした時に、2カ月半で書き上げたのがこの曲。パガニーニとは、悪魔的と言われたヴァイオリンの名手。彼が作曲したヴァイオリンの有名なメロディーをテーマにして24の変奏曲を作ったのがこの曲。第18番目の変奏曲がとても美しく、この曲だけ単独で演奏されることもあります。1934年作曲。 ヴォカリーズ Op.34-14 演奏:アンナ・モッフォ ヴォカリーズとは、歌詞がなく母音のみで歌うものです。 この曲はラフマニノフの全作品の中で、ピアノ協奏曲第2番と並んで有名。作曲者が生きていた頃から人気のある曲で、様々な楽器のアレンジが作られました。ロシアらしい憂い(うれい:嘆き悲しむこと。心が晴れないこと。)のある美しい曲。「14の歌曲 Op.34」の最後の曲。この歌曲の中に、尊敬していたチャイコフスキーにささげた曲もあります。1915年作曲。 交響曲 第2番 Op.27 ホ短調より 第3楽章 指揮:ユージン・オーマンディ フィラデルフィア管弦楽団 ピアノ協奏曲第2番の成功で自信を取りもどし、結婚し、長女と次女をさずかり、仕事もプライベートも充実(じゅうじつ)した日々を過ごしていた頃の作品。第3楽章は4つある楽章の中でもよく知られている楽章。ラフマニノフらしい美しい曲。1906-1907年作曲。

  • ピアソラ | Composer Sakkyokuka

    アストル・ピアソラ (1921-1992 アルゼンチン) アルゼンチン出身のタンゴ音楽作曲家、バンドネオン奏者。 タンゴにクラシック音楽とジャズを混ぜ合わせ、新しいタンゴを生み出したことで知られています。 イタリア移民の3世としてアルゼンチンに生まれました。4歳の時に一家でニューヨークに移住し15歳まで過ごしました。その頃にジャズに親しみました。 アルゼンチンに戻り、父親が経営するレストランでバンドネオン(アコーディオンに似た楽器)、ハーモニカを演奏していました。タンゴへの興味(きょうみ)はうすかったのですが、ラジオで聴いたタンゴに感動し楽団に入り、バンドネオン奏者として実力をあらわすようになりました。 作曲の勉強を始め、タンゴ音楽に限界を感じパリに留学。タンゴ奏者であることをかくしていましたが、先生にタンゴこそピアソラの音楽と指摘(してき)され、タンゴ音楽を新しいものにすることを決意。 タンゴの破壊者(はかいしゃ)と命を狙われることも幾度かありました。再びニューヨークに移住し、ジャズとタンゴを合わせた音楽を作るようになりました。 アルゼンチンでもピアソラのタンゴが認められるようになり、ピアソラの楽団に入ることはサッカーのアルゼンチンチームに入るくらい名誉なことと言われるようになりました。 ピアソラのルーツ、イタリアに移住し傑作(けっさく)「リベルタンゴ」を作曲。 心臓の病気で入院したり手術をしながら多くの曲を作曲しました。パリの自宅で脳の病気でたおれ、大統領の専用機でアルゼンチンに帰国。アルゼンチンの病院で71歳で亡くなりました。 1921年3月11日生まれ アルゼンチンは南アメリカ南部にあります 飛行機で22~23時間。時差12時間。 タンゴ キレの良いアルゼンチンのダンス リベルタンゴ リベルタンゴとは「自由なタンゴ」という意味です。タンゴの音楽はおどるためにありましたが、ピアソラは聴くための音楽として作りました。オリジナルはエレキギターやベースギターが入っていて、ロックの要素をふくんでいます。 4’00”あたりから有名な部分です。(最初を飛ばしてもよいので、ぜひこの曲を聴いてください!) ブエノスアイレスの春 フィギュアスケート:髙橋大輔 フィギュアスケータ―の髙橋大輔さんの演技です。髙橋さんの演技とピアソラの音楽がぴったり。 ブエノスアイレスの四季 より「春」 バンドネオン:三浦一馬 1965年に1作目「夏」を書いた時には四季になる予定ではありませんでした。4年後に「秋冬春」が作られ「ブエノスアイレスの四季」としました。ピアソラは演奏する時に「冬夏秋春」の順番に演奏していたそうです。 ブエノスアイレスの冬 四季の中で特に美しい曲です。ヴィヴァルディの「四季」に似た部分もあります。テンポの変化が大きく情熱的な音楽。 アディオス・ノ二-ノ バンドネオン:ピアソラ 1958年にピアソラはブエノスアイレスでの活動に新鮮味(しんせんみ)がなくなり、ニューヨークに渡りました。しかし活動は期待はずれでお金に困りナイトクラブでタンゴダンスの伴奏をしました。翌年父(愛称ノ二-ノ)が亡くなりましたが、アルゼンチンに帰る旅費がなく故郷に帰れず、ニューヨークでがっくりときた中で亡き父にささげて作曲したのがこの曲。

  • J.S.バッハ | Composer Sakkyokuka

    ヨハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750 ドイツ) 「音楽の父」と称されるバロック音楽の重要な作曲家。鍵盤楽器の演奏家としても有名でした。 バッハ一族は音楽家の家系で、200年の間に50人以上の音楽家を生み出しました。 ヨハン・セバスティアン・バッハは、J.S.バッハと書き表します。大バッハと呼ばれることもあります。 9~10歳で両親を亡くし、末っ子だった バッハは長男(14歳年上)に引き取られました。パッヘルベル(有名なカノンの作曲者)の弟子だった兄から音楽教育を受けま した。 兄の課題を次々とこなし、兄が秘蔵していた 楽譜集を夜中にこっそり持ち出して、月明かりのもとで半年かけて書き写し勉強したそうです。 勉強熱心なバッハは、17歳の時に50㎞歩きオルガンの大家(たいか)ラインケンの演奏を聴きに行き、20歳の時には北ドイツの 巨匠(きょしょう)ブクステフーデという人のオルガン演奏を聴くために、400㎞の距離を歩きました。仕事の休みを4週間もらいましたが、けっきょく4カ月もそこに滞在してしまいました。 バッハは2度結婚し、20人の子供ができましたが、10人は幼くして亡くなりました。最初の妻が急死し、宮廷歌手のアンナ・マグダレーナと再婚(さいこん)しています。 最初の妻との間にできた長男と次男は有名な音楽家になっています。 マグダレーナとの間にできた第9子と末子も有名な音楽家になり、特に末子はモーツァルトに影響を与えたと言われています。 長年、酷使(こくし:限度以上に使うこと)してきた目の視力がほぼなくなり、2度手術を受けましたが失敗。かえってバッハの健康を害する結果となりました。後年、同じ医者にヘンデルも手術を受けやはり失明しています。 目が不自由になったバッハの代わりに、妻のアンナ・マグダレーナが楽譜を書きとってくれました。アンナと結婚した頃、宮廷歌手だった彼女のために、鍵盤楽器もうまくなってほしいと「アンナ・マグダレーナのための音楽帳」という曲集を作りました。その中に、有名なト長調のメヌエットが入っています。 J.S.バッハと同じ年に生まれた作曲家に、 ヘンデル(1685-1759)、スカルラッティ(1685-1757)がいます。この2人もバロック時代の大作曲家です。バッハが生きていた頃は、バッハよりヘンデルの方がよく知られていたそうです。 1685年3月31日生まれ バッハの子供たち 長男 ヴィルヘルム・フリーデマン (W.F.バッハ) 次男 カール・フィリップ。エマヌエル (C.P.E.バッハ) 第9子 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ (J.C.F.バッハ) 末子 ヨハン・クリスティアン (J.C.バッハ)    作品番号について J.S.バッハの作品番号は、BWVで表されます。 バッハ作品目録(Bach-Werke-Verzeichnis) の略です。 読み方は、ドイツ語読みの「ベ―ヴェーファウ」でも英語読みでもどちらでも可。 管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068  第2曲「エール(G線上のアリア)」 演奏:ノルウェー室内管弦楽団 G線上のアリアというのは通称(正式な名前ではありませんが、 世間でそうよばれていること)。ドイツのヴァイオリニストが ヴァイオリンとピアノで演奏するために編曲し、その時にハ長調に変えて、ヴァイオリンの4本ある弦の中で一番低いG(ゲー)線のみで弾けるようにしたためそう呼ばれるようになりました。バッハが作ったものはニ長調。原題の「エール(Air フランス語)」はアリア(一人で歌うもの)のことです。この場合のアリアは、ゆったりとしたテンポで感情があふれる歌のような曲のこと。通常はバッハが作った通りのニ長調で演奏されます。1731年作曲。 カンタータ BWV147 「主よ人の望みの喜びよ」 指揮:ニコラウスアーノンクール 合唱:アルノルト・シェーンベルク合唱団 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス 1723年作曲の教会カンタータ(教会の礼拝で演奏されるオーケストラ伴奏のコラールとアリア)「心と口と行いと生活と」全10曲の中の最後のコラール(プロテスタントの讃美歌)。バッハはたった1回しか歌われない礼拝のための曲を5年間毎週作曲していました。およそ200曲残っていますが、ひとつのカンタータに複数曲入っているので、その数は膨大(ぼうだい:ひじょうに多いこと)です。この頃は、トーマス教会で働いていて、付属学校の先生もしていたので、とてもいそがしかったのです。 トッカータとフーガ ニ短調 BWV565 演奏:カール・リヒター バッハのオルガン曲の中でも特に人気がある曲。1704年頃の 作曲と言われています。400㎞の徒歩旅行で聴いたブクステフーデの影響(えいきょう)があるとも言われています。バッハの町の人たちは、聞いたこともない新しい音楽に驚いたそうです。 トッカータとは、速いパッセージの即興的で技巧的なもの。語源は”触れる”。楽器の調子を見るための試し弾きが始まり。 フーガとはひとつのメロディーを次々と追いかけて行くもの。 イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971 より 第1楽章 演奏:ラファル・ブレハッチ 1735年作曲。チェンバロのための作品。 チェンバロ、ハープシコード、クラヴサンはすべて同じものです。イタリア語、英語、フランス語の言い方のちがいだけです。 バッハの頃はピアノがまだ完成されていませんでした。チェンバロを改良したものが1709年にできましたが、まだ楽器として 使えるものではありませんでした。バッハの助言のもと、さらに改良され、1747年に王さまの前でバッハはそのピアノで即興演奏(そっきょうえんそう:その場で音楽を作りながらえんそうすること)しています。しかし、ピアノのために書かれた曲は バッハには1曲もありません。 インヴェンション より 第1番 ハ長調 BWV772 演奏:Nenad Leonart 長男のために作った「フリーデマンバッハのための音楽帳」に この曲のもとになったものがあります。3年後に書き直し、15曲まとめた「インヴェンション」を作りました。この曲集はピアノを習っている人が上級になると必ず弾くと言っても良い曲集。 メロディーが次々と追いかけるものをポリフォニーと言いますが、そのスタイルは、その後の多くの作曲家の曲の中にもみられます。 このスタイルを読むことのできる目は、J.S.バッハのこの曲集を学ぶことで獲得(かくとく)できると言っても良いほどです。 J.S.バッハは多くの作曲家にえいきょうを与えています。 平均律クラヴィーア曲集 第1巻より 第1番 プレリュード&フーガ ハ長調 演奏:Nenad Leonart 平均律というのは、1オクターブの音程を均等に12に分けたものです。これが現在の調律の仕方です。J.S.バッハの頃は必ずしもこの調律法ではありませんでした。J.S.バッハは24調すべての調で演奏できるように、よく調整された鍵盤楽器で演奏する、という意味でこの曲集を作りました。平均律クラヴィーア曲集は 第2巻まであります。ショパンは第2巻をずべて暗譜(あんぷ)していたといいます。ショパンはこの曲集にえいきょうを受けて「24の前奏曲」を作りました。第1巻のプレリュードの約半分は、「フリーデマンバッハのための音楽帳」にあるものを手直ししたものです。この曲のプレリュードにグノーというロマン派の作曲家が「アヴェ・マリア」という歌詞をつけてメロディーを作りました。 マタイ受難曲 ロ短調 BWV244 より 「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け」 指揮:Jos vn Veldhoven オランダバッハ協会 メンデルスゾーンが100年ぶりに演奏をしたのがこの曲です。 これにより、わすれかけられていたJ.S.バッハが復活することと なりました。演奏時間は3時間。メンデルスゾーンが上演した時は いくつかカットし、2時間くらいにしたそうです。 新約聖書のマタイの福音書(ふくいんしょ:イエス・キリストが 言ったり行ったことを12使徒のマタイが書いたもの)のキリストの受難が題材となった曲。1727年、トーマス教会で初演。 マタイ受難曲 ロ短調 BWV244 より 「我を憐れみ給え」 指揮:フィリップ・ヘレヴェッヘ アルト:ダミアン・ギヨン コレギウム・ヴォカーレ マタイ受難曲を代表するアリア。ペテロがイエスのことは知らない、と3度ウソをつき、そう言うだろうとイエスに予言されていたことを思い出し自分の裏切りに泣く場面の曲です。 この曲は女声のアルト(女性の低い声)が歌うことが多いのですが、こちらの演奏はカウンターテナーという男性で女声の アルトの音域が出せる歌手が歌っています。 マタイ受難曲 ロ短調 BWV244 より 「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン ソプラノ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 ピラトによる判決で、自分は神の子だと言った罪でイエスが十字架にかけられることが決定。愛ゆえに救い主(イエス)は死にたもう、主はたったひとつの罪さえ知らない、と歌います。 マタイ受難曲 ロ短調 BWV244 より 「わが心よ、おのれを浄めよ」 バス:アンドレアス・ヴォルフ 指揮:Jos vn Veldhoven オランダバッハ協会 イエスが息絶えると、神殿の幕が上から下まで真っ二つにさけ、地震が起き、民衆はイエスはやはり神の子だったのだと 思います。イエスは自分は亡くなって3日後に復活すると予言していました。亡くなったイエスを弟子ヨセフが引き取り、お墓にほうむる時の歌。わが心よ清らかなれ、私が自らイエスをほうむろう、主は永遠に安息を得ているはず、と歌います。 ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV1048 より 第3楽章 演奏:Voices of Music 1721年に、ブランデンブルク=シュヴェート辺境伯(貴族の称号)クリスティアン・ルートヴィヒに献呈されたので、こう呼ばれています。ブランデンブルク協奏曲は全部で6曲あります。 第3番は弦楽器のみで演奏します。ヴァイオリン3、ヴィオラ3、チェロ3、チェンバロ。チェロがヴァイオリンと同じ数というのはめずらしいバランス。弦楽器のみの曲は、3番と6番のみ。 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007 演奏:ミッシャ・マイスキー 無伴奏チェロ組曲は全部で6曲あります。1717~1723年の間に作曲されたと考えられています。単純な練習曲とわすれられていましたが、パブロ・カザルスというチェリストに再発見され、 現代ではバッハの作品の中でも高く評価されるもののひとつ。

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